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ありふれたものをわたしは歌う

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 ありふれたもの
 ありふれたものをわたしは歌う
 健康であるに金はかからぬ、気高くあるにも金はかからぬ、
 節制をこそ、虚偽や、大食、淫欲はお断わりだ、
 晴れやかな大気をわたしは歌う、自由を、寛容を、
 (ここからもっとも主要な教訓を学びとれ--学校からでも--本からでもなく)、
 ありふれた昼と夜とを--ありふれた土と水とを、
 君の農場、君の仕事、商売、職業、
 そして万物を支える堅牢な地面さながら、それらのものを支えている民主的な知恵を。
    --ホイットマン(鍋島能弘・酒本雅之訳)『草の葉(下)』岩波文庫、1971年。

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人間が何かを学ぶためのフィールドとかスクールとかはいったいどこにあるのでしょうか。拙学で恐縮ですが「倫理学」においては、その対象が「あらゆる“関係性”」に対するという省察になりますので、その学ぶべき現場は、もっとも身近な生活ということになります。何故なら、生活とは「生命の活動」の舞台に他ならず、その現場を顧みるに値しないやって抛擲してしまいますと、そのひとは自らの生命から遠ざかっていくことになってしまいます。

しかしその「生命の活動」の舞台としての「生活」のなかにこそ、探究すべき、ものとの“関係”、ひととの“関係”、そしてひとがもっとも大切にしなければならないじぶんじしんとの“関係”があるはずなんです。

ですけど、日常生活世界とは、もうひとつの側面からみるならば、連日のことですから、まあ、顧みるに値しないやって断じてしまいそうですが、そう、早計することほどもったいないことはないのかもしれません。

近代日本において、はじめての『倫理学』に関する体系的な著作を著したのは和辻哲郎(1889-1960)です。

和辻は自分自身が実に幸福だったと記憶する農村共同体における人間関係のあり方に注目する中で……もちろんその功罪はあるのですがひとまず措きます……、人間存在のあり方としての「間柄」に軸を置く独自な倫理学的体系を導き出したことは、そうしたひとつの成果なのかもしれません。

和辻哲郎のような歴史に残るような発見とか発明は、自分自身にはできないかもしれませんが、身近な生活に注目することによって、それがすでに発見・発明されたものであったとしても、そしてそれが往々そういう事態であるわけなのですが、それにもかかわらず、注目することで、何か「新しい」ものを見出してゆきたいもので御座います。

唐突ですが、宇治家参去は、昆虫の専門家ではありません。
先週から息子殿の幼稚園がはじまりました。
かえってくると、幼稚園から「鈴虫」をもらってきました。

彼らは夜中、啼きまくっております。
これは風流だなあ……と隣の部屋で聞いている分にはそう思います。
しかし、寝る前に、息子殿が枕元に彼らの飼育ケースをもっていきます。
寝ようとすると、当然「鈴虫」さんご一行が大合唱を始めるわけで……寝不足です。

今日もレジを打ちながら、落ちそうになりました……。

で……それからちょいと彼らの様子を気にするようにしました。
昼間も活動?しております。ちょこちょこと動き、餌を食べております。

しかし不思議なもので、啼きません。

しかし15-16時を過ぎると、鳴き始めてしまうんです。

ちょいとその生態について調べたくなってしまいました。

……ということで?
自称ホイットマン(Walter Whitman,1819-1892)“愛好家”を任ずる宇治家参去です。くどいようですが自称ホイットマンではありません。ここが大事です。

しかしホイットマンが『草の葉』で注目しているのもまさに此処だなって思った次第で、7月から再読しておりますが、ようやく3分冊の下に到着し、感動をもって読んでおります。

よくいわれます。

「詩のどこがおもしろいの?」

「いやはや、面白いから面白い」

……としかいえない語彙の貧弱に忸怩たるわけですが、この「詩」というやつもよんでみなければわかりません。

しかし不思議なことに、忙しいなかで読むからこそ、活字が書物から浮かび上がってくるというものです。

是非、苦手とか遠慮しがちであった方には、忙しい・読む暇がないからこそ手にとってほしいと思わざるを得ません。

そこに注目することで実は思わぬ発見なんかがあるのだろうと思います。

……ということで?
読んでいる中でも一ツ面白いのを見つけましたので紹介しておきましょう。

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 ある弟子に
 改革が必要なのか、改革をするのは君か、
 改革が必要であればあるだけ、それを成就するための「人格」が必要になる。
 君、目や血液や顔色を、清らかに美しくすることがどんなに役に立つか君には分らないか、
 君が群集の中にはいっていくとき、願望と指導力のかもし出す雰囲気も同時にはいりこんでいき、群衆のひとりびとりが君の「人格」に感銘をうけるように、清らかで美しいからだと魂を持つことが、どんなに役に立つか君には分らないか。

 おお、この磁力よ、肉体のすみずみまでみなぎる力よ、
 行きたまえ、いとしい友よ、必要ならばすべてを捨てて、きょうすぐに始めたまえ、勇気、実在、自尊、明確、高貴を目ざして君自身を鍛えることを、
 君自身の「人格」を高めるまでは休んではならぬ。
    --ホイットマン(鍋島能弘・酒本雅之訳)『草の葉(下)』岩波文庫、1971年。

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