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献身をたんに人間や社会ばかりでなく、なんらかの仕方で、世界にあらわれてくる生命一般にむけさせなければならない

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……献身の倫理にあっては、それが狭隘すぎるという点にどこか欠点があるに違いない。原理的にいって社会功利主義は、ただ人間の人間への献身および人間の人間社会への献身のみを問題とするにすぎない。それに対して自己完成の倫理は普遍的なものである。それは人間の世界への態度をも取り扱う。それゆえ献身の倫理が自己完成の倫理に対応しうるためには、後者のように普遍的になり、献身をたんに人間や社会ばかりでなく、なんらかの仕方で、世界にあらわれてくる生命一般にむけさせなければならない。
    --シュヴァイツァー(氷上英広訳)「文化と倫理」、『シュヴァイツァー選集 第7巻』白水社、1962年。

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久し振りの3連休スタートです!
土日に、世田谷、中野の友人とそれぞれアポイントメントがあるので、金曜のみが純粋?な休み……ということになるので、日がな一日、論文への資料の落とし込みとレポート添削をおこなっておりましたが、変な話で恐縮ですが、そればかりやっていると頭がループしてきますので、合間合間に、シュヴァイツァー(Albert Schweitzer,1875-1965)の著作を紐解いておりましたが、これがまたすこぶる染みこんできます。

密林の聖者として知られるシュヴァイツァーですが、その思想の骨格となるのは中年時に到達した「生命への畏敬」という概念になるかと思います。

シュヴァイツァーが現実世界の抱える病巣の根源として見抜いた事態とは何でしょうか。

ひとつ指摘できることは、やはり「存在を肯定できない」というシニシズムではなかったかと思います。
※いうまでもありませんが、ここでいう、いうなれば「存在の否定」とは跳躍への契機を期するための現状認識としての「否定」ではありません。

人生を、そして生きている世界をどのように肯定していくのか……密林の中でシュヴァイツァーはひとつの感覚に到達するわけですが、それがその根拠としての「生命の意志」という感覚なのでしょう。生きんとする生命の意志へ根拠を置き、シュヴァイツァーは人生と世界はたゆみなく関わりつづけることによって改善可能だ!という根源的な楽観主義に到達するわけですけれども、いつも読みながら、ノー天気な皮相的な楽観主義とは趣を異にする言説の強さに、打ちのめされてしまう長谷川平蔵です。

肯定するとは何でしょうか。
それは自分自身の生命を肯定するだけではありません。他者……それは人間のみならずすべての事物といっても過言ではないでしょう……その生命をも肯定する。
そこにシュヴァイツァーの「生命への畏敬」の輝きが存在しているのではないかと思います。

アフリカでのキリスト教伝道と医療活動を通じての平和活動に献身した生涯ですが、その活動はすべて成功であったわけでないことは承知しております。

最新の研究に寄れば、アフリカ現地での活動のすべてが芳しいものであったわけでないこと評価されておりますが、そのことは十分承知しております。

そして、拭いがたいヨーロッパ中心主義をシュヴァイツァー自身が無自覚的に内包していたことも承知です。ヨーロッパを兄とし、そしてそれ以外をいわば弟とみるものの見方は、まさにオリエンタリズムの好例のひとつであり、決して十全に包容することができないことも十分承知しております。

しかしながら……。

実際に動いた人間、関わった人間にはかなわないことも、活字と対話するなかで実感してしまいます。

安全地帯での論評・評価はどうしてもそこを掬いきれないとでも申せばよろしいのでしょうか……、後日の評価・論評はいうまでもなく歴史認識としては大切です。

しかし一方でそのように論難してしまうことは、本人の息吹・汗・血といったものまで中傷してしまうのも事実であり、必要なのは、「いずれにせよ!」そこから何を学ぶのか……そこに帰着するのでは無かろうかと思います。

シュヴァイツァーは献身は、人間だけでなくあらゆる生命への献身となるとき、それが真に普遍的なものとなると悟りました。
そして同時に、自己完成の倫理も、たんに世界から内面的な自由を獲得するというような一種の諦め的な倫理に留まることなく、世界や事物、そして自分自身に向かって積極的な活動を含むものにそれはなるだろうと論じましたが、このことが大切かもしれません。

献身という言葉は単純です。

しかしそれが自己の問題とダイレクトにリンクさせることは大変です。

献身と自己完成が倫理として結びつくときにこそ、世界は大きく展開するのかもしれません。

なにしろ、献身と自己完成は伝統的な倫理・道徳学のジャンルにおいては稀有な例をのぞき対立するものですから。

……ということで、「アサヒの何チャラマイスターとか言うビール」が実にうまい深夜です。

ちなみの蛇足ですが……しかし実はこれが大切かな?……有名な話ですが、シュヴァイツァーの好物は風月堂のゴーフルだったそうです。

確かに密林の聖者ですが……なんだか人間くさくてよいエピソードです。
久しく口にしませんが、長谷川平蔵も好物のひとつです。

あのさっぱりした板?と板に挟まれたクリームの触感が絶妙です。

私淑する池波正太郎(1923-1990)に言わせれば、

「いいねえ、シュヴァイツァーも。人間らしくてそこが格好いいねえ、なかなかまねのできるものではないよ」

……などと示唆されそうです。

……ということで、金曜日は、細君が全日幼稚園の役員業務のため不在でしたので、

「夕刻に、ピーちゃん(うちの十姉妹)を部屋のなかで放鳥するように」

……とのタスクを承っておりましたので、放鳥しましたが、まあ、彼か彼女だかわかりませんが邪魔をしてくれます。

……しかし「生命への畏敬」は大切ですね!

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