« モンテーニュは、いつ読んでも、男らしくていいねえ。 | トップページ | 而して小児のように建てる時にも崩す時にも同じ興味の中にありたいと願う »

「普通」という、これも思いのほかなりがたい道に精進したらいい

01_img_0751

-----

 「うちの子の書くものがすごくいいんだ。親に似ず、才能があるみたいなんだ」
 どこでどう探したものか、旧知の男が十何年ぶりに電話をしてきた。いまは長野県の山の村で古い農家を借りて、彼は木工を、奥さんは染めものをしているそうだ。
 「うちの子」の書く詩や文章が「すごく個性的」だから発表したい、編集者に紹介してくれないか、というのが要件である。
 彼はわたしと同じ年頃、いわゆる「団塊の世代」で、知り合ったのは二十年も前だ。ライブハウスだったか、それとも小劇場だったか。「反権力」と「支援」と「生きざま」を連発するのが悪いクセだが、気はよかった。「個性」と「自主性」も当時から彼が好んだ言葉だ。私は聞かないふりをしていた。
 八〇年代前半に離婚して旅に出た。その旅先、メキシコかどこかで会った日本の若い娘さんと再婚した。彼女も旅行中だった。そこまでは風の便りに聞いていた。その子がいま十一歳だそうだ。
 「日本の管理教育はひどいもんだからね」と彼はいった。「できれば中学くらいからは外国にやりたいと思っている」
 六〇年代末に二十歳前後だった人のなかには、ときどき妙に教育熱心な人がいる。蛇が蛙をのみこむ一部終始をわざわざコドモに見せて、自然の掟の勉強だ、なんて理屈をつけたりするたぐいである。
 ところでわたしは、編集者を紹介してくれという彼の頼みを婉曲にことわった。
 コドモはある時期、オトナがてともおもしろがるものを書くことがある。それは文章に限らない。音楽でも絵でもだからといって親が子を「芸術家」にしたてあげようとするのはどうか。ほとんどの場合、長じれば「並みの人」に落ち着くことになっている。
 まずアタリマエとはなにかを教える。それが親のつとめではないかとわたしは思う。
 「芸」や「表現」に生きたいとコドモがいったら、一応反対するのも義務だろう。とてめとまるならそこまでの子だ。「普通」という、これも思いのほかなりがたい道に精進したらいい。一方、親にそそのかされて芸術を志す子は、たいてい大成しない。
 なにかを表現していなければ生きている気がしない、という子もたしかにいる。そういう宿命、または一種の病気があることは認める。
 しかしそんな子は大丈夫、親に反対されても禁じられても、ちゃんと隠れてやる。「人生の三災」という孔子の言葉がある。老年に至って子を失うこと、中年で連れあいをなくすこと、少年のうちに志を得てしまうこと、それが三つの災いだという。わたしはここに、幼年に親にいじくられすぎること、という一項をつけ加えて「人生の四災」としてみたい。
 などとは、実は他人事だからいえる。自分が当人になったらとても自信がないからわたしはいまだにシングルなのである。
    --関川夏央「『団塊』の親」、『中年シングル生活』講談社文庫、2001年。

-----

休みでしたが、ちょい課題があり、一日中……でもないですが……、文献とPCと向かいあっておりますと、まあ、煮詰まってきますので、もうこれでいいやってところを踏ん切りをつけ、一息つく宇治家参去です。

……これからちょいと飲んで寝ますが、本日は息子殿の幼稚園の運動会。

7時までには登園して「場所取り」なる労作業をしないといけませんが、

「なんで、そんなことをしないといけないのか」

……と細君に誰何したところ、

「それがフツーでアタリマエのことだから」

たしかに“フツー”は茨の道であるよな、と噛みしめつつ、大好きな文筆家・関川夏央(1949-)のいうとおり、「「普通」という、これも思いのほかなりがたい道に精進」することが肝要であるとひとりうなづきつつ、フツーのアタリマエの「オヤジ」としてこれから数時間後、頑張って参ります。

02_img_0703

中年シングル生活
配信元:電子書店パピレス
提供:@niftyコンテンツ

|

« モンテーニュは、いつ読んでも、男らしくていいねえ。 | トップページ | 而して小児のように建てる時にも崩す時にも同じ興味の中にありたいと願う »

告白・独白・毒吐の日々」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「普通」という、これも思いのほかなりがたい道に精進したらいい:

« モンテーニュは、いつ読んでも、男らしくていいねえ。 | トップページ | 而して小児のように建てる時にも崩す時にも同じ興味の中にありたいと願う »