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教養とは、我々が我々一個の利益の為に求めざるべからざる財物でなくして、他に仕へる為め、人を愛する為め、世の為め、私を献ずる為めに必要なる支度である

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 教養とは、我々が我々一個の利益の為に求めざるべからざる財物でなくして、他に仕へる為め、人を愛する為め、世の為め、私を献ずる為めに必要なる支度である。然らば教養は、我々が自分の都合上、勝手に取捨してよいものでなくして、義務として我々の追ひ求むべき道徳である。それは私が「私」の為めであるべからざるが如く、又他の「私」の為めであつてもならない。然らばそれは人間以上のもの、此世以上のものを目的とするものでなければならぬ。即ち神の国と其の義を目的とするものでなければならぬ。イエスは汝等先ず神の国と其義とを求めよと教へられた(マタイ伝六・三三)。教養も亦此教の一端である。イエスは模範的教養人であつた。我等も亦彼に倣つて、神の子たるに相応しかるべく精進するのが、我等の教養の中心である。
    --三谷隆正「基督教的教養」、『三谷隆正全集』第四巻、岩波書店、1965年。

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かねてから注文していた三谷隆正(1889-1944)の全集が先週初頭に到着しましたので、このところ、三谷の文章ばかり読んでおります。キリスト者の法学者なのですが、終生、大学(帝国大学)で教鞭をとらず、旧制高校(現在の大学教養課程)でドイツ語と法制を説いた人物なのですが、高潔なモラリストとしして知られ、晩年は一高に勤務しましたが、その思想・行動・風貌から「一高の良心」と謳われたものです。

本人は父の破算により、幼少時より辛酸をなめましたが、なんら痛痒とすることなく、泥水を清流に転換しゆくかのような歩みと言説には惚れ込むばかりで、対極にある宇治家参去としては、「かくありたい」と思い、全集を購入しましたが、乾いた砂に水が染みこむように読ませて頂いております。
※本当は喫緊の課題として別に読んで処理しなければならない対象が山積ではあるわけですが……。

ということで三谷の教養論の一節から引用させて頂きました。
たしかに漢字は読めないより読めた方がいいです。
そして、古今東西の文物から自然科学の先端理論にまで通暁していることにこしたことはありません。
しかし、それがイコール教養か?と問うた場合、なかなか首肯することもできません。

たしかに漢字は読めないより読めた方がいいですし、

「あああれね、ドストエフスキイなら『悪霊』もいいよね」

とか

「エヴェレットの多世界解釈は、結局のところ、観測における解釈論ですから……」

などとやれることにこしたことはありません。

しかし、それだけではない……という痛痒の消息を豊に三谷は語っているなア~などと唸らされてしまった次第です。

教養には知識の図書館という側面は必要不可欠ですが、それが本質ではないのかも知れません。知識の図書館で済ませるならば、そこには仕草とか物腰といった生々しい人間存在から溢れ出す何かまでを教養として論じることはありません。しかし、溢れ出す何かまでがたいていの場合、教養として論じられることがその殆どですから、そのへんの感覚を勘案するならば、対自における問題だけでなく、対他における何かに関しても関わってくるのが教養なのかもしれません。

さて、昨日は、休日で昼過ぎから市井の仕事があるにもかかわらず! 小学校の入試説明会がありましたので、1ヶ月ぶりに希望している小学校へ行って来ました。

例の如く、スーツ、ネクタイを着用し、ルイ・ヴィトンの鞄ではいくな!といわれていたので、それとなく通には理解できるエルメス・エールラインのPCケースにて参加させて頂きました。

1ヶ月もすぎると大きく気候が変わったことに先ず驚きです。

7月末に訪問したときは汗ダラダラで……、ですが上着も取れず、

「これは簡易サウナやないけ!」

……って死ぬ一歩手前まで逝きましたが、今回は、確かに日射しは強いのですが、それとなく爽やかで心地よく、すこ~し流れる汗が心地よいほどでした。

次に驚いたのが、息子殿の行状です。
家庭の中では、一人っ子ゆえ、我が儘砲台……もとい放題な部分があるのですが、ひとたびパブリックな局面に参入すると……、例えば、バスで降りるときなんかなのですが……、

「ありがとうございましたっ」

……なんていっておりましたので、

「ほう、なんか大人」

……と思いつつ、「ノブレス」を鍛え上げている細君に感謝した次第です。

説明会自体は、冒頭に、「先月の学校説明会とほとんど同じです」という挨拶のとおりでしたが、今回は快適な旅?でしたので、比較的、よく聞くことができました。

ただ、息子殿は、今年で3年目の説明会とかオープンキャンパスになりますので、勝手を知った様子で、終了後は、開放されていた図書室に案内してくださったものです。

この手のオープンキャンパスとか説明会というものは、その年にだけ参加するのではなく、経年していったほうがよいのかもしれない……そう思った次第です。

さて……

いずれにしましても、どこの学校に神学……もとい、進学しようとも、彼とシステムとしての教育に心がけて頂きたいのは、やはり「教養」ということなのでしょう……、人文科学を主軸とする宇治家参去としては、どんな教育がほどこされようとも、そこを大切にして欲しいと切に願ってしまいます。

漢字も覚えた方がいいし、英語も喋れた方がいいです。
しかし、それを為すことによって何を導いていくのか……そこを大切にする教育環境に通わせたい……親ばかですがそう思われて他なりません。

その意味では、まさに恐々とは、三谷が語るが如く、「我々が我々一個の利益の為に求めざるべからざる財物でなくして、他に仕へる為め、人を愛する為め、世の為め、私を献ずる為めに必要なる支度」なのでしょう。

ひらたい言葉で言えば、それが生きている郷土に根ざした「世界市民教育」なのかもしれません。

それをひとつ模範的に提示している教育環境に頷きつつ、最後に個別に質問コーナーがあったので、細君に、

「ちょいと、道徳教育の理念と実態に関して、カントにおける道徳形而上学と、デュルケムの徳論の観点から、現場ではどのようにやっているのか、確認といいますか、質問といいますか……したいのですが……」

……って申し立てすると、

「イマハヤルベキデハナイ」

……という戦略的訓戒を頂戴した次第です。

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ということで?

小学校の最寄り駅に降りると、「夏を惜しむ」かのように朝顔が交番の横で咲き乱れておりました。説明会が終わるまでタバコをぷかぷかできませんので、最後の一服にと、自販機横の喫煙スポットにてやっていたのですが、朝顔がまぶしく輝いておりました。

ちなみに俳句や和歌の世界では「夏を惜しむ」お題での詩はほとんどないそうな……。
人間論的感覚としては理解できそうですが、夏にしかその自己主張ができない存在においては「夏を惜しむ」という感覚はありなのか?……そう思った次第です。

で……帰り道に、玉川上水横の野道を駅に辿りながら、そしてその涼風に一息入れつつ、空をみあげると、もう秋になっておりました。

息子殿と細君と昼食を済ませ……蕎麦屋いくぞぉぉ!って吠えたのですが、ファストフードでがっくし!……、仕事の都合上一足先に自宅へ戻りましたが、とりあえず一杯。

リアル・アルコールが摂取できませんので、9/1発売のASAHIの“ビールテイスト清涼飲料”「ポイントゼロ」を頂戴しましたが……。

うぅぅむぅぅ。

好みによりますが、KIRINの「Free」よりかはなんとなく雰囲気あるかなあ~と思った次第です。Freeは味わいにこだわっているところが私見によればあり、かえってそれが雑味になっているという感がありますが、ポイントゼロの場合、やはり「すうぱあどらい」の「アサヒ」ですから、「喉ごし」に重点を置いているようで……、多分、宇治家参去が選ぶ場合は、「ポイントゼロ」を選択してしまいそうで……。

どうでもいい話でした。

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