人間が人間であることは、彼が自己の人間的欲望に基づき自己の(動物的)生命を危険に晒さなければ「証明」されない
人間が真に人間的であるためには、人間が本質的にも、現実的にも動物と異なるためには、その人間的欲望が実際に人間の中で人間の動物的欲望に打ち克つ必要がある。ところで、いかなる欲望も或る価値を目指した欲望である。動物にとっての至高の価値はその動物的生命であり、動物のすべての欲望は、究極的には、その生命を保存しようという動物の欲望に依存している。したがって、人間的欲望はこの保存の欲望に打ち克つ必要があるわけである。換言すれば、人間が人間であることは、彼が自己の人間的欲望に基づき自己の(動物的)生命を危険に晒さなければ「証明」されない。人間的実在性が実在性として創造され開示されるのは、このような危険を冒す中で、そしてそれによってであり、この実在性が「証明」されるのは、すなわちこの実在性が動物的、自然的な実在性とは本質的に異なったものとして示され、明示され、確証され、実証されるのは、このような危険をおかす中で、そしてそれによってである。自己意識の「起源」について語ること、これが必然的に(本質的に非生物的な目的のために)生命を危険に晒すことについて語ることとなるのはそのためである。
--アレクサンドル・コジェーヴ(上妻精・今野雅方訳)『ヘーゲル読解入門―精神現象学を読む』国文社、1987年。
-----
ちょいいろいろ本業も市井の仕事も忙しく、ちょい聴牌っている宇治家参去です。
聴牌とは、「てんぱい」。
ご存じの通り麻雀用語に派生する日常生活言語です。
麻雀における「聴牌する」とは、危ない牌を捨てるか聴牌を崩すかの選択を迫られる自体を表現した言葉なのですが、そこから転じて、物事を抱え過ぎた状態を由来する言葉として流通しております。
しかし、不思議なもので、「テンパっている」ときほど、躍動した生命を感じるときは他にありません。
皆様はどうでしょうか?
手詰まりな状況なわけですが、不思議なもので、10日として原稿用紙1枚しか埋めることが出来なかったのが平時とすれば、こうした戦時においては1日で10枚書いてしまうものです。
それを「ほとばしる」とでもいうのでしょうか。
もちろん「ほとばしる」ためにはその仕込が必要なわけですが……。
ともあれ、その合間をぬってまったく喫緊の仕事と関係のない、アレクサンドル・コジェーヴ(Alexandre Kojève,1902-1968)のパリ高等研究院で行われたヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel,1770-1831)の『精神現象学』(Phänomenologie des Geistes,1807)についての講義録を繙いております。
早いうちに読んでおかねば!
……などと10年前に購入したきり、ツンドク(積読)でした。
最近、本業の傍らぼちぼち読み始めましたが、吸い込まれております。
そんな寄り道というのは、喫緊のテンパった本業に対しては、余剰なる寄り道に他ならないわけなのですが、まだ直接的にはそれとそれ、点と点がリンクはしてきませんが、目に見えざる刺激を与えてくださるようにて、ちょいと、その圧迫感を楽しんでいるところです。
ヘーゲルの言葉を頼りに、コジェーヴが「人間が人間であることは、彼が自己の人間的欲望に基づき自己の(動物的)生命を危険に晒さなければ「証明」されない」というのは本当かもしれませんネ。
人間とは、意識するにせよ、しないにせよ、実は、その対象とか目的に関して、実に「命懸け」で取り組んでいるのでは……そのように思われたひとときです。
もちろん、意識的なときもあれば、しないときもあるわけですが、そこにひとつ人間の人間らしさがあるのかもしれませんネ。
むかし……やんちゃな?ときは、よく麻雀をしたものです。
下手で弱いのは承知の介ですが、あの駆け引きがなんともいえません。
……というところで、そろそろのすたるじじいになりつつありますので、、沈没します。
ひさしぶりに、プレミアム・モルツをやっておりますが、ひさしぶりに飲むと、結構パンチが効いております。
![]() |
![]() |
ヘーゲル読解入門―精神現象学を読む 著者:アレクサンドル・コジェーヴ |
| 固定リンク
「哲学・倫理学(現代)」カテゴリの記事
- 日記:郷土やその伝統と文化を大切にしたり学ぶというよりも、stateに従順で反論しない人間育成としての道徳科「愛国」教育という中身(2015.02.14)
- 日記:「本人」は「本人」以外の他者や機関によってはじめて「本人」が「本人」であると担保づけられる(2015.02.12)
- 日記:福沢諭吉生誕180年にして想う(2015.01.10)
- 日記:なぜ、真摯な自己反省が、外界に目を向け他者と出会う真のプロセスの要因となり得ないのだろうか。(2015.01.01)
- 日記:2014年の3冊(2014.12.31)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント