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【覚え書】「文化 村上春樹氏『1Q84』を語る」、『毎日新聞』2009年9月17日付(木)。

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「文化 村上春樹氏『1Q84』を語る」、『毎日新聞』2009年9月17日付(木)。

「来夏めどに第3部」

連合赤軍とオウムの間の時代
理想主義挫折が混沌を招いた

 5月に出した長編小説『1Q48』(第1、2部、新潮社・各1890円)が大きな話題となっている作家、村上春樹さんがこのほど、毎日新聞のインタビューに応じた。1980年代の日本を舞台に「個人とシステムの対立」を描いた重層的な物語だが、村上さんはさらに第3部を執筆中であることを初めて明らかにした。新作に込めた思いを聞いた。   【構成・大井浩一】

■最初は『1985』
 --『1Q48』は現在、2巻とも18刷を重ね、「BOOK1」が123万部、「BOOK2」が100万部。驚異的な反響を巻き起こした。
 「僕の固定読者は、長編で約15~20万人いると自分では考えています。それくらいだと、自分の発信したものがそれなりに受け止められているという手応えがある。50万、100万となっちゃうと、どんな人が読んで、どんな感想をもっているかはなかなか見えないですよね」
 --ジョージ・オーウェル『1984年』(49年)に由来する謎めいたタイトルも魅力的だが、これには秘話がある。
 「最初は『1985』にするつもりでした。でも、執筆中に、オーウェル作品を映画化したマイケル・ランドフォード監督と話していて、英作家アンソニー・バージェスが『1985』という作品を書いていたのに気がついた。いろいろ考えた末に『1Q84』に変えて書き上げたあと、インターネットで調べたら、浅田彰さんがやはり同じ題で音楽カセット付きの本を出されていると分かりました。もうゲラ校正を進めている段階だったので、浅田さんにお知らせしました。という紆余曲折があるんです」
 --刊行から3ヶ月余り。この間、なされた批評について聞くと……。
 「全く読んでいません。いつも読まないんだけど、特に今、『BOOK3』を書いているから。まっさらな状態で執筆に集中したいから。1、2を書き上げた時はこれで完全に終わりと思っていたんです。バッハの平均律をフォーマットにしたのは、もともと2巻で完結と考え、そうしたわけです。でもしばらくして、やっぱり3を書いてみたいという気持ちになってきた。これからの物事はどのように進んでいくのだろうと。時期的にはなるべく早く、来年初夏を目安に出すことを考えています」
 --主人公は、ともに30歳独身の「青豆」という名の女性、「天吾」という男性の2人。物語が進につれ、両者の思わぬ関係が次第に明らかになる。普段はスポーツインストラクターとして働き、許しがたい家庭内暴力を振るう男をひそかに「あちらの世界に送り込む」仕事にも手を染める青豆は、従来の村上作品にないキャラクターだ。
 「昔は女性を描くのが苦手でしたが、だんだん自由に楽しく描けるようになってきました。青豆もその延長線上にあるので、特に意識して造形したのではありません。それに、現代は女性のほうがシャープで大胆だし、自分の感覚に対して自信を持っている描きやすい。男はどうも最近元気がないし(笑い)、強い男を描くことは難しくなりつつあるかもしれない。いずれにせよ、少しずつでもいいから描く人物の幅を広げて、物語を刺激していきたいと考えています」

■個人を二重に圧殺
 --舞台の80年代は、大学紛争などで揺れた60~70年代や、冷戦構造が崩壊した90年代に比べ、穏やかにも見える。全共闘世代の一人として「政治の季節」を経てきた作家は、なぜこの時期に注目したのか。
 「僕らの世代の精神史が大前提にあります。カウンターカルチャーや革命、マルクシズムが60年代後半から70年代初めに盛り上がって、それがつぶされ、分裂していきます。連合赤軍のようにより先鋭的な、暴力的な方向と、コミューン的な志向とに。そして連合赤軍事件で革命ムーブメントがつぶされた後は、エコロジーやニューエイジへ行くわけです。連合赤軍に行くべくして行ったと同じ意味合いで、オウム的なるものも生まれるべくして生まれたという認識があります。オウムそのものを描きたかったのではなく、われわれが今いる世界の中に、『箱の中の箱』のような、もう一つの違う現実を入れ込んだオウムの世界を、小説の中に描きたかった」
 --『1Q84』では、人々はいつの間に家『1Q84年』の世界へ移っていく。そこには連合赤軍を思わせる「あけぼの」、オウムを思わせる「さきがけ」といった集団が登場する。
 「偶然の一致ですが、オウムが最初に道場を開いたのは84年です。60年代後半の理想主義がつぶされた後の80年代は、オイルショックとバブル崩壊の間に挟まれ時代。非常に象徴的だと思う。そこには60年代後半にあった力が、マグマのように地下にあって、やがてはバブルという形になって出てくる。バブルは、はじけることによって結果的に戦後体制を壊してしまう。そうした破綻へ向けて着々と布石がなされていたのが80年代です。理想主義がつぶされた後に、何を精神的な支柱にすべきかが分からなくなった。今もある混沌はその結果なんですよ」
 --95年の地下鉄サリン事件の被害者らに取材し、『アンダーグラウンド』などのノンフィクションも書いた。今年2月のエルサレム賞授賞式での講演では、個人の魂と対立する「システム」について語った。
 「個人とシステムの対立、相克は、僕にとって常に最も重要なテーマです。システムはなくてはならないものだけど、人間を多くの面で非人間化していく。サリン事件で殺されたり傷を負わされたりした人も、オウムというシステムが個人を傷つけているわけです。同時に、実行犯たちもオウムというシステムの中で圧殺されている。そういう二重の圧殺の構造がとても怖いと思う。自分がどこまで自由であるかというのは、いつも考えていなくてはならないことです」

■物語の「善き力」を
 --宗教も革命思想も、「システムの悪」を発動し得るという面は共通する。
 「今の社会では否寛容性、例えば宗教的な原理主義や、旧ユーゴスラビアのようなリージョナリズム(地域主義)が問題になっています。昔は共産主義対資本主義とか、植民地主義対反植民地主義といった大きな枠組みでの対立だったのが、だんだんリージョナルなもの、分派的なものになって、それが全体を見通すことが困難な混沌とした状態を生み出しています」
 --『1Q84』に、破壊的な力を持つ「リトル・ピープル」という不思議な存在が現れる
 「リトル・ピープルがどういうものか、善か悪か、それは分からないけれど、ある場合には悪しき物語を作り出す力を持つものです。深い森の中にいるリトル・ピープルは善悪を超えていると思うけれども、森から出てきて人々にかかわることによって、ある場合には負のパワーを持つのかもしれません」
 --とわいえ、善悪や価値観の対立を、単に相対化するのではない。
 「僕が本当に描きたいのは、物語の持つ善き力です。オウムのように閉じられた狭いサークルの中で人々を呪縛するのは、物語の悪しき力です。それは人々を引き込み、間違った方向に導いてしまう。小説家がやろうとしているのは、もっと広い意味での物語を人々に提供し、その中で精神的な揺さぶりをかけることです。何が間違いなのかを示すことです。僕はそうした物語の善き力を信じているし、僕が長い小説を書きたいのは物語の環を大きくし、少しでも多くの人に働きかけたいからです。はっきりいえば、原理主義やリージョナリズムに対抗できるだけの物語を書かなければいけないと思います。それにはまず『リトル・ピープルとは何か』を見定めなくてはならない。それが僕のやっている作業です」

むらかみ・はるき 早大卒。06年にフランツ・カフカ賞、09年にエルサレム賞(イスラエル)を受賞。作品は40を超える国・地域で翻訳されている。60歳になった今年は、『風の歌を聴け』でのデビューから30年に当たる。

『1Q84 BOOK1』『1Q84 BOOK2』
いずれも「青豆」と「天吾」の章が交互に書かれ24章から成る。村上さんによると、12音階のすべての長調・短調を用いた24曲づつ2巻という「バッハの『平均律クラヴィーア曲集』がフォーマット」。すなわち「青豆と天吾の章がメジャー、マイナーの順で交互に出てきて24章という形で完結している」。作中にも、予備校の数学講師の天吾が「バッハの平均律」への思いを語る場面が出てくるが、いかに考え抜かれた構成かが分かる。

村上春樹さんの主な作品
1979年 『風の歌を聴け』(群像新人文学賞)
 80年 『1973年のピンボール』
 82年 『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)
 85年 『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞)
 87年 『ノルウェイの森』(上・下)
 94~97年 『ねじまき鳥クロニクル』(第1~3部、読売文学賞)
 97年 ノンフィクション『アンダーグラウンド』
2002年 『海辺のカフカ』(上・下)
 09年 『1Q84』(第1、2部)

    --「文化 村上春樹氏『1Q84』を語る」、『毎日新聞』2009年9月17日付(木)。

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忙しく考察する時間がないので【覚え書】にてお茶を濁す宇治家参去です。
ちょうど新聞を読んでいると興味深いインタビューがあったので紹介した次第です。

いろんなものを読みますが、村上春樹(1949-)さんの作品もよく読みます。
といいますか、とりあえずは全部読んでおります。ただこの最新の長編小説はまだ読んでおりません。入手はしましたが、「楽しみはあとにとっておこう」ということで、手をつけず、原稿、論文、入試などすべての忙事がおわってから、--そうですねえ、春先にでも読もうかと思っているのですが、批評とかのたぐいでなく、著者の肉声を聴いてしまうとどうしても手をつけたくなってしまうのですが、ちょいと我慢しておきます。

さて、作品以上に関心をもったのが、作中で提示される80年代という時代です。
宇治家参去の場合、義務教育・高等学校時代というのがこの80年代です。

たしかに60年代から70年代がリアルな政治の季節であり、先鋭かした理想主義が解体していく時代です。

そして、90年代といえば、バブルという言葉に象徴されるように、加熱していく経済誌上主義の飽和と解体と混乱の開始する時代です。

なまなましい時代に挟まれた80年代とはどういう時代だったのか--。

自分自身の中でも、あまりイメージがなく、意識したことのなかった時代です。

その時代の空気を匂い、雑音に耳を傾けてみると、現在の人間の立ち位置というものがおぼろげながらにも理解できるかもしれません。

しかし「物語」る「作家」として知られる村上春樹さんは、その時代状況をうまく描写するものです。

 「僕らの世代の精神史が大前提にあります。カウンターカルチャーや革命、マルクシズムが60年代後半から70年代初めに盛り上がって、それがつぶされ、分裂していきます。連合赤軍のようにより先鋭的な、暴力的な方向と、コミューン的な志向とに。そして連合赤軍事件で革命ムーブメントがつぶされた後は、エコロジーやニューエイジへ行くわけです。連合赤軍に行くべくして行ったと同じ意味合いで、オウム的なるものも生まれるべくして生まれたという認識があります。」

 「偶然の一致ですが、オウムが最初に道場を開いたのは84年です。60年代後半の理想主義がつぶされた後の80年代は、オイルショックとバブル崩壊の間に挟まれ時代。非常に象徴的だと思う。そこには60年代後半にあった力が、マグマのように地下にあって、やがてはバブルという形になって出てくる。バブルは、はじけることによって結果的に戦後体制を壊してしまう。そうした破綻へ向けて着々と布石がなされていたのが80年代です。理想主義がつぶされた後に、何を精神的な支柱にすべきかが分からなくなった。今もある混沌はその結果なんですよ」

通常、政治の季節としての60-70年代、そして現在の直接的発端としての90年代は人口に膾炙されることが多いですが、その間欠泉としての「80年代」……振り返ってみる必要があるかもしれません。

……ということで、飲んで寝ます。

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