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「ああ、そうだったのか!」彼は声にたてて言った。「なんという喜びだろう!」

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 『ところで死は? どこにいるのだ?』
 古くから馴染みになっている死の恐怖をさがしたが、見つからなかった。いったいどこにいるのだ? 死とはなんだ? 恐怖はまるでなかった。なぜなら、死がなかったからである。
 死の代わりに光があった。
 「ああ、そうだったのか!」彼は声にたてて言った。「なんという喜びだろう!」
 これらはすべて彼にとって、ほんの一瞬の出来事であったが、この一瞬の意味はもはや変わることがかなった。しかし、そばにいる人にとっては、彼の臨終の苦悶はなお二時間つづいた。彼の胸の中でなにかことこと鳴った。衰えきった体がぴくぴくとふるえた。やがて、そのことと鳴る音もしわがれた呼吸も、しだに間違いになって行った。
 「いよいよお終いだ!」誰かが彼の頭の上で言った。
 彼はこの言葉を聞いて、それを心の中で繰り返した。『もう死はおしまいだ』と彼は自分で自分に言い聞かした。『もう死はなくなったのだ。』
 彼は息を吸い込んだが、それも中途で消えて、ぐっと身を伸ばしたかと思うと、そのまま死んでしまった。
    --トルストイ(米川正夫訳)『イワン・イリッチの死』岩波文庫、1973年。

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凡庸な一官吏イワン・イリッチが不治の病にかかり、あらゆる肉体的・精神的苦痛を経験し、死の恐怖と孤独にさいなまれながら、最後にはある種の達観にいたるようするを、なまなましくも透徹に描ききったトルストイ(Lev Nikolajevich Tolstoj,1828-1910)の作品が『イワン・イリッチの死』ではないかと思います。

非凡な英雄よりも、凡人の小さな生活の存在感こそぬぐいがたい事実であり、トルストイの人間観察とその描写には、驚くばかりです。

この著作は、『アンナ・カレーニナ』以後のトルストイの転回・深化の出発点となる作品であり、人生の根本問題たる「死」の問題を生活のただなかで真正面から捉え直した作品になるわけですが、そこで開陳されるトルストイの死生観とは……単純化の恐れがありますが……いわば、「生も歓喜」「死も歓喜」といったところでしょうか。病に苦しみにのたうちまわるイワン・イリッチには、「死」は見えず、対象化された「恐怖」しか見えません。

しかしイワン・イリッチは自分自身の内なる声と対話をつづけるなかで、死の間際において光を見出します。

とかくまわりの状況や事件に紛動されがちな宇治家参去ですが、左右されない根本原理としての死生観とでもいえばいいのでしょうか、ラテン語の格言Memento mori(「死を想え」「死を忘れるな」)を忘れずに状況と向かい合っていきたいものだなと思う毎日です。

さて、
最近おどろいたこと3点。

ひとつめは先週、実母と電車にのりましたが、電車のなかで立っていると、座っていたお姉ちゃんが母親に席を譲ろうとしてくれたこと。
※次の駅でおりるため、こちらも遠慮しましたが。

ふたつめは短大の授業のなかで、「軍艦マーチ」の話をしたところ、「軍艦マーチ」なるものを知らない学生の方がマジョリティであったこと。

そしてみっつ目が、昨日、またしてもデジカメを紛失してしまったこと。
月曜日にパソコンの液晶をフルHDモニタに買い換えたついでに、買ったばかりのカメラです。短い人生でございました。

昨日、高尾へ家族と出かけましたが、その帰路、どこかで紛失したみたいです。

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 紛失して辛く思う感情の代わりに光があった。
 「ああ、そうだったのか!」彼は声にたてて言った。「なんという喜びだろう!」

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かくありたいものです。

高尾の写真はすべてパー!になりましたので、弔い合戦の写真でものっけておきます。

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