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Vodka Martini. Shaken, not stirred

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 形相を有となし形成を善となす泰西文化の絢爛たる発展には、尚ぶべきもの、学ぶべきものの許多なるはいうまでもないが、幾千年来我らの祖先を孕み来った東洋文化の根柢には、形なきものの形を見、声なきものの声を聞くといったようなものが潜んでいるのではなかろうか。我々は心の此の如きものを求めてやまない。私はかかる要求に哲学的根拠を与えて見たいと思うのである。
    西田幾多郎「働くものから見るものへ」、上田閑照編『西田幾多郎哲学論集I 場所・私と汝 他六篇』岩波文庫、1987年。

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無事、夏期スクーリング3日目を終えた宇治家参去です。

まだ終わっておりませんが昨年と較べるとハードです。
昨年は三度飲みに逝きました……。
うち記憶という人間の一機関を喪失したのは全くありませんでした。

ことしもすでに三度飲みに逝きました……。
ことしはすべての記憶という人間の一機関を全て喪失したようです。

こうした場合、反省という内省としての正座の時間がながくなるので……それはそれで大事なのかも知れません。

そして、参加してくださる方が“喜んで”下さるのであれば、宇治家参去自身の味ということなのでしょうか……ご寛恕頂きたいところですが、いくらご同道頂いた方に“喜んで”頂いたとしても、どうして反省という内省として正座の時間がながくなってしまいます。

それとおなじことが一回一回の授業をしても、おなじように「これでよかったのか?」「あれはどうだったのだろうか?」……生来がナイーヴでシャイなチキン野郎ですのでいつも反省することばかりです。

夏期スクーリングは4日ほどかけて行われるわけで、それを組み立てる……いわば、哲学者・西田幾多郎(1870-1945)が言うが如く「形なきものの形を見、声なきものの声を聞く」仕込の作業に関しては毎度毎度更新をして「更に善いものを!」と取り組んでおりますが、やはり実際に授業として展開してしまうと、「これでよかったのか?」「あれはどうだったのだろうか?」などと反省することばかりで、連日忸怩たる宇治家参去です。

ともあれ、倫理学そのものが不可避的に「形なきもの」であり「声なきもの」であり、学問としてはそれに「形を与え」そして「声を聞く」学問ですから、どうしてもその違和感が当事者としても残るものですが、こうしたズレが必然的に伴送するものですから、逆に言えば、「これでOK!」っとして「開き直る」「居直る」ことができない学問というわけで、必然的にナイーヴにならざるをえないのですが、考え方を変えてみれば毎度毎度反省の契機を与えてくれるというのは、ありがたい学問なのかもしれません。

さて……。
周知の通り、夏のスクーリングは、全国から学生さんたちが集うわけで、ここでも不可避的にかつて自分と一緒に学んだ学生さんたちと遭遇します。

今回も数十人の受講生さんと出会いました。

お昼は昨年受講された愛知県のTさんと一緒にさせて頂き、「秋期スクーリング予約します!」とバンコックのI氏とも御一緒に頂き、感涙の至りです。

ほんとうにちんけな?授業なのに

「ファン?です」
「もう一度受けたいです」
「先生に会いたかったんです」

……そういう言葉が多く、

「おおっ!」

……って思いました。
独り言ですが、……皆さんスルーして下さい!……これがいわゆる“手前味噌”の境地です!……で、自分自身はわるい従業をしているのではなく、授業をがおわったあとに“砂金”を残せる教師だったんだ!などとちと……正直いえば、……嬉しかった次第です。

が!!!!!
……いずれにしましてもここに安住してはならないのでしょう。
皆様ありがとうございました。

そしてライヴ?で今回受講されている皆様方!
明日の一コマで授業はおわりますが、最後まで頑張りますので、どうぞ宜しくお願いします。

……ということで?
授業終了後、夕刻より宇治家参去倫理学1期生……すなわち2年弱前に始めて通信教育部で教鞭をとった最初の授業の受講者さん……から、まえまえまら「飲みにいきましょう!」……って誘われておりましたので、チト軽く!逝ってきました。

本学『倫理学』は2年次以上の履修可能科目になるわけですので、ちょうど彼が2年生の初夏にはじめて地方の教室で出会い、熱い二日間を過ごさせて頂いた訳ですが、昨年は都合上一度も呑むことが出来ず、その弔い合戦?とばかり、本日は闘わせて頂いた次第です。

今回は、本格派の英国パブにて乾杯してきました!
彼は飲めないのですが、こちらがハンパ無く良い酒を呑むことを誰よりも?知っておりますので、「先生の喜びそうなお店を予約してきました!」

……ということで
3時間余りの濃密な夜の倫理学の授業ができた!次第です。

ありがたいものです。

大変な状況の中、4年間の必死の奮闘で、来る3月に卒業が見えた!とのこと。
教職も取得し、来年度の採用試験に挑戦するとのことで、あつく握手を交わした次第です。

人間、あきらめなければなんとなかなる……そのことだけは本当かもしれません。
しかしあきらめないということは、「努力」が必要です。
しかし、努力をするということは、文豪・ゲーテ(1749-1832)が「人間は努力する限り迷うもの」と語っているとおり、かならず「迷い」「悩み」が出てくるものです。

しかしそれにまけずに挑戦するなかで、自分自身の使命が見えてくるのかも知れません。

かえってこちらがはげまされたようで……。

ちなみに、本格英国ビールを2L弱、ウィスキー・ロック・ダブルを3倍、カクテル1杯……ですが、ウィスキー関係は不思議なことに全く酔いません。

カクテルはいうまでもなくマティーニですが、

ここはいっちょ、敬愛する007のジェームズ・ボンドばりに

「Vodka Martini. Shaken, not stirred.」

……と注文させて頂いた次第です。

久し振りにやりましたが、旨かった!

ともあれ、現状に甘んじることなくたえずレコンキスタしていく精神で、さらなる学問道を追求していかなければならぬ!そのことを自覚したひとときでした。

明日は最後の一コマです!
みんな“泣かせてやる?”……の勢いで最高の授業を組み立てて参る所存です。

……ということで、あれだけ飲んだのですがまったく酔っておりませんので、これから日本酒をちょいとやって寝ますワ。

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