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選挙とは将来に期待せらるべき自己の発達せる態度を他の人格に求むることである。

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社会評論雑談(抄)

    〔各人の利益は各人最もよく之を知る〕
 「各人の利益は各人最も能く之を知る」といふ諺がある。前世紀初頭の自由主義や不干渉政策は一つにはこの命題を主なる根拠とした。今日でも往々にして此の格言に基く一種の自由放任論を世上に見る事がある。説き様に依ては正しいが又説き様に依ては飛んでもない間違いを生ずる。
 何処が悪いのかは病人たる本人が最もよく之を知る。併し其れが何病にて如何の処置を必要とするかは医者でなければ分からない。世の中でも、「解決」は本人の要求を丁寧に聴いて専門家たる第三者が之をきめるといふ場合は普通の現象である。
 何時の世にも一知半解の徒は非常に多い。素人鑑定家、田舎政治家、劇通、角通、数へ立てれば際限もないが、概して彼等は其の道の一端を聞いて直に全斑の通を気取る。是れ虚誇人の衒ふの性分にも依らんか、一つには思ひ掛けない知識の獲得に由て有頂天になるの余り、自らを過大に評価するの錯覚に陥るのが常人に免れ難いからであらう。病人にしても同じ事だ。少し何かを聞きかぢると、やがて医者をそつち除けにして己れの病気は何病だ、何の薬を飲めば直るなどと云ふ。斯う云ふのを医者に対する病人の無政府主義と謂つてもよからうか。
 知識が広まれば専門家を必要とする程度は減ずる。之は疑がない。併し専門家を必要としないと云ふ事と聡明なる先覚者に訊るといふ事とを一所に排斥してはならない。
 「各人の利益は各人が案外に知らぬことが稀でない」。その本人を離れて之を知り得る途のないのは勿論だ。昔の専制政治は民衆と没交渉に民衆の利福を進めんとした所に抜く可らざる誤があつた。民衆の要求は到底之を聴かなければならない。立憲政治はこの真理に立脚する。併し乍ら民衆の要求は何に依て満足せられ得るかも亦民衆自身が最も能く知つて居るのかといへば、之は大なる疑問である。痛苦を訴ふる本人が其の何病たるを知らざるが如く、要求の対象の本体は案外にも本人にも分つて居ないことは普通でないか。其処で病人が医者に聴くが如く民衆は先覚者にきく。茲処に代議政治の理論的根拠がある。所謂代議政治否認論は、一面に於て「各人の利益は各人最もよく之を知る」の意味を取り違へたものと謂ふことが出来る。
 「各人の要求は各人に就て之を知るの外に途はない」。而かも如何にして各人の要求を満足すべきかは、各人自身之を知らないのが常である。茲処に指導の必要が起る。時としてまた強制の必要が起る。孰れにしても、「各人の利益は各人最もよく之を知る」といふ命題より、自由放任論をひき出すことは甚だ危険である。

    〔自由主義の根拠〕
 さればと云つて僕は自由主義に反対するものではない。僕も熱心なる自由主義者だ。たゞ僕の自由主義は人性に対する無限の信頼から来るのである。
 僕は人の性能は無限に発達するものなるを信ずる。今日の無知は必しも明日の無知ではない。故に我々は現在の無知に失望することなく、将来の聡明に期待する処なければならない。而して彼の性能は本来日に日に発達して熄まざるものなるが故に、我々の最も心して努むべきは、正しきを知ることよりも、常に正しきを知らんとする向上的態度でなければならぬ。斯くの如き倫理的態度を社会上政治上の活動に応用すれば、民衆は現在の無知を自覚して指導を聡明なる先覚者に托さなければならぬ。所謂代議制否認論は、民衆が自ら其現状に於て聡明謬る所なしと僭称するに異ならない。
 選挙とは将来に期待せらるべき自己の発達せる態度を他の人格に求むることである。他人の人格の内容によりよき己れを見出すことである。選挙権が人格の自由といふことに根拠して文化開発の上に一の重大な役目をつとむる所以は、主としてこの為である。
 人性の発達に対する無限の信頼といふことを外にして、自由主義の倚るべき基礎はない。
    --吉野作造「社会評論雑談(抄)」、『中央公論』一九二二年八月。

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哲学者ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel,1770-1831)と聴きますと、壮大な弁証法的哲学大系の論者、すなわち怜悧な思弁的思想家としてその人物像を思い起こしてしまいそうになりますが、彼の真骨頂とはそこにはなく、むしろ数々の『政治論文集』にみられるような、情熱的な政論家であったところにあるのでは……などとフト思う宇治家参去です。

しかしヘーゲルにあってはその体系的な側面とリアルな現実との格闘は全く関係のない別個の二物であったわけではないのでしょう。

ヘーゲルの言葉に「現実のなかにこそ理性的なものは宿る」というものがありますが、ヘーゲルのかなにあってはまさに両者は有機的・弁証法的に相互作用を与えていたことは間違いないのだと思います。

さて、明治時代の末期、こうしたヘーゲルの法哲学の骨格を論じたひとりが宇治家参去が研究している……私淑している……吉野作造(1878-1933)でございます。

ちょうど吉野が大学院時代に演習の課題としてまとめたのが、『ヘーゲルの法律哲学の基礎』であり、刊行物としては吉野の処女作になり1905年、有斐閣より出版されました。

以後吉野は民本主義の旗手として論壇をリードしていくわけですが、吉野の生涯もヘーゲルと同じように理論と現実との対話の連続であったのだろうと思われます。

理論的な陥穽を突くことも、そして現実の適応論の不備を突くことも実に簡単なことなんです。

吉野を批判する同時代の論者の文献を読んでいるとそのことを痛感します。

吉野の議論の不整合をつくことは実に簡単です。

しかしその検証作業をしているとおどろくことがあります。

すなわち、突く方は、どちらかにどっぷりとひたっている……その事実です。
現実を抽捨した理論家は手厳しくツッコミを入れるわけで、理論もヘッタクレもないと血眼になり革命を模索する現実主義者は、その不備を指摘してやみません。

しかし、どちらも両極端の極端であり、理論からも現実からも遠ざかるばかりなのでしょう。

雄々しく改善しゆくためには、不備を承知で不備を修繕しながら、一歩一歩すすんでいくしかない……。

そのことを吉野の文献を紐解きながら実感する……否、せざるを得ない……宇治家参去です。

ちょうど今日から東京都都議会議員選挙のようですね。

現実の対話を拒否した理論も理想も大風呂敷も不要です。
吉野が語る如く徹底的に現実と理念の対話を忘れず、生きている人間の眼差しを忘れず、汗をかいてくれる政治家の到来を希望するのみです。

ちょうど、息子殿が幼稚園から七夕の短冊をもってかえってきてくれました。

おそらく彼が成人する頃は、時代情勢としては今よりも悪くなっているのでしょう。

百年の計とは、そこにすまう人間のために存在するはずです。

未来への責任ある行動と実践に期待したいところです。

ちなみに息子殿の書いた短冊には「大学の先生になる」と書かれておりました。

うれしいやら、かなしいやら……。

本人に何を教えるのか?って聴いたところ、

「ポケモンがく(学)の先生」

……だそうな。

大学の先生になっていただくのは結構ですが、くれぐれも神学だとか倫理学だとか、哲学の道にはすすまないように……。

……ってことで、寝ます。

明日……精確には本日から……から仕事が六連チャンなのですが、嬉しいことに?1月に目黒で飲んで一緒に死んだ莫逆の友から緊急連絡があり、仕事にいくまでちといそがしい一刻一刻を送らねばならなくなってしまいまして……はやく寝た方がよいのですが、まだ飲み足りない……という状況で……。

人間という生き物は不思議な生き物です。
うえで吉野が指摘しているとおりで、自分本位でありながら、自分本位のために自分で動けばいいのに動けないという側面があるわけなのですが、どこかそれでも自分本位って錯覚してしまいます。

目指すべき自分本位の確立とは自分自身によってのみ成就できないのが実情なのでしょう。

そこを糺してくれるのが友かもしれません。

ひととの触れあいによって、本当に自分がすすめていかなければならない自分本位に軌道修正してくれるのは実にありがたいもので……。

吉野の最後の言葉……すなわち、

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 選挙とは将来に期待せらるべき自己の発達せる態度を他の人格に求むることである。他人の人格の内容によりよき己れを見出すことである。選挙権が人格の自由といふことに根拠して文化開発の上に一の重大な役目をつとむる所以は、主としてこの為である。
 人性の発達に対する無限の信頼といふことを外にして、自由主義の倚るべき基礎はない。
    --吉野、前掲書。

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このへんを、政治屋さんたちには深く理解してもらいたいものです。

でないと、息子殿が大学教員になったご時世には、宇治家参去の時代よりも厳しき状況だと想像されますから。

しかし、くどいようですが、神学だの云々はやらなくて宜し!

つうことで、青梅の地酒「多満自慢」(佳撰辛口・石川酒造)でも頂いて寝ますワ。
何しろ昨日は日本酒を封印したものですから……。

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