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理想が製造されるこの工場は--真赤な嘘の悪臭で鼻がつまりそうに思われます

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  --地上においてどんな風にして理想が製造されるかという秘密を、少しばかり見下ろしたいと思う者が誰かあるか。その有機をもっている者が誰かあろうか…… よろしい! ここからはその暗い工場の内がよく見える。わが物好きの冒険者君よ、暫く待ちたまえ。貴君の眼は、まずこのまやかしのちらちらする光に慣れなければならない…… そうか! ではよろしい! さあ、話してみたまえ! 下では何が起こりつつあるか。最も危ない物好き屋君よ、貴君の眼に映る事柄を話してみたまえ--今度は私が聴き役だ。--

 --「何も見えません。それだけによく聞こえます。用心深い、陰険な、低い囁きと呟きがあらゆる隅々から聞こえてきます。私にはごまかしを言っているように思われます。どの声もすべて猫撫声です。弱きを嘘でごまかして手柄に変えようというのです--確かにそうに違いありません--全くあなたのおっしゃったとおりです。」
 --それから!
 --「そして返報をしない無力さは『善さ』に変えられ、憶病な卑劣さは『謙虚』に変えられ、憎む相手に対する服従は『恭順』(詳しく言えば、この服従の命令者だと奴らが言っている者に対する恭順、--奴らはこれを神と呼んでいます)に変えられます。弱者の事勿れ主義、弱者が十分にもっている憶病さそのもの、戸口に立って是が非でも待たなければならないこと、それがここでは『忍耐』という立派な名前になります。そしてこれがどうやら徳そのものをさえ意味しているようです。『復讐することができない』が『復讐をしたくない』の意味になり、恐らくは寛恕をさえも意味するのです(『かれらはその為すところを知らざればなり--かれらの為すところを知るのはただわれわれのみ!』)。その上、『敵への愛』を説き--そしてそれらを説きながら汗だくになっています。」
 --それから!
    --ニーチェ(木場深定訳)『道徳の系譜』岩波文庫、1964年。

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今朝は早く起きることが珍しくできましたので、朝からスクーリング試験の採点をそうそうに済ませ、昼からレポートを添削しているともうこの時間となり、こ1時間もすれば、地獄の釜がぐつぐつと煮たって眼鏡が曇ってしまう市井の職場の再開です。

ちなみに昨夜はタイのシンハビール(Boon Rawd Brewery Co., Ltd.)をやりましたが、さっぱりしていて暑い夏はぴったりです。もう1本かっておくべきでした……。

さて……
今回、学生さんの経験そのものを学の立場から言説化させるという作業をやったり、筆記してもらいましたので、それを聞いたり、読んだりするなかで、くどい話ですが、自分自身もまた頑張ろうと思ったわけですが、理想や理念といったものは、決して人間世界に存在しないものでもなく、泥沼の奥地に埋没してしまったものでもなく、同時に、世界へ還ってこない遠い遠い星空の中の世界にだけあるものでもないんだよな……そのへんを深く確認できたように思います。

基本的に、人間は理想とか理念的なるものが、いきている現在からちょいと離れているお陰で、「現実」を照射させることが可能になります。

そのことによって、たゆみのない歩みがはじまるわけですが、どこまでいってもその理想とか理念的なるもが、プラトニックに“届かない”叡智界にだけ存在するものでしかなかったとすればそれはそれで現実に対する機能としてはあまり意味のないものになってしまうのかもしれません。

思想史を振り返ると、プラトン主義的な二元論のアプローチが基本的には興隆をきわめ、その通底を流れていたフシがあります。

その反省からなのでしょうか。
現代においては、どちらかといえば、「理想とか理念的なものなんてないのサ」と嘯く風潮が顕著で、もちろん、プラトン主義的なアプローチに問題があったとしても、理想とか理念的なるものは、人間にはまったく必要ないのかといえばそうでもないのでしょう。

反省の契機を欠いた人間はまさに、スペインの思想家・オルテガ(José Ortega y Gasset,1883-1955)が指摘する「慢心しきったお坊ちゃん」であり、積み重ねてきた人間の「矜持」というものを自ら脱ぎ去る行為でしかないのかもしれません。

いずれにしても、現実的なるものと理想・理念的なるものは相即的な有機的な関係であり、そのダイナミズムのなかにこそ現実を変革し、一歩歩みを不断にすすみゆくヒントが内在されているのではないだろうか……そのように思われて他なりません。

日中は家にいたので、ときどきニュースをみたり、ネットでの配信記事を時折ながめながら、世界を観じていると、そこから垂れ流されてくる理想とか理念的なるものが、どうしても山師的なそれであると同時に、現実不可能なマヤカシのザレゴトにしか聞こえず、いったい真面目に仕事をしているのはだれなのだろうか……ふと足を抱え込む次第です。

とわいえ、足を抱え込んでもはじまりません。
自分自身の仕事や生活のなかで、人と向かいあい、言葉をかわすなかで、しかもそれがあとになって気が付くような……地殻変動を無名戦士として起こしていきたいものです。

スローガンが前に立ち、職業革命家やデマゴギーに煽動された急進主義的アプローチは結局の所、まったく人間のためという結果を生んだことがありません。

「シカタガナイ」と諦めることなく、できるところから手をつけてゆく日々でありたいものです。

何しろ「工場」で製造された「理想」ほど「理想」と遠くかけはなれたものはありませんから。

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