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其天職は外部より物を改革するの事業を為すに在らずして先づ心を改革し……

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耶蘇は直接に此世の国を設立せんがために来しりに非ず。其経営する所の国は即ち神の国なり。其天職は外部より物を改革するの事業を為すに在らずして先づ心を改革し、神と人の関係を一変して、而して後に自づから外部にも善き結果の現はれんことを期するに在り。基督は決して国勢を軽んじ、社会改良を蔑如し、制度理財等のことを等閑(なほざり)にせよと教らへられしにあらず。然れども其の直接に従事する所の事は斯る種類の改革に非ずして、霊性に関することにてありしなり。故に相続争ひなどに関渉(くわんしよう)し、法律上の事務に立ち入りて、権利名分を明かにするが如きは、其の敢て為さざりし所なり。然れども紛争の根原に溯り、其の本(もと)を正しうするの順序に従ひ、更に語を続け、衆人に告げて曰く、心して貧心(たんしん)を慎めよ、夫れ人の命は有(も)つものヽ豊かなるには由らざるなりと。基督は己れの利を貪り、我欲を張りて、道を乱り、徳を破ること甚だしき此世界に来り、己を虚うし、身を謙りて、十字架に死するまでも神に従ひ以て之を改革せんと欲せしものなり。人の命は有つものヽ豊かなるには由らざるなり。
    --植村正久『霊性之危機』警醒社、明治三十四年。

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明治期に再渡来したキリスト教……その主流は福音主義的プロテスタンティズムがメインストリームなのですが……の言説を今月は念入りにひもとく宇治家参去です。

本当ははやく吉野作造をまとめる必要があるのですが、月末締めの原稿で、明治期のキリスト教の言説……とくに福音主義の橋頭堡を守ったとされる植村正久(1853-1925)……で1本書かなくてはならず、格闘?する毎日です。

明治以降から特に戦前日本のキリスト教受容の特色が何かといった場合、「修養倫理」として受容されたところにそのひとつを見出すことが可能です。

たしかに、「其天職は外部より物を改革するの事業を為すに在らずして先づ心を改革」すること、すなわち根源的問題としての個人の生き方の問題を大切するわけですのでそのことを否定することはできませんし、これはあらゆる世界宗教に共通したポイントでもあるわけです。

しかし、「心の改革」から「外部」へ溢れ出していくというのも宗教のもうひとつの性質ですから、「働きかけ」の事業も必然的に勃興してきます。

日本の社会福祉事業の歩みを振り返ってみると、そのほとんどがキリスト者によって行われてきたことを勘案するならば、その「心の改革」から発する「物を改革するの事業」への飛翔にも納得するというものです。

しかしながら、現実的には、その割合というものは極めて低く(事業としての実績には割合以上に評価はなされているにもかかわらず)、全体としてはやはり、個々人の倫理・生き方としての「修養倫理」としての受容に留まった側面は否定できません。

もちろん、もともとそうした発想を持たない日本という異国で異教を宣教するということは並々ならぬエネルギーが必要とされますし、その共同体を守り抜く努力=教会形成というものもそれ以上に大切になってきますので、一概に「結果」として「修養倫理」として受容されてしまったことを否定することはできません。

しかしながら、「心の改革」とは不可避的に「物を改革するの事業」へと連結するものでもありますので、そのあたりをどのように個人のなかで伸張させていくのか……このあたりは難しい問題ですが、彼らの軌跡を辿っていくとなにかひとつの参考が見えてきそうな気もします。

植村系の福音主義は、「其天職は外部より物を改革するの事業を為すに在らずして先づ心を改革」すること、そして教会形成に重点が置かれ、どちらかというと、「物を改革するの事業」へと直結することは稀だったといえますが、対して「物を改革するの事業」へと熱心であったひとびともそれなりには存在します。

たとえば、植村と神学的には対立した海老名弾正(1856-1937)の門下や友人たちからは、多数の社会事業家、(初期の)社会主義者、そして政治家が輩出されてゆきます。もちろん海老名においても基本は「先づ心を改革」することが重点におかれているのはいうまでもないのですが、その各人における展開も重視されており、様々な活動家たちが輩出されたものです。

しかし、「物を改革するの事業」へと熱心にありすぎるとどうなるのか。その根本である「先づ心を改革」することが等閑になってしまうことも多々あり、この関係は本当に難しい……そう思われて他なりません。

以前にも論じたとおり、宇治家参去は、(こうした宗教の文脈で理想的に謂えば)教団とか組織とか団体が、何か具体的なアプローチとしてものごとをリードする時代というのはすでに終わっているという自己認識があります。

何か具体的に「物を改革するの事業」を指導・指揮することよりも、「先ず心を改革」し、そして「物を改革するの事業」に関しては、薫育された心を基礎に自分自身で組み立てていくことが大切なのかな……とは思うのですが、理想的には。

しかし、難しいですね。

どちらが先と、どちらが偉いというわけではありませんが、宗教史を振り返ってみるとそのことを至極実感します。

しかし何か具体的に「物を改革するの事業」を指導・指揮することよりも、「先ず心を改革」し、そして「物を改革するの事業」に関しては、薫育された心を基礎に自分自身で組み立てていくことが大切な気持ちは否定できません。

……って、話が錯綜してきましたが、その意味では来月からもう一度、最終的に本格的に取り組んでいかなければならない吉野作造(1878-1933)は、心と物に関して類い希なる軌跡を描いた人物であることは間違いありません。「先ず心を改革」し、そして常に「改革」し続けながらも、「物を改革するの事業」が密接にそれとリンクされ、そして自分でそのコンテンツを組み立て続けた人物なのですが、そこをもう少し読んでいくと、なにか具体的な参考・光明が見えてくるのかも知れません。

……ということで?

シルバーウィークはすべて仕事で、「をぃ!」って叫びそうなのですが、昨日は休みでしたので、“たまには”「物を改革するの事業」もしなければ! ということで夕食をつくってみました。

味の素の「Cook Do」でちゃちゃっとつくりましたが、この手の火力とスピードが勝負です!という料理は、男性の方が得意かも知れません。

細君がつくるよりも上出来で?、われながら、「これお店レベルの味やんけ!」と唸った次第です。

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