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【覚え書】「【今週の本棚】 森谷正規 評 後藤新平と日露関係史 ワシーリー・モロジャコフ(藤原書店・3990円)」、『毎日新聞』2009年10月4日付。

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やるべきことがあるのですが、それと同じくらいに雑務も多く、結局、書類作成提出物準備なんかで一日が終わりそうです。これから市井の仕事へ行かざるを得ませんので。

で……。とりあえずひとつということで、ロシアの若手研究家の手による「後藤新平」論が上程されておりますので、その書評を覚え書としてひとつ。

後藤新平(1865-1929)といえば、明治・大正・昭和を代表する大物政治家のひとりですが、戦後の世代からするならば、評伝『ナポレオン』の著者として有名な娘婿・政治家・鶴見祐輔(1885-1973)とか、その息子(後藤からすれば孫)の哲学者・鶴見俊輔(1922-)、社会学者の鶴見和子(1918-2006)の関係で名前を知っている……というぐらいの認識でしょうか。

……だとすればすこしサミシイものであり、戦前のものだからすべて顧みなくてよい……というわけでもありませんので、ときどきその交友関係とか業績をみていると面白いもので、主義主張や党派にこだわらず、がんばっている人間には誰とでも胸襟をわって語らいつづけたその大人物像にはおどろかされるというものです。

ちょうどクリスチャン・デモクラット・吉野作造(1878-1933)が研究対象ですけども、その関係で吉野の文章を読んでいても、後藤新平の名前がよく出てきます。弟・吉野信次(1888-1971)の学資で世話になったりとか、吉野が面倒を見ている大陸の留学生の支援を申し出たりとか、リアルな交流からかいま見れる、後藤新平の人間像には、いつも学ぶ部分がおおいというものです。

さて……書評の方ですが、モロジャコフによれば、後藤新平は、先を見通し、アジアでの連帯を模索したようです。評者はかなりつっこんで脱欧米の文脈で論じておりますが……そこまで踏み込まずとも、後藤の人間外交の奥深さには驚くばかりです。

東アジア共同体が云々かんぬん耳目をさわがしておりますが、まったく実態がみえてきません。ここはひとつ後藤新平の足跡から学ぶものがあるのかもしれません。

……ということで、どうぞ。

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「【今週の本棚】 森谷正規 評 後藤新平と日露関係史 ワシーリー・モロジャコフ(藤原書店・3990円)」、『毎日新聞』2009年10月4日付。

資料から探る希代の政治家の外交政策

 およそ百年前、後藤新平は日本が結び付きを深めるべき国として、英国、米国ではなく、ロシア、中国を選んだ。英国は最盛期を過ぎ凋落を始めていて、米国は興隆するが、強さに従属してしまう恐れを感じた。その英米の言うなりになることを余儀なくされている実情を危惧して、列強諸国間の対立を利用しながら、日本を自立した「プレーヤー」に育てようと、後藤は考えたのだ。
 その国際的な場として、満鉄総裁の経験を踏まえて大陸指向の強い後藤は、アジア東方にある大国のロシアと中国を選択したのである。だが、中国は政治的に混乱していて、列強の我勝ちの進出を許しているので、それを防ぐためにはロシアと組むのが必須であると、後藤は信じた。
 これからの世界では、G2つまり米国と中国が二大強国になると言われる。鳩山首相の東アジア重視の基本方針が米国で物議を醸しているようだが、米国、中国のどちらとの結び付きをより深めるかの選択は、日本の将来にとってきわめて重大な課題である。後藤新平のような国際的な視野がとても広い希代の政治家がいま必要であり、その国際的な政治活動を詳しく知るのは重要である。
 本書は、基本近現代史を専門とするロシアの若手研究者の著作だが、ロシアの公文書館にある膨大な資料を基に書かれている。さらに、後藤に関する日本の非常に多くの書物や各種資料も深く読み込んでいる。優れた学術書であるが、後藤の活動を時系列に克明に追っていて、物語としてもなかなか面白い。
 さらに、後藤がロシア外交に地からを注いだ1910~20年代は日本政治の激動期であるが、それ事態についても詳しく記述している。その時期の首相交替はいまと同じで、西園寺公望、桂太郎、山本権兵衛、大隈重信、高橋是清、加藤友三郎、清浦奎吾、加藤高明、若槻礼次郎、田中義一が次々に登場して、目まぐるしいほど代わった。その政治激動の中で後藤は、逓信大臣、内務大臣になり、また東京市長になったが、変わらずロシア外交に情熱を傾けた。
 東京市長であった際に、ソヴィエト・ロシアの代表ヨッフェと交渉をしていて、筆頭助役に「市長をやめるか、ヨッフェとの交渉をやめるか」と迫られたが、後藤は毅然として答えた。「東京市長は誰にでもできる仕事だ。露国とのことは自分でなくてはできないのだ」
 大臣を何度か努めたが、ロシアとの交渉は多くの場合、政府の外交トップとしてではなく、政治家の重鎮として行った。まさに余人に代えがたい人物であったと分かる。
 後藤のロシアとの深い関係は、満鉄総裁であったころに始まる。実利主義者である後藤は、経済、通商関係を深めるのを外交の基本とする姿勢を持っていたが、満鉄のレールをロシアの発注することに決めた。英米の力が強大である中で、大胆な決定であった。ペテルブルグを訪問して大歓迎を受けて、ニコライ二世に拝謁し、ロシアで広く名を史られるようになった。
 やがて第一次世界大戦がはじまって、列強の相互関係はいっそう混迷してくる。英国、米国、敵国になったが親密であったドイツ、そのドイツとの関係が複雑であるロシア、混乱の度を増す中国。しかも、ロシアには革命が生じて国は大きく転換した。どの国と組むかの政治動向は揺れて、世論も分かれる。だが、後藤の信念は揺るがなかった。
 後藤は、ロシアの高官に向けて度々、長い書簡を出して、信念を吐露している。「アジアの東方における平和は、全世界の平和の基礎であります。それに向けて、私どもは、全力を注がねばなりません。日本とロシアの国民が力を合わせて、アジアの東方の平和の礎石を置くことをせず他の道を探すなどということはあってはならないことであります」
 後藤の目は、実はロシアよりも中国に向けられていたとも思われる。革命後のモスクワを訪問した際に渡したメモがロシア公文書館に残されていて、その内容が詳しく紹介されている。“中国の政情不安定と混乱が全世界の悪と危険の坩堝になっている。それは世界情勢の新たなバルカンになる恐れがある。中国自身の力で解決するのが理想であるが、早急に安定と秩序回復の方策を見いださねばならず、それが日ソの緊急課題である。”
 だが後藤は、中国の「ソヴィエト化」には断固として反対だった。日本の三かがなくソヴィエトと中国が緊密化することを非常に恐れていた。
 モスクワで後藤はスターリンに言った。「日本の外交は今まで著しく米英におもねる姿勢をとってきたが、独立した外交政策をもつ必要に迫られている。ロシアと中国と握手することが、そのような独立外交の端緒となると思われる」
 さて、米国と中国。私は、モノつくりの劣化した米国の凋落は止めようがなく、中国はさまざまな問題を抱えながらも興隆していくと予想している。これからの国際関係でG2のどちらに重心を置くのか、真剣に考えるときである。(木村汎訳)
    --「【今週の本棚】 森谷正規 評 後藤新平と日露関係史 ワシーリー・モロジャコフ(藤原書店・3990円)」、『毎日新聞』2009年10月4日付。

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