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「文字による学問」に取り組みながら、「わたし自身のうちに、あるいは世界という大きな書物」に取り組む

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 哲学については、次のこと以外は何も言うまい。哲学は幾世紀もむかしから、生を享けたうちで最もすぐれた精神の持ち主たちが培ってきたのだが、それでもなお哲学には論争の的にならないものはなく、したがって疑わしくないものは一つもない。これを見て、私は哲学において他の人よりも成功を収めるだけの自負心は持てなかった。それに、同一のことがらについて真理はひとつしかありえないのに、学者たちによって主張される違った意見がいくらでもあるのを考えあわせて、わたしは、真らしく見えるにすぎないものはいちおう虚偽と見なした。
 次に、ほかの諸学問については、その原理を哲学から借りているかぎり、これほど脆弱な基礎の上には何も堅固なものが建てられなかったはずだ、と判断した。それらの学問が名誉や利益を約束してくれても、それだけでは学ぶ気は起きなかった。なぜなら、幸いにしてわたしは、暮らしのために学問を職業とせざるをえない境遇にあるとは感じなかったし、キニク派気取りで栄誉をさげすむことを標榜するのではないが、名目の肩書によってしか得られそうもない栄誉など重んじなかったからだ。そして最後に、悪しき諸学説にいたっては、わたしはすでに十分にその値打ちを見定め、錬金術師の約束にも、占星術師の予言にも、魔術師のまやかしにも、知らないことまで知っていると言いふらす人間どもの手管や広言にも、もうだまされまい、と思っていた。
 以上の理由で、わたしは教師たちへの従属から解放されるとすぐに、文字による学問〔人文学〕をまったく放棄してしまった。そしてこれからは、わたし自身のうちに、あるいは世界という大きな書物のうちに見つかるかもしれない学問だけを探求しようと決心し、青春の残りをつかって次のことをした。旅をし、あちこちの宮廷や軍隊を見、気質や身分の異なるさまざまな人たちと交わり、さまざまの経験を積み、運命の巡り合わせる機会をとらえて自分に試煉を課し、いたるところで目の前に現れる事柄について反省を加え、そこから何らかの利点をひきだすことだ。というのは、各人が自分に重大な関わりのあることについてなす推論では、判断を誤ればたちまちその結果によって罰を受けるはずなので、文字の学問をする学者が書斎でめぐらす空疎な思弁についての推論よりも、はるかに多くの真理を見つけ出せると負われるからだ。学者の思弁は、それを真らしく見せようとすればするほど、多くの才知と技巧をこらさねばならなかったはずだから、それが常識から離れれば離れるほど、学者が手にする虚栄心の満足もそれだけ大きい。そこ以外には何の益ももたらさない。だがわたしは、自分の行為をはっきりと見、確信をもってこの人生を歩むために、真と偽を区別することを学びたい、という何よりも強い願望をたえず抱いていた。
    --デカルト(谷川多佳子訳)『方法序説』岩波文庫、1997年。

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昨日はちょうど短大での哲学の講義のでした。
授業回数の都合上とはいえ1ヶ月にも満たない間に4回目が終了しましたので、ある意味では学生、教師ともに「強行軍」であったなあ……などとしみじみ実感する宇治家参去です。

ちょうど概論としての思想史、方法論、存在意義が終了したところですが、この21世紀という時代において「古臭い」と思われがちな古典的な学問としての「哲学」という科目を沢山の学生さんたちが履修してくれたことはありがたく、それと同時に皆さん熱心に聞いてくださり、ありがたいという以上に、こちらも気が引けぬ……と鉢巻きを締め直す毎日です。

授業では、パワーポイントを使います。
ファイルが大きい所為でしょうか、備え付けのパソコンがエンストといいますか、一瞬固まることが稀にあり、そうすると、復帰までちょい時間がかかりますので、「小咄」もしますが、噺家ではありませんので、宇治家参去に関する?ちとナイーヴで愉快な?小咄でお茶を濁させて頂きますが、授業の噺……もとい話だけでなく、そうした小咄も学生さんたちからすると一種の潤いというのでしょうか、息抜きとして必要なのかなとも思ったりもします。

いずれにせよ、学生時代から現在に至るまでの失敗談などなどですけれども、そのストロングな勉学以外の横溢する部分など、勉学とか研鑽には不要かなと思うこともなきにしもあらずでしたが、今振り返ってみると、そうした失敗談、遊び、横溢する部分というのは、学問においても必要なのだなあ……とは思われて他なりません。

小咄のネタにもなりますし……ねえ。

ただ、いずれにしましても、教室とか図書館とか自室での取り組みだけがすべてでもありませんし、それ以外の部分だけで総てというわけでもないのでしょう。その両者があってこそ学問は深まっていくのだろうとは、体感的に思われます。

実は極端なあり方こそ……教室とか図書館とか自室での取り組み至上主義、乃至はその逆としての大学教育なんか何の訳にも立たないからモラトリアムを楽しんで遊んでしまえ至上主義……悪しきデカルト主義であり、デカルト(René Descartes, 1596-1650)そのものが目指していた探求とはほど遠いのが実情かも知れません。

ちょうど大学へ向かう間、何度読んだか分かりませんが、デカルトの『方法序説』(Discours de la méthode pour bien conduire sa raison, et chercher la vérité dans les sciences)を再読しておりました。

フランス語で一度読んだことがありますが、日本語では何度も読んでおります。最初は岩波の新訳に戸惑ったこともありますが、読み慣れてくるうちに、原典に忠実かつ日本語としてもこなれているのでは……などと思うようになりましたが……って話しがずれましたのでもどりましょう。

「我思う、ゆえに我あり」(羅:Cogito ergo sum,仏:Je pense, donc je suis)で有名な『方法序説』は、垂直的な権威の一切を否定してデカルトが到達した、思想の独立宣言として名高い著作で、近代の到来を予想させた重大な一冊です。

デカルトは個人の<考える>能力にすべての基礎を置き、そのことによって、近代の自我が基礎づけられたと言ってよいでしょうが、これが後代に悪しきデカルト主義へと転化してしまい、人間中心主義など、さまざまな問題を引き起こしたことでも有名です。

さて……
その問題が本論ではありませんので、ひとまず置きます。

『方法序説』を読んでいて面白いのはその第一部です。つまり、「Je pense, donc je suis」に至るデカルトの精神の軌跡が手短にまとめられている部分ですが、それが上の一節です。

デカルトは、学生時代極めて優秀な「学生」であったようです。しかし徹底的に学院での学問に取り組めば取り組むほど、謎や懐疑がふつふつとうまれてき、蓋然的なるものへの懐疑がおさえがたくなってしまいます。それが形而上学批判へとなるわけですが、マア、徹底的に学問研鑽に取り組み、その学恩を終生わすれなかったそうです。ですけどそのまんま、学院で学問をつづけたわけでもありません。

デカルトは、学院を離れると同時に、一旦、書斎で読まれるような「書物」(=文字による学問)を捨ててしまいます。そして、新たな「書物」へとチャンレンジしていくなかで、最終的に「Je pense, donc je suis」へと至るというわけです。

ではデカルトが挑戦した新しい書物とは何でしょうか。

それは「わたし自身のうちに、あるいは世界という大きな書物」です。

旅をし、あちこち見聞し、様々なひとびとと出会い、経験をつみ、試練をこえるなかで、デカルトは学問を積み上げていき、そして「Je pense……」へと至ったということでしょう。

「文字による学問」も勿論大切なのですが、それだけでもありません。
そして「わたし自身のうちに、あるいは世界という大きな書物」も勿論大切なのですが、それだけでもありません。

現実にはどちらか一方に与して、他方を原理的に批判して終わりというパターンが顕著ですが、それだけではないよ、とデカルトはその歩みをもって示しているのかもしれません。

「文字による学問」に取り組みながら、「わたし自身のうちに、あるいは世界という大きな書物」に取り組み、そして「わたし自身のうちに、あるいは世界という大きな書物」と格闘するなかで、同時に「文字による学問」と格闘する……というのも素敵で生産的な営みかも知れません。

その意味では、哲学なんかを学ぼうとする学生さんたちには、是非徹底的に研鑽しつつ、そのことを世界のなかで試練に曝し、そして世界のなかで喜怒哀楽すると同時に、文字と向かいあっていくことを「楽しんで」もらいたいとつい思ってしまいます。

まあ、そのバランスが現実には難しいわけでして、宇治家参去などのその舵取りに失敗し、1年留年したという苦い思い出がありますが、今となってみれば、それもひとつの財産だったのではないだろうか……とは思います。

……ということで、毎週の恒例行事と課しつつありますが、昨日は、「ぶっかけうどん」に挑戦です。小雨がぱらつく空模様でしたが、テラスですずしく頂戴した次第です。

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