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権力者というものは、おのれの暴力行為をつねになにか宗教上の理想、世界観上の理想で飾りたてようとするものである

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 権力者というものは、おのれの暴力行為をつねになにか宗教上の理想、世界観上の理想で飾りたてようとするものである。
    --ツヴァイク(高杉一郎訳)「権力とたたかう良心」、『ツヴァイク全集 第一七巻』みすず書房、1973年。

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先ほど自宅へ戻ってきました……。
ちょいと市井の職場で突発休がかさなり、帰宅が長引いてしまったようで……。

ちょいと段ボールにパンチをしてきました。
突発休とは職場におけるテロリズム?かもしれません。

さて……
ご存じの通り、宗教に「名」を「借りた」テロリズムとは暴力に他なりません。
イスラームすべてが「原理主義」的「テロリズム」と断じてしまうメディアの偏向性には辟易としてしていまうものですが、「理想」を「飾りたてよう」とするところには、実のところ「理想」は現出しないのかも知れません。

宗教に「名」を「借りた」テロリズムの病巣をこのところ探究するなかで、オーストリアのユダヤ系作家・評論家として知られる孤高の思想家・ツヴァイク(Stefan Zweig,1881-1942)の文献を紐解いていたわけですが……ちょうどamazonのマーケットプレイスでゲットしたわけですが……その謎が氷解した思いです。

なにかに、宗教とか思想とか理想とか理念といったものが「誘導」「利用」されてしまうことほど恐ろしいことはありません。

だからこそ、賢明に懸命になるしかないのでしょう。

そもそも宗教……いわゆる世界宗教……とは人間を幸福へと導くものに他なりません。

幸福へ至るので在れば、自爆する必要も、異なる信仰者を破壊することも必要ありません。

そのへんのところを「生きている」「人間」の「感覚」として常に鋭敏にもっていかないと、なにかおおきな集団熱狂的な波が襲いかかってきたときに、その勢いを避け、非暴力的手段をもって対峙していくことはできないんだよな~、と最近そんなことばかり考えております。

人間を人間として、そのカテゴリーとして見ずに、代換不可能な唯一者として接していく……このへんを生きる流儀として確立していくしかないんだよな~、と最近そんなことばかり考えております。

最後にツヴァイクの師匠・ホーフマンスタール(Hugo von Hofmannsthal,1874-1924)の言葉で紹介しておきます。

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他人に対して傍観者の態度がとれる人であるか、それともつねにともに苦しみ、ともに喜び、ともに罪を受くる人であるかどうかは、決定的な差異である。後者は真に生きている人だ。
    --ホーフマンスタール(都筑博訳)『友の書』彌生書房、1972年。

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……ということで寝ますワ。
明日……というか本日は朝一で高尾(八王子市)へ出かけないとマズイので。

高尾へは、マスコミで仕事をしていたときに取材で一度、そして新宿で飲んで電車で寝て起きたら到着したのが一度……終電終わっていたのでタクシーで帰りましたが……訪問したきりです。

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