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あるとき、ねこは だれの ねこでも ありませんでした

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 あるとき、ねこは だれの ねこでも ありませんでした。

 のらねこだったのです。

 ねこは はじめて 自分の ねこになりました。ねこは 自分が だいすきでした。

 なにしろ、りっぱな とらねこだったので、りっぱな のらねこに なりました。
    --佐野洋子『100万回生きたねこ』講談社、1977年。

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どうも宇治家参去です。

月曜日朝起きると、例の如く首ががちんがちんでしたが、それに加えて、こういうのを「泣きっ面に蜂」とでも言えばいいのでしょうか……、風邪をまたひいちまい、この大事な時期に!と、負の連鎖の奥底で佇む長谷川平蔵です。

ですが、不思議なもので、肉体的になにか瑕疵があるほど、頭脳が明晰というやつで、講義の方は無事に終了し、思っても見なかったリアクションに驚いております。

哲学の講義なのですが、クロニクルな哲学「史」に関しては、最初の3回程度の講義で済ませるのですが(あとはテーマを集中的に論ずるというスタイル)、思った以上に、哲学者たちの考え方に熱心に耳を傾ける若い学生たちの関心の高さに驚かされた次第です。

ちょうどイマヌエル・カント(Immanuel Kant,1727-1804)の理性の限界論(理性の二律背反)から、実践理性の問題への跳躍に関して、簡単に言及したのですが、内なる道徳律を確固として、他律ではなく、自律の問題として確立することの「かっこよさ」を語ったのですが、その辺りがクリティカル・ヒットしたようで驚いております。

しかし、なんです。
新しい教室で2回目の講義でしたが、マイクの調子が悪く……、100名近い学生さんを相手に、「生」声で、話をすると結構疲れるものです。

体力をつけなければ!……と授業開始前に新しくできた学食でランチを少々。
若鶏の唐揚げ定食(日替わり)を頂戴しました。
育ち盛りの若い学生さんたちにはベストなメニューでしょう。
宇治家参去も完食した次第です。

疲れたとはいえ、そのまま帰って帰宅することも出来ず市井の仕事へ直行し、それでも仕事が済んでから重くアルコール消毒したのが効いたのでしょうか……。

熱はちと下がったのですが、薬の所為でまだまだぼぉぉ~っとしておりますが、月末締めの論文の方も、一端完成した時点で内容を読み直してみると……

「なっていない!」

……ということで、もういちど組み立て直しております。

タスクを支配するのではなく、タスクに追いかけられるように仕事をしておりますが、なんとかその位置関係を逆転させたいものですが……、そのためには、『100万回生きたねこ』のように……

「あるとき、うじいえさんきょは だれの さんきょでも ありませんでした」

……というフレーズにならないと駄目なのかも知れません。

……ということで作業に戻ります。

ちなみに昨日は休日出勤でしたが、ありがたいことに創立者から「お菓子」の激励が教員にありました。

ありがたいことです。

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