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近代の哲学書では「!」というような符号をつけた文章にはあまりであわぬ

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 『論語』などを素人読みしていて、ふと気がつくことがるが、「哉」その他の感嘆詞とでもいうべき言葉が非常に多い。近代の哲学書では「!」というような符号をつけた文章にはあまりであわぬ。『論語』が対話形式だから、とだけでは説明がつかぬものがある。『論語』全体の中に、強いていえば、一種の長大息する孔子の吐息が感ぜられるほどである。
 感嘆詞が発せられる場合は多くある。今ここで問題としているのは、孔子が用いているところのような場合である。すなわち、一つの言葉を発して、それを発しただけではじっとしていられない何か長く息を引く感じ、あるいは息を呑んで感動を抑えずにいられないこころもち、換言すれば、一つには疑問でもあり、畏れでもあり、懺(は)じらいでもある。しかも、他に何か決意にも充ちているものもある複雑をきわめた感情が籠もっているのである。
    --中井正一「感嘆詞のある思想」、長田弘編『中井正一評論集』岩波文庫、1995年。

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京都学派の流れをくみつつ、独自の美学理論を展開した美学者・中井正一(1900-1952
)の評論集を最近紐解いておりますが、なかなか唸らされております。

その美学理論は決して講壇哲学に収まることなく広範な対象に対する実践知として結実し、代表的な作品『委員会の論理』でも、美と対極にあると思ってしまう集団(共同体)とか、委員会においてすらも何らかの美が筋道を立てて通っておらないかぎり、有効に機能しないばかりか内包してしまうと喝破した議論には驚かされたものです。

そもそも日本においての美学は、本家たる西洋思潮と対比してみるとその確立が非常に遅れており、ややもすれば恣意的な衒学趣味的なるものに「美」を見出そうとする傾向が顕著ですが、そうしたなかでの中井正一の美学理論の構築とは、その嚆矢にして霊峰のごとききらめてきをはなっているのではなかろうかと思います。

形而上的な方向性と、形而下的な実践知との関わりで言えば、有名な滝川事件……1933年京都帝国大学で発生した思想弾圧事件……では、言論が反国家的とされ罷免を要求された瀧川幸辰(1891-1962)に対する処分に対する抵抗運動に取り組んでいたり、週刊『土曜日』での自由主義的論説の鼓舞などで、治安維持法違反での検挙……といった中井の歩みをみておりますと、まさに現実に内在した真理探求の営みではなかろうかと思ってしまいます。

それこそがまさに中井の目指した美学の方向性……すなわち、新即物主義(Neue Sachlichkeit)のひとつのあらわれなのかもしれません。

さて……はなしがずれ込みましたが、ひとつたまげたのがうえに引用した「感嘆詞のある思想」です。

はあ、なるほどね、……とはまさにこのことで、『論語』読みを自認する宇治家参去でございますが、『論語』に多用される「感嘆詞」にまで注目がいきとどいておらなかったことに脱帽です。

文章はちょうど、その冒頭の部分ですが、まさに「近代の哲学書では「!」というような符号をつけた文章にはあまりであわぬ」のが実情です。

それが難解をウリものとする哲学書なるもののひとつの特徴なのでしょうが、現実には、「一つの言葉を発して、それを発しただけではじっとしていられない何か長く息を引く感じ、あるいは息を呑んで感動を抑えずにいられないこころもち、換言すれば、一つには疑問でもあり、畏れでもあり、懺(は)じらいでもある。しかも、他に何か決意にも充ちているものもある複雑をきわめた感情が籠もっている」のが生きている世界でありますから、そうした声にならぬ声、活字にならぬ活字の部分を「きれいさっぱり」と象捨してしまうと、豊穣な人間世界を分断してしまうのかも知れません。

ただ、そう思った次第です。

世の中で誠実に生きながら、日々唸り、苦悶し、二日酔いとたたかう宇治家参去も、「うううむ」とか「うぬぅぅ」とうなりながら生きておりますが、そのへんを言語へと転換していきたいものでございます。

ということで?

6月も下旬になると、熱帯と化す東京の荒野においては、すわっているだけでもヘロヘロになってしまいますので、忸怩たる部分ですが、アイスとかその辺に今季初ですが手を伸ばしてしまいました。

いわゆる「九州名物 白熊」(丸永アイス)です。
フルーツと小豆がのった、練乳仕立てのアイスですが、この甘さが五臓六腑にしみわたります。

しかしどうして「九州名物」なのでしょうか……ねえ?

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