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生活経験とは成長してゆく生命の省察と反省である

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 哲学と生活経験との交渉はそれ程判然とはしない。生命とは、人間といふ連関に於ける諸々の心理的業績の内的関係である。生活経験とは成長してゆく生命の省察と反省である。之によつて、基礎的な形での合目的行動の相対的なもの、主観的なもの、偶然的なもの、個別的なものなどが、吾々にとつて価値あるもの、合目的なもの、の洞察へ高められるのである。吾々の生命の全世帯の中で、諸々の激情は何を意味するか? 自然的意味でいふ生活に於て、犠牲とか、名声とか、世間的に認められることとかはどんな価値をもつか? 之等の問題を解決しようとするものは個人の生活経験だけではない。この生活経験は拡大して行つて社会が獲得する生活経験になる。社会といふものは、感情と衝動の生活の大調節機である。それは、規律のない激情に対し、共同生活の必要から生ずる限界を、法律や道徳によつて興へる。分業、結婚、所有権などによつて、色々の衝動の秩序ある満足のための条件をつくる。社会は、この恐るべき支配者から吾々を解放するのである。生命は高次の精神的な感情と努力とのための余地を得るやうになつて、之等のものが優位を占めることが出来るやうになる。社会がそのやうな仕事によつて得る生活経験は、諸々の生活価値の決定を益々妥当ならしめ、そして興論によつて、之等の価値に対し確定した、整頓した位置を与へる。之によつて社会は、それ自身のなかから或価値段階をつくり出し、またそれが更に個人を制約する。この社会の地盤の上に、個人の生活経験が現はれて来るのである。それは様々の仕方ででてくる。それの礎石をなすものは、或価値がその中で現はれる限り、個人的経験である。人々の様々の情熱を--彼等自身の破滅へまた当然他人との関係の破滅へ導いて行く彼等の激情やそれから来る彼等の悩みを、観衆として目撃することによつて、吾々は他の教へを受ける。
    --ディルタイ(戸田三郎訳)『哲学の本質』岩波文庫、1935年。

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や、や、や、やっと……

休めそう……

か・も・し・れ・ま・せ・ん!!

ちょうど2週間前の13日が、市井の職場の指定休でしたので、ゆっくりと起きてからちょいちょいと学問の仕事をおわらせて、あとはのんびりとまどろんだ数時間が実は最後で、市井の仕事、短大での講義、たまった学問の仕事の処理と、論文指導……。

ようやく明日は、13日と同じように数時間だけ休憩できそうです。

今回、スクーリング講義で実のところ参ったのが、足腰の疲れです。
履修された方はご存じかもしれませんが、午前中は大丈夫なのですが、昼をすぎると立っているのが結構きつく、あわせて毎日鯨飲するものですから、痛風問題も併発する始末でして……。

講義二日目の最終日の帰宅時は、もはや、歩くのが実のところ困難?でありまして……。

ひさしぶりにステッキ(杖ではない!)を同伴しないとまずいのか……などと頭を抱えた始末です。

とりあえず、翌日の短大への出講は問題ありませんでしたが、それでも1コマやると結構きつく、そのまんま市井の仕事へ出かけ、ヘロヘロに鳴って帰宅した次第です。

ちなみに短大へ昼過ぎに出講すると、気温が14度。
雨の所為もあるのでしょうか……、体感はもちっと寒いぐらいでした。

さて……、
今週もじつのところ本日しか休みがありません。

ですから、今週締め切りのスクーリング試験の採点と同じく今週締め切りのレポート20通あまりと、来週の授業の仕込を、なんとか日中に終わらせ、ちょいと夜はゆっくりと……

……休養を取らせて頂こうかと思います。

鍵は、朝きちんとはやく起きることですね。

解釈学者・ディルタイ(Wilhelm Christian Ludwig Dilthey,1833-1911)は、「哲学と生活経験との交渉はそれ程判然とはしない」と語っております。しかし同時に、生命の活動としての生活に関してはそうであったとしても、その反省する要素=哲学することと生活の関係が依然として「判然とはしない」けれども、まったく無関係でもないと説いております。

「生命とは、人間といふ連関に於ける諸々の心理的業績の内的関係である。生活経験とは成長してゆく生命の省察と反省である」。

何度も経験し、何度も反省しながら、ひとは恣意的な状況から価値を紡ぎ出すのかもしれません。

たしかに「貧乏暇無し」ということはつくづく実感しますが、その沃野しか自分自身には沃野がありませんので、そこを明日はちょいとうまく開拓しながら、価値を創造してゆきたいものだよな……

……などと思いつつ、無性にギネス(Guinness)が飲みたくなりましたので、ちょいとやってから沈没です。

しかし、この足の痛さ、ホンマどうにかならないものですかねえ。。。

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