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近頃、街中軍艦マーチが氾濫していますねえ。今朝も上智(大学)に行こうと家をでると、途中の家々のラジオでしょうか海軍マーチがなりひびいている。ところが、いつのまにか歩いているこちらの歩調テンポが軍艦マーチにあってきてしまう

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 その奇妙な平衡状態に支えられた吉満義彦と私の共同作業がある日突然やぶれる。小柄ではあるが眼が明るく大きく、晴れ晴れとした若い例の婦人が、当時としてはすでに貴重品となりかけていた紅茶とケーキを持って現れる。華やかとも感じられる雰囲気で吉満義彦と私との抽象の極ともいえる対話を中断させたままさっと立去る。その紅茶を一口のみかけて吉満義彦が突如として此の世のこと--具体的な体験を語りはじめる。
 「近頃、街中軍艦マーチが氾濫していますねえ。今朝も上智(大学)に行こうと家をでると、途中の家々のラジオでしょうか海軍マーチがなりひびいている。ところが、いつのまにか歩いているこちらの歩調テンポが軍艦マーチにあってきてしまう。半足はずしてもすぐあってくる。立ちどまるほかない。立ちどまって『スンマ・テオロジカ』(神学大全)を包みからだしてひらいて数行読むと心がおちつく。それで歩き出すと海軍マーチが聞こえてくる。私の歩調がそれにあってスタスタとどこかに向かって早足で突進してゆくような感じになる。逆むきに歩いてみても同じことで、いつのまにか自分の歩調が行進曲とかさなりあってしまう。どうもこうなると立ちどまって耳をふさいで、行進曲が終わるまで『スンマ・テオロジカ』を読みつづけるほかない環境ですね」
 あっけらかんとでもいっていいような表情で、当時としては驚天動地ともいえる言辞を突然ごく自然にいいだした吉満義彦に対して、私は散文的に
 「日本の新聞を読むことをやめました。毎日読んでいると理性が働かなくなり、何か別なものが動き出すようです。半年に一度、朝日の縮刷版を大学の図書館でまとめて読むくらいが丁度よさそうです。まとめて読むと前後が全く矛盾していて大騒ぎの虚偽の中からも真実がよみとれます」
 眼の大きな美しいともいえる若い婦人、紅茶とケーキ、明るい午後の日差し、決して豊かではなかった吉満義彦の私生活では、豪華版ともいえる取り合わせのなかで、私達はこのように貴、妙な調子できわめて現実的政治的な問答をはじめてしまったのであった。
 軍艦マーチといえば、第二次大戦中にしばしば--ほとんど毎日といってよい程ラジオを通じて演奏されたものである。所謂海軍の大戦果--不合理な虚偽の戦果が国民の感性をくすぐり理性を麻痺させながら、ふんだんにばらまかれたわけである。記憶が定かではないが、ハワイのパール・ハーバー奇襲の大戦果も、それにひきつづく、マレー沖海戦、英戦艦プリンス・オブ・ウェールズ号とレパルズ号の撃沈の報道も軍艦マーチのリズムにのせて私達にとどけられていたはずである。反ミリタリズムのリベラリストとして知られていた当時の一高校長阿倍能成、--彼はまた夏目漱石のサロンの生き残りの人材でもあったわけであるが、彼が只一度、日本軍部の実力に対して経緯を表したことがある。日米開戦、特にパール・ハーバー攻撃に対しては苦虫をかみつぶしたように不機嫌に沈黙を守っていた阿倍能成が、マレー沖海戦の戦果報道をきいて、
 「……今度は不意打ちではない。どうも日本の軍部は私が考えていたより強いのかもしれない」
 と、嬉しいのか嬉しくないのか、外側からはわからぬ茫然とした表情で彼の実感を述べたことがある。酔えば鉄道唱歌を高唱し、たぶん軍艦マーチも感性的には好きであったはずの明治の日本人阿倍能成はしかしながらしたたかな理性、温かい人間性の持主であり、その故に社会主義者、一部のキリスト教信者をのぞけば、一番日本ミリタリズムからほど遠い存在であった。その彼もおそらく耳に快い軍艦マーチのリズムにのった不意打ちではないマレー沖海戦の戦果の報道に内心実は明治の血をわかせていたのかもしれない。
 記憶というものは不思議なもので、吉満義彦とのはじめての現実的・政治的対話の内容とその際の環境--貧しかった吉満義彦としては豪華版ともいえる環境--若い婦人、紅茶の香り、明るい日差し--をはっきり覚えていながら、それが昭和何年のことであったか私は思いおこすことができない。阿倍能成を驚かしたマレー沖海戦の大勝利の頃のような早い時期であるはずはない。一九四二年(昭和十七年)夏には、吉満義彦はいまだ西谷啓治、諸井三郎、鈴木成高、菊池正士、下村寅太郎、小林秀雄、亀井勝一郎、林房雄、三好達治、都村秀夫、中村光夫、河上徹太郎らと知的協力会議をもち、近代の超克などというテーマで、何とか日本の現実と密着し、体制内にいて日本の進路を変えようと模索していた。おそらくその模索の最中か、その模索を通じて、次第に日本の病根は軍部にあるのみならず、日本の良識的知識人といわれるひとびとも頼むにたらないという事実に吉満義彦が気づいてからのことであったろう。私自身はあのときすでに東京帝国大学の理学部の学生であったはずであり、それも記憶している会話の内容から推察すると、たぶん仁科芳雄の研究グループで原子核を専攻する以前のことであったろう。いずれにしても一九四二年(昭和十七年)夏より前ではなく、一九四三年(昭和十八年)夏より遅いはずはないなどと過ぎ去った時間の一点を見定め難く想いめぐらしている次第である。
    --垣花秀武「解説--詩人哲学者、吉満義彦とその時代」、吉満義彦帰天50周年記念出版の会編『永遠の詩人哲学者 吉満義彦』ドン・ボスコ社、1997年。

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ちょいちょい忙しくまともに考察とか省察といったたぐいの内省ができず反省ひとしき……ということで恐縮なのですが、恐縮ついで?ということで、なんとなく印象批判でお茶を濁しておきます。

ちょうど月曜日、大学へ出勤する前、車中で読むため本を物色していたところ、本棚に積み重ねた本の後ろ側から、ずうぅぅっと探し続けていた文献と邂逅することができ、その本を読んでおりました。引用はそこからの一節です。

昨年年末に上程した近代カトリシズムをめぐる論文の作成過程で必要な文献でしたが、図書館にも所蔵がなく、当然絶版のよしにて、古本をさがしても4倍以上の値段がついており、その資料に眼を通すことを断念して、昨年の論文をその(1)として……拙論「吉満義彦の人間主義論 --近代批判とその神学的根拠(1)」、『東洋哲学研究所紀要』(第24号、2008年)……まとめあげてしまい、確認することができなかった点をふくめ、本年度以降その(2)としてまとめる予定にしているものですが、思いがけず出会えたことに感謝です。

その(2)執筆時にまたその文献が散逸しないよう、今度は適正にわかりやすいところに保存するほかありません。

ちなみに?今回は、その文献以上にその(1)で扱ったカトリック思想家・吉満義彦(1904-1945)に大きく影響を与えたフランスのネオ・トミスト・ジャック.マリタン(Jacques Maritain,1882-1973)の論説などを丁寧に読み始めておりますがが、この分では、3ヶ月や半年で校了できる内容ではない!と“思い切り”、紀要論文には別のネタでエントリし、その(2)は未来への宿題とした次第です。

とわいえ、その(1)執筆時に必要不可欠だった今回の文献にこんなところで邂逅できるとはめっけものです。

マリタンのフランス語文献はちまちまと読んでおりますが、その文字を立体化させる迫力を内包させているようで……。

ちなみのちなみでいうならば、吉満義彦およびジャック・マリタンの基礎となるトマス・アクィナス(Thomas Aquinas,1225-1274)も、それ以上なちまちまちまちまちまちまスピ~ドで読んでおりますが発見することが、まさに一行が百行の思いで修行として読んでおります……ので、大成するには時間がかかりそうです。

さて……この小著! すなわち、吉満義彦帰天50周年記念出版の会編『永遠の詩人哲学者 吉満義彦』(ドン・ボスコ社、1997年)ですが、全体として250頁たらずの小著で何度も読んだことがある文献ですので、往復の電車と仕事の休憩時間に再度通読できましたが、奥が深すぎ、思索の渦にはまりかけてしまった次第です。

近代日本のキリスト教宣教の歴史を振り返ってみますと……これまで日記で何度も言及している通り……それは、プロテスタントがメインストリームであったことは疑いようのない事実です。そしてその影響は現在でも多大にうけていることは否定できません。

近代以降の日本のキリスト教を語る場合、やはりどうしてもその基準はプロテスタンティズムであり、そこに「正統」を意識する節がつよく、歴史観に関しても同様で、(そしてそれはその対極にあるカトリシズムの負荷になるわけですが)ルネサンス-宗教改革をルミナスと見るならば、暗黒時代=カトリシズムという構造がどうしても払拭できず、そしてそれに輪をかけるように、近代日本のキリスト教思想家で著名な人物がほとんどプロテスタンティズムばかりであったことが後押ししてしまい、どうしても、キリスト教といえば近代以降の日本においては、ピューリタン的な「プロテスタンティズム」に限定されてしまうわけで……そこにいささかの違和感を感じてしまいます。

たしかにカトリシズムの歴史は、戦国時代のキリシタンとしてはじまります。
その歩みは主として迫害・殉教の歴史として語られ、1873年(明治6)のキリスト教解禁以降も目立ったプロテスタンティズムとの交流・対話を認めることはできません。

しかしひとつにはそうした人材がカトリシズムに存在しなかったというのもひとつの事実です。

そしてそうしたなかで、ぼつぼつと出始めて来た先駆者がハンセン病患者の福祉などに尽力した岩下壮一神父(1889-1940)なのでしょう。

そして岩下神父の人格的薫陶をうけつつ、超越と内在、現在と歴史を的確に論じ、相手がカトリックであろうとなかろうと、あらゆる人材と縦横無尽に対話できた人物が、さきに指摘した吉満義彦ではなかろうかと思います。

出会いは、修士課程の時代にであったかと思います。

ふとしたきっかけで、吉満義彦を顕照する集いとかミサに呼ばれるようになり、そしてちょうど修士論文で扱っていた近代日本の宗教学の祖の姉崎正治(1873-1949)が「余はプロテスタンティズムよりもカトリシズムを好む」という言葉に注目していた経緯もあり、勉強会やミサに参加し、著作を読み直すなかで、目をあらたにしたものです。

今回は紀要論文では、その対極に位置する明治プロテスタンティズムを代表する植村正久(1858-1925)を扱う予定ですが、この時期にこうした文献に邂逅できたことはほんとうになによりで、予定稿の植村論文にも影響を?与えてしまいそうです。

さて、吉満義彦関連の集いで、謦咳に接したのが先に引用する垣花秀武(1920-)先生の「解説」です。ご本人の記憶には、もはや宇治家参去のそれはないとは思いますが、数度勉強会に参加させていただくなかで垣花先生の師・吉満義彦に対する思いとかエピソードを伺うたびに……ちなみに余談ですが、その忘年会とかの参加のおかげで苦手な刺身・鮨の克服をできたこが今は一番の財産でしょうか!……、感嘆したものです。

とくに注目したいのはやはりなんといっても自分自身が昨年末まとめ上げた論文でもそうですが、吉満義彦自身が、日本を内在的に変革していこうとして超越の視座なんだと思います。

吉満義彦は、文学界同人の斡旋で、欧米主義を打倒する超越の視座を提示するための、知的協力会議に1942年(昭和17)に参加するのですが、どうもその文章を読んでおりますと、ほかの翼賛論者と視座がまったく違うわけでして……。

それを裏付けるレポートに10数年ぶりにであった次第です。

「違和感」ってすんごく大切だと思います。

なぜなら「歩調がそれにあってスタスタとどこかに向かって早足で突進してゆくような感じになる。逆むきに歩いてみても同じことで、いつのまにか自分の歩調が行進曲とかさなりあってしまう」のが現実世界の騒音ですから。

だからこそ立ち止まって、立ち位置を確認する契機というのは誰にとっても必要かもしれません。

思えば、ユダヤ人の女性哲学者・ハンナ・アーレント(Hannah Arendt,1906-1975)は、ホロコーストにおけるユダヤ人大量虐殺者の指揮官・アドルフ・アイヒマン(Karl Adolf Eichmann,1906-1962)の戦犯裁判の傍聴の際、次のような言葉を述べております。

すなわち

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(アイヒマン……引用者註)愚かではなかった。完全な無思想性――これは愚かさとは決して同じではない――、それが彼があの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ。このことが<陳腐>であり、それのみか滑稽であるとしても、またいかに努力してみてもアイヒマンから悪魔的な底の知れなさを引出すことは不可能だとしても、これは決してありふれたことではない。
    --A.アーレント(大久保和郎訳)『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』みすず書房、1969年。

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私淑するレヴィナス(Emmanuel Lévinas,1906-1995)は古代ギリシア思想を繙きながら哲学者はつねに「目覚めておれ!」と警句しました。

地の言葉で恐縮です。

なにかのみこんでしまう「軍艦マーチ」は世の中には溢れております。

そこに知らないうちに牽引されない自己自身を創り出していきたいものです。

……って東京では今期初?の33度です。

Asahiのスーパードライのうまい季節です。

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