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赤羽、東十条界隈・・・

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 第一に、真剣に哲学者になろうとする人は誰でも、「一生に一度は」自分自身へと立ち帰り、自分にとってこれまでは正しいと思われて来たすべての学問を、転覆させ、それを新たに建て直すように試みるのでなければならない。哲学ないし知恵とは、哲学する者の一人一人に関わる重大事である。それは自分の知恵とならねばならず、普遍的に探究されるものでありながら自ら獲得した知として、初めからそしてその歩みの一歩一歩において、自らの絶対的な洞察に基づいて責任を持てるような知、とならねばならない。このような目標に向かって生きる決心によってのみ、私は哲学者となるのだが、もしこのような決心をしたなら、それによって私は、まったくの無知から始める道を選んだことになる。そこでは明らかに、真正な知に導いてくれる前進の方法をどうしたら見出すことができるか、について考えることが第一である。したがって、デカルトの行った省察は、デカルトという哲学者の単に個人的な事柄を目指したものではなく、もしてや、ただ印象深い文学的形態をもって最初の哲学的基礎づけの叙述を目指したものでもない。それはむしろ、哲学を始める者やそれぞれに必要な省察の原型を表しており、そこからのみ哲学は根源的に誕生することができるのだ。
    --フッサール(浜渦辰二訳)『デカルト的省察』岩波文庫、2001年。

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現象学の祖エドムント・フッサール(Edmund Gustav Albrecht Husserl,1859-1938)を繙きつつ、たしかに「第一に、真剣に哲学者になろうとする人は誰でも、『一生に一度は』自分自身へと立ち帰り、自分にとってこれまでは正しいと思われて来たすべての学問を、転覆させ、それを新たに建て直すように試みるのでなければならない」わけだなア~、ということで? これまで見た知見や憶測、経験にたよるだけでは真正の哲学者になることはできない!

……ということで、ちょいと野暮用で赤羽・東十条界隈へ昨日は細君と行ってきました。
赤羽・東十条といえば、いわゆる東京都北区の中心地になるのでしょうが訪問したのは初めてです。

むかし、

東京外国語大学(現在は府中市)の西ヶ原キャンパスで同大学を受験したとき訪問したのが最初で、次は、学生時代、チェロを弾いていたとき、王子の「北とぴあ」を会場に、ブラームス(Johannes Brahms,1833-1897)の交響曲の2番か4番かのどちらかを演奏したときにその前後訪問したきりです。

ですから、中心部といいますか、ディープ・ミッド・北区のようなところは、列車に通過したぐらいしかなく、今回が初めてでしたが、

いやはや……

「それは……
 哲学者・宇治家参去が、はじめて〔知人〕を訪れるための汽車の旅であったが、〔国境〕の長いトンネルを抜けると、
 (あっという間に……)
 そこは〔灼熱地帯〕であった。」

……?

といわけで、いやはや……

暑うござんした。

赤羽で降りると、よさげな「居酒屋」が軒をつらね、昼過ぎに到着しましたが、体が自然にそちらの方向へ向かっていってしまう本能を断ち切り、「ポテトチップス」で有名なカルビー(株)本社を横切ると、さすがに、赤羽が「交通・商業の中心地」と表現されているごとく、物流拠点がおおいなア~と思い、ひとつ南にある東十条の方まで散策した次第です。

いや、しかし暑うござんした。

息子殿は火曜日に細君の実家に帰省しており、今回は同行しておりませんので、そのかわり?に東十条駅で、ちょいとポケモンラリーのスタンプを押してから、今度は北赤羽に向かい、駅を降りると、壮大な荒川が駅から眺望でき、川面を走る風に汗を少し引かせて頂いた次第です。

要件を済ませると、小腹が空いており、あたりを見まわしましたが昼食時をすぎており、テキトーにというわけにもいかず、駅前の「笠置そば」にて、空きっ腹を充たしましたが、暑い中だからこそ、あつあつの「天ぷら蕎麦」で却って汗がひきしまるというのはこのことなのでしょう。

さて、帰路へと着きましたが、宇治家参去としては、赤羽でちと途中下車してから、気のきいた肴、たとえば、鮪のづけと山芋の和え物のようなもので、生ビールをぐっとやりたいところでしたが、細君がウルサイので、池袋で下車させてもらい、構内のロンドン・パブにて、「バス ペールエール」を1パイントで頂き、イッキのみで本日の任務完了です。

いやはや、暑かった!
けど、ちと体も心も燃え?
北区に対する昔の印象だけでなく、感慨を新たにすることができた!という意味では、所定の目標、すなわち「第一に、真剣に哲学者になろうとする人は誰でも、『一生に一度は』自分自身へと立ち帰り、自分にとってこれまでは正しいと思われて来たすべての学問を、転覆させ、それを新たに建て直すように試みるのでなければならない」というところはひとつ達成されたのではなかろうかと思います。

帰宅後、慰労会を宇治家参去一家郎党御用達の「ささ花」にて行いましたが、そのレポートはまた後日??

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とりあえず、動くことが出来たという意味ではよしとしておきます。

ただしかし、北赤羽で「笠置そば」に再会したのは驚きで、真夏の炎天下にもかかわらず、暑い一杯を頂いたお陰で、バスペールエールの琥珀色が染みこむ! 染みこむ!

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