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而して小児のように建てる時にも崩す時にも同じ興味の中にありたいと願う

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 価値固定論の考える所に従えば、価値標準は凡ての自己の背後に厳存しているのだ。縦令自己と所縁とがいかに交渉しようとも、その価値を評定する者はこの既存の標準に依るのだ。即ち引いて自己の固定制と所縁の固定性とを肯定することによってのみ成り立つ所信である。然し私達は自己及び所縁の固定性を全く信ずる事が出来ないものである。ベルグソンがいったように自己も所縁も不休の変化と拡大とを経験しているものである。従って自己の背後に実在的価値標準が厳存するとしても自己がその価値標準に対する関係は瞬時も同一ではあり得ないのだ。その関係が同一であり得ない以上、どうしてその価値標準と自己との間の価値標準が恒久不変であり得ようぞ。かくの如くして価値標準の主体は自己に還って来ねばならない。
    --有島武郎「価値の否定と個体の移動」、『有島武郎評論集 惜みなく愛は奪う』新潮文庫、平成十二年。

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ものごとと向かいあう中で、ものごとはこういうものだろうと考え、ないしはこうあるべきだろうと思ったりすることが日常生活の中では多々存在しますが、そうした通念と事態が一致する瞬間もあれば、そうした通念が打破される局面も存在します。そしてどちらかといえば、後者の方が多いのでは……そう思うある日の宇治家参去です。

ちょい昨日は、息子殿の運動会で、「こどもとはこうだろう」という憶測を肯定する瞬間と、その逆に、それを打破してくれる局面に遭遇するなかで、たしかに価値が固定的に見えなくもはないものの、どちらかといえば、「自己及び所縁の固定性を全く信ずる事が出来ない」ほうが現実の生活世界のなかではどちらかとえいば、多いのでは……つくづくとそう感じた次第です。

もちろん、価値が固定的なものではないにしても、その対極にある、極限まで故知的なものを主体の問題に完全に還元してしまうのにも気が引けるのは事実ですが、「こうだろう」というドクサを破壊しつつも、「オレが掟だ」式に、個々の主体が万物の尺度へと転化してしまう部分もさけつつ、確認しながら、歩いていくしかないのか……そう思われて他なりません。

昨日は、幼稚園最後の運動会でしたので、義母(息子殿からすると祖母)もいらしており、済んでからちょいと一息入れて、べーカリーレストラン「サンマルク」にて、ディナーのコースを頂いてきました。

通常ですと、ビール2杯、ワイン1本ぐらいいっちゃうわけですが、どうしたわけでしょうか……。

ビール2杯、ワイン1本というのがまちがいもなく「そうだろう」「こうだろう」という所与の想定なのですが、昨日は不思議なモノで、エーデルピルス1本で済んでしまいました。

もちろんかえってから、その分程度は飲みましたが、疲れていたのかも知れません。

ということで前掲書からつづきの一節。

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 約言すれば私達はレヤリストの立場にあろうとするものだ。私達は自己以外には固定的な殿堂を子孫に遺そうとはしない。生命以外のものを仮象若くは徴象と見る。だから私達は建てては崩し、建てては崩しする小児のようだ。而して小児のように建てる時にも崩す時にも同じ興味の中にありたいと願う。
    --有島、前掲書。

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人間とは不思議なモノで、「こうだろう」と思って物事にむきあったときで、「こうだろう」と違った場合、否定的な感情に包み込まれる瞬間のほうが現実には多いわけですが、あまりにもそれに引きずられてしまいますと、身動きというものが取れなくなってしまうのがその実情です。

であるならば、「小児のように建てる時にも崩す時にも同じ興味の中にありたいと願う」方が、「価値」的かもしれぬと思うある日の宇治家参去でした。

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