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よく知られているからと言っても、認識されているわけではない。

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 一般によく知られたものは、よく知られているからと言っても、認識されているわけではない。認識するにあたって、あることをよく知っている前提として、それをそのまま甘受するのは、最もありきたりの自己欺瞞であり、他人に対する欺瞞でもある。そういう知は、あれこれとおしゃべりはするが、自分がどうなっているのかもわからずに、一歩も前進しない。主観と客観など、神、自然、感覚などということは、よく知られたものとして、ろくに吟味もされないで、妥当するものとして根底におかれており、前に出るときにも、後に帰るときにも、支点とされている。だから運動といっても、動かないままである。そういうものの間を、あちこちと行ったり来たりするだけである。だから、それらのものの表面にただよっているにすぎない。したがって、把握とか吟味とか言っても、それは、そう言われたものを、各人が自分の表彰のうちに見つけるかどうか、何人にもそのように思われ、そのようなものとして知られているかどうかを、見るだけのことである。
    --G.W.F.へーゲル(樫山欽四郎訳)『精神現象学 上』平凡社、1997年。

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「ただしいとわかっているけどねえ、けれどもねえ、できないんだよねえ」とか「わかった! わかった!」(と言って何もしないあり方)という言い方を、若い頃からよく聞いており、本当にわかっているのかなあ~と、その言い方に対して居心地の悪さをいつも感じていた宇治家参去です。

「わかった! わかった!」と言うのならば、どうして「わかった!」とおり、やらないのかなア~と疑問に思うのが常道ですから、いたしかたありません。

ちょうど大学時代、先輩の仏教学者にその話を吐露したところ……

「そんなこと気にしてしょうがないやん、それはそもそもわかっていないからなんやん」
※怪しい関西弁ですが、この先輩関西の方ですのでたぶんそういう言い方……。

という極めつけ!の答えを頂戴したことがあります。

う~む、たしかに!
なるほど、ガッテン!

不快感とか違和感が全くなく……すとんと「理解」「納得」した記憶があります。

たしかに言われるとそうであって、言葉としては「わかっているよっ」ていうフレーズを使ってはいますが、その実その対象に対して「なにもわかっていない」し、「正しいと思っていない」からこそ、「わかっている」「理解している」といいながら、「わかっていない」のが精確な消息なのでしょう。

うだるような暑さの中、市井の職場においても毎度毎度改善レポートを提出しているのですが、「わかった!」「よくできている」「さっそくこれでいこう」などと返答はされるものいつも、スルーされております。

結句改善が進まないまま、毎度毎度十年一律の不幸の永劫回帰が続いており、どうして「わかっている」とか「理解した」とか言っているのに、実行されないのだろうか……などと深いため息をもらしてまう毎日です。

ついでながら、「了承」はとりつけているその対案は別に人員を増やすといったコスト的に無理のある取り組みでは決してありません。

たとえば店内放送のフレーズをすこし変えてみるといったような小さな工夫なのですが……否決はされていないにもかかわらず、どうも励行されいないようで……。

空の段ボールに対してのみならず、コンクリートの壁になんどもパンチを繰り出しそうになりましたが、ぐっと堪えながら、その違和感にふりまわされそうになる自分自身に対しても厭になてくるわけですが、ちょいと落ち着こうと!一服タイムでへーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel,1770-1831)と向かい合っていると、冒頭に紹介した学生時代の思い出を思い出した次第です。

まさに、へーゲルの言っているとおりです。

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般によく知られたものは、よく知られているからと言っても、認識されているわけではない。認識するにあたって、あることをよく知っている前提として、それをそのまま甘受するのは、最もありきたりの自己欺瞞であり、他人に対する欺瞞でもある。そういう知は、あれこれとおしゃべりはするが、時bんがどうなっているのかもわからずに、一歩も前進しない。
    --へーゲル、前掲書。

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わかっていないにもかかわらず、「わかっている」と言い切ってしまうことほど暴力的な行為はないのかもしれません。

しかし「わかっている」ことを「励行」してもらうまで「わかっているよ」っていうわれる内容を「確認」し続ける執着というのも必要なのかな……と思う次第でございます。

うえの「そんなこと気にしてしょうがないやん、それはそもそもわかっていないからなんやん」の言葉のおまけですが、「だから、わかるまでいわなきゃいけないんやん」とのことだそうでしたからネ!

不思議なもので、こういう日に限って夕日が美しいものです。

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現代批評」カテゴリの記事

コメント

こんにちはhappy01
気まぐれで、やってきました!

毎日、暑い中、ほんとにお疲れ様です。
さて、何度言っても、わからない……
疲れますよねぇ~いい加減、言うほうも疲れて、「またかよ~」ってゲンナリさせられます。

しかし、ここで、ご指摘のとおり、
「わかるまで、その度に何度でも言う」しかないのでしょうね。

以前、年配のある知人がおりました。
その方、長年の自分の経験から断固として、人に耳を傾けません。都合が悪いと耳が聞こえなくなりますwobbly

もう、根くらべでした。
何度も、何度も……そうやって気づいたら、自分が鍛えられていましたとさ!って感じです。

でも、これは、1対1の個人戦だから、まだ先も見えていますが…

ところで、とっても素敵な夕日ですね。
見とれてしまいました。

投稿: OZ | 2009年7月20日 (月) 14時52分

OZさんゑ

ご無沙汰しております、気まぐれ大歓迎でございます。また仕事が山のようにある様子ですが、しっかりと息抜きを取ってくださいませ。

で……根比べ!
ここの感覚において鈍磨してしまうことが一番マズイのかなア~って思います。

「もういいや」ってやっちゃうと、それまでの奮戦がすべて無に帰していくとでもいえばいいでしょうか、ウォルフレンが指摘したとおりの「シカタガナイ」っていう精神風土に丸飲みされてしまうのがそれなのかな……などと思うわけでして。

鋭敏な感性と挑戦がどこの世界においても大切ですね!

そんで、自画自賛ですが、うえの写真、ひさしぶりにナイス・ショットだと思います(苦笑)。

ちょうどスポット的に市井の職場での業務にアイドリングタイムができましたので、ちょいと息抜きに屋上へのぼったところ、大自然の巧まざる光景に圧倒されてしまいました。

絵はがきにもできそうです……って、それは冗談です。

投稿: 宇治家参去 | 2009年7月20日 (月) 17時12分

調子に乗って、またカキコします。

市井のお仕事、珍しく、アイドリングタイムなんて存在するんですねぇ~?

で、写真ですけど…
ほんとに素晴らしいですよshine
特にこのブログでは、写真が大きくパンチが効いているじゃないですか!だから余計に衝撃というか、感動しましたですよhappy02

これからも、素敵な写真楽しみにしています。
お仕事も他?も色々忙しくなるでしょうが頑張ってくださいませ。

はい、私も地道に頑張りますsmile

投稿: OZ | 2009年7月20日 (月) 20時21分

OZさんゑ

ありがとうございます。

アカデミズムにおけるアンリ・カルティエ=ブレッソンとはワタクシのことでございます。ライカのよく似合うちょいとメタボな素浪人といったところでしょうか。

最近なかなかいい写真がとれず、まずいよな~あって思っていた矢先の一コマです。

ほんと、こんなアイドリングタイムにかんしてもなかなか出てこないのですが、ちょうどシフト的にいれかわりのタイミングで、うんよく、レジを抜け、一服させて頂いた次第です。

これからもやばいショット?をおくり続けますのでどうぞよろしくおねがいします。

投稿: 宇治家参去 | 2009年7月21日 (火) 03時46分

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