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互恵という精神的理想の上に打ち立てられることをわれわれは望んでいる

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 次の時代の文明は、経済的、政治的競争と利用とにもとづくものではなく、全世界が社会的協同に基盤を置き、能率という経済的理想の上ではなく、互恵という精神的理想の上に打ち立てられることをわれわれは望んでいる。それを実現するときには、女性は自らの真の位置を見出すだろう。
    --タゴール(山口三夫訳)「人格論」、『タゴール著作集』第九巻、第三文明社、1981年。

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土曜日に母が、世田谷の住む友人を訪ねて東京へ赴いてきましたので、道案内ということで、同道してきましたが、実に暑い一日でして……。

30度はゆうに超えていたようで、湿度も高く蒸し暑い一日でございました。

50年ぶりの再会ということで、旧交を温めて頂き何よりです。

宅を辞してから、新宿に用事があり、要件がすべてと済むと13時過ぎ。

ちょうど一番暑い時間帯でしょうか。

近くに……鮨屋しかなかった……?

……ので、握りをいただき、ビールまで頂戴しましたが、この季節は昼ビールが旨いものでして……。

一仕事あとの麦芽は夏の快味であることは間違いありません。
暑ければ暑いほど、そして不快指数が高ければ高いほど、快味であることは間違いありません。

さて……。
いずれにせよ、男性とは腰が重い生き物であるのに対して、女性とは身軽くぱっぱぱっぱと目的に向かって軽やかに進んでいけるのではなかろうか……などと実感します。

ともすれば観念論に堕してしまいがちな存在を横目に、そうした女性が動くという時代は、新しい時代の開幕かもしれません。

……ってこれは、「だからといって」観念論にふけっていてもよろしいという免罪符ではないことも忘れてはならないところだろう……ということですね。

昨日は幼児のように?

21時には沈没してしまった次第です。

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