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旨いもの・酒巡礼記:東京都・武蔵野市編「すず音」

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 閉じた社会と開いた社会 我々の分析の成果のひとつは、社会的領域において、閉じたもの(Le close)を開いたもの(L'ouvert)から根本的に区別することであった。閉じた社会とは、他の人々に対しては無関心なその成員たちが、つねに攻撃または防備に備えて、つまり、戦闘態勢をとらざるを得ないようになって互いに支え合っているような社会のことである。人間社会は、自然の手から離れたてのときは、そのような社会である。蟻が巣のために作られているのと同様に、人間はこうした社会のために作られていた。類推を濫用してはならないが、しかし、我々は次の点に注目すべきである--すなわち、人間社会が動物進化の二つの主要線の一方の末端に位しているのと同じように、膜翅類の共同社会は他の一線の末端に位置しており、この意味で、この二つの社会は対をなしている。もちろん、人間社会はさまざまに変化するのに反して、膜翅類の共同社会は型にはめられている。前者は知性に従い、後者は本能に従う。しかし、自然は、我々を知性的に作ったというまさにそのために、社会組織の型をある点までは自由に選択するのを我々に許したにしても、やはり社会生活を営むように我々を定めた。魂に対して重力と物体の関係と同じような関係を保つ一定方向のある力が、個人的意志を同一方向に向かわせて、集団の凝集を確保する。道徳的責務はこのような力である。我々が明らかにしたように、道徳的責務は開く社会においては拡大し得るが、元来それは閉じた社会のために作られていた。さらに我々は、閉じた社会は、想話機能から生まれ出た宗教によるほかは、生存することも、知性の分解作用に抵抗することも、不可欠な信頼を保持してそれをその成員各自に与えることもできないのは、どうしてであるのか理由も明らかにした。閉じた社会は、我々が静的(スタチック)と四だこうした宗教と一種の圧力にほかならないこうした責務によって、構成されている。
 閉じた社会から開いた社会へ、都市(シテ)から人類への移行は、単なる拡大によっては決して可能ではないだろう。この両者は同一本質のものではない。開いた社会とは原則的には、全人類を包含するような社会のことである。こうした社会は、若干の選ばれた魂によって、時折夢想されたものであって、創造の度毎にそれ自身の何物かを具体化する。こうした創造のひとつびとつが、深浅の差はあっても人間を変化させて、それまでは克服不可能だった諸困難の克服を可能にする。
    --ベルクソン(平山高次訳)『道徳と宗教の二源泉』岩波文庫、1977年。

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ベルクソン(Henri-Louis Bergson,1859-1941)によると、個の人間存在と共同体との関係はおおむねつぎのふたつに大別されるそうです。

ひとつが、いわゆる「閉じた社会」と呼ばれるあり方です。ここでは、具体的な集団の一員としての人間の側面に焦点があてられ、そこに対応するのが閉じた道徳・静的宗教であります。それに対してもうひとつの「開かれた社会」とは、集団の一員としてのカテゴリーでありながらもなおかつ人類の一員であるとの自覚をもった人間の側面に焦点があてられます。そこでは開いた道徳・動的宗教が対応します。

現実には、この両方の社会のふさぎ難い間隙が払拭し難く存在し、どのようにそれを飛び越えていくのかその探究が人間には必要になってきます。ベルクソンの探究(『道徳と宗教の二源泉』)とはその隔絶を埋め合わせていこうとするひとつのこころみだと思います。

ベルクソンの議論には単純で楽天的なきらいがないわけでもありませんが、その間隙を埋め合わせるその真摯な探究とヒューマニズムへの情熱には、おのずと頭のさがるというものです。

……ということで?

還元不可能な、そして代替不可能な一個の存在者として自覚しつつも、共同体のよき構成員としての自覚に留まることなく、全人類に属することによってこそ、個の存在もさまざまな共同体もかえって彩りを増すのでは?などとふと夕べに思う宇治家参去です。

……ということで?

金曜に吉祥寺で快飲してきました。
還元不可能な一個の人間存在は決して孤立してはなりません。
そうした人間同士が盃をくみかわすこと・話し合うこと・向かい合うことこそが大切なのです。
ですから、個の存在でありながら、かつ人類へと連帯できていけるのでは……そう思いつつ、飲んだ次第です。

吉祥寺で飲むのはひさしぶりでした。

会場は、和食・おでんがうりものの小さな居酒屋「すず音」です。

googleMapなんかで場所は確認済みでしたが、大通りのほうからそのビルをめざしたところ、そちらに入口はなく、並行する飲み屋通りのほうに入口があったようで、ちょいと引き返してから、到着です。

吉祥寺の喧騒をわすれさせるような、小さなお店です。
ですけど、おちついた佇まいで、清げな店内は、知るひとぞ知る「大人の隠れ家」という表現がぴったりとするお店です。

店員さんに誘われ予約のテーブルについてから、取り急ぎ、生ビールを注文です。

ここは「繁盛店の生」……サッポロの生ビールなのですが、寒くはないのですが、暑いほどでもないこの季節にそのすっきりとして濃厚な味わいが体に溶け込んでいくとはまさにこのことなのでしょう。

先づは、季節のお造り(二点盛)!
旬のさんまの脂がこってりと乗ってい、その深い味わいにおどろきつつ、さっぱりとした鯛の刺身が食をそそるというものです。

すでに2杯目を頂戴しつつ、

一緒に頼んでいた舞茸の天ぷらに舌鼓です。
これぞ秋味のオンパレードという状況にて、揚げたてサクサクなのですが、ほのかに土の匂いがあり、添えられたししとうの辛味がほどよく--天と大地の恵に感謝です。

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つづけて揚げ茄子の煮びたし(山芋とろろ掛け)、山菜のチャンプルーの登場です。

すでに繁盛店の生を三倍目です。

茄子は秋に限ります。
山芋とろろがくどいかなと思いましたが一口やってみますと、山芋によってかえって茄子の味わいが引き立つというやつで、素人考えの浅はかさを自覚しました。

山菜のチャンプルーはにがうり(ごーや)にはない、やさしい味わいで、これはもはや琉球家庭料理ではなく、和の家庭料理だな……という雰囲気です。

そろそろ飲み物を日本酒にチェンジです。

茄子の味わいがどうしても忘れがたく、メニューにはなかったのですが、単純な「焼き茄子」がどうしてもほしくなり、お店のひとに頼んでみると、調理を快諾してください、登場したのが「焼き茄子」です。

シンプルイズベストとはこのことです。
家などでもたまにやりますが、これがなかなか難しいんです。びちゃびちゃになってしまうことが多いのですが、やはり本職です。しっかりと火がとおりつつも、形が崩れず、味わいもしっかりとしてい、手間を快諾してくださった板さんに感謝です。

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で……
日本酒ですが、最初は「船中八策」ではじめ、「秋鹿」、「国龍」とき、このあたりで「〆張鶴」とわたりあるきつつ、「肉豆腐」と「地鶏の塩焼き」をオーダーです。

真夏とかですと、スパイシーな肉豆腐がいいかなと思うことがありますが、この季節になってきますと、「肉豆腐」らしい「肉豆腐」が絶妙な味わいです。

写真でみますと、チゲふうか!などと思うような鮮やかな色合いですが、辛くもスパイシーでもなく、「肉豆腐」らしい「肉豆腐」で、おもわずめっけものだ!などと思いつつ、お店の一押しアイテムである「地鶏の塩焼き」には、ちょいとたまげてしまいました。

ようは、からりと「焼いた」地鶏なのですが、焼き方が絶品なのでしょう……からりと焼き上げられた地鶏の中に旨味が圧縮されてい、そのからりとした「皮」もまたおいしく、これを塩ないしは柚子胡椒の薬味で堪能させていただきました。

さて……いよいよお食事の真打が登場です。

このお店はおでんやさんなのです。

単品でも注文できますが、盛り合わせでいただきました。
練り物、たまご……、定番具材の盛り合わせですが、おでんやさんのおでんは美味でした。
煮込まれているにもかかわらず、汁が濁っていない!ことに驚き
たまごの黄身まで味が染み込んでいることに、驚き
素材の美味さに……だいこんを頂きましたが「甘くて」「おいしくて」驚いた次第です。
おでんにはよく関東風だとか関西風だとかありますが、ここのおでんは形式としては関東風ですが、もはやそうしたカテゴリーを超越するような「すず音」の「おでん」という雰囲気です。

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最後に生ハムのサラダと焼きアスパラを頂戴しましたが……、生ハムは自家製なのでしょう……ほのかに薫る匂いに酔い、見てのとおりの……、ハムてんこ盛り!
ぶっといアスパラなのですが、口にするとやわらかでなめらかで、溶けていくような状況で、締めた次第です。

帰宅するが惜しまれたのは久しぶりです。

いい味でした。

今度は家族でいってみようかと思います。

大学の仲間4人で利用させていただきましたが、また来たいそう思う隠れ家です。

■ すず音(ね)
〒180-0003 東京都武蔵野市吉祥寺南町1-5-11 丸善ビル2F
0422-41-8880
営業時間 17:30~01:00(L.O.23:30) 
定休日  月曜日
※チャージ(お通り)が500円かかります。
http://r.gnavi.co.jp/a567800/

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