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考える生活

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 自然の状態にある人間は、処理すべき生涯、克服すべき困難がなければ、考えるものではない。安楽な生活、努力しなくても成功する生活というのは、考えることのない生活であろうし、従って、全能の神の生活も、そういうものなのであろう。
    --デューウィ(清水幾太郎他訳)『哲学の改造』岩波文庫、1968年。

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9月から朝型?に……といっても6時とかに起きるわけではありませんが……切り替えるべく、夜中の3時には遅くとも寝るようにしているのですが、昼過ぎとか、市井の仕事の休憩中に、睡眠という大海に沈没しそうになってしまうのですが、そこで沈没すると、結局、寝る時間が遅くなってしまい、起きている時間におけるコックリコックリ状態から抜け出せなくなってしまうので、その負の連鎖からの脱却が目下の課題です。

規律はないよりはあったほうがよく、できれば他律よりも自律であったほうがベストなのなことは承知しております。しかしなかなかうまくできず「自然の状態にある」を選択しがちなのですが、そこに流れがちであるとしても、人間はどこかでその素の状態を律するなにがしかがあったほうが、「生きている」という実感を得ることが出来やすいのかもしれません。

このところ実に休む時間がまったくとれず、仕事と研究と学問の仕事がけっこう山積みのように控えており、実に休む時間がとれません。

休む時間といえば、寝る前に一ぺえやるドリンキング・タイムぐらいですが、ドリンキングできているということを勘案するならば、まあ、自分でテキトーに休ませているんだなア~とは思う次第ですが、それでもなかなか仕事も片づかなく……、などと思いながら、目下の研究とか学問の仕事に直接の関係がないデューイ(John Dewey,1859-1952)の講演録を再読しておりますが、これがなかなか染みこんでくるものです。

「安楽な生活、努力しなくても成功する生活というのは、考えることのない生活」のようですから、ひたすら「考えること」を「商売」としている宇治家参去には「安楽な生活」とは無縁だろうとデューイが励ましてくれているのかも知れません。

まあ、「考える」ということは「処理すべき生涯、克服すべき困難」があるからこそ「考える」というものなのでしょう。

できれば、「何もなく」ても「考える」ことのできる人間になりたいものです。

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