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物の原子が夫々如何なる順序に配置されているか、又如何なる原子と結合して運動を与え、且つ受けるのか、が重要な点である

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 さて、我々の見るところで感覚を持っていると思われるものも、すべて無感覚なる原紙から成り立っているのだ、ということも認めなければならない。明らかなる事実がこれを反駁することもないし、明白に認められる事実がこれと矛盾することもない。のみか、むしろ我々の手を引き、信ぜよと強要している--私の云うように--〔感覚を有する〕生物は無感覚なる原紙から生まれるのだ、と。
 例えば、過度の雨の為に湿った地が腐って来ると、悪臭を放つ糞から、生きた虫の発生するのが見られるし、又あらゆるものが同様に変化することが見られるからである。川、木の葉、繁茂する牧草は化して家畜となり、家畜はその体を変化して我々の肉体となり、我々の肉体から往々にして野獣の力が増大し、又翼強き鳥〔猛禽〕の体が成長する。
 であるから、自然はあらゆる食物を、生きた肉体に変え、その肉体からすべての生物の感覚を造り出すのであり、これは自然が乾燥せる薪を焔の中にひろげて、悉く火と化してしまうのと、何ら異なるところがない。では、物の原子が夫々如何なる順序に配置されているか、又如何なる原子と結合して運動を与え、且つ受けるのか、が重要な点であるということが直に君に判るであろう。
    --ルクレーティウス(樋口勝彦訳)『物の本質について』岩波文庫、1961年。

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古代ギリシア、ローマの哲学者たちのなかには、今でいうところの自然科学者のような人物か数多く存在します。

共和制末期の詩人・哲学者として知られるルクレティス(Titus Lucretius Carus,ca. 99 BC-ca. 55 BC)なんかもそのひとりで、原子論的自然観を説き、一切の現象を因果関係においてとらえ、原子と空間から成立する自然法則を説明したことで有名ですが、おもしろいのはそうした自然法則の説明に関して、それを人間の問題として詳論しているところです。

ルクレティスのほかにも原子論をとく自然科学者は多数存在しますが、自然を「法則」で説明するひとびとの態度が、法則に縛られてしまい、人間の自由を否定する方向性へと傾きがちなきらいがあるのですが、ルクレティスの場合は、そうした態度とはむしろ相反する方向性を提示しているところがあり、読んでいると頗る興味深いところが多々参存在します。

では、ルクレティスの態度とはどのようなものでしょうか。すなわち、原子と空間から世界を法則として理解しようとも、そのうえで、人間は現実の生を楽しむべきだというのがルクレティウスの一貫した主張です。

もっとも思想的には世界を快苦によって理解しようととらえるエピキュリアンの知的伝統を受け継ぐ人物ですのでいたしかたありませんが、ローマの問題としてとらえるならば、世界を十分に楽しんでやろうとするローマ市民の精神的態度も過分に繁栄されているのではないかと思われてもしまいます。

さて、いずれにしても、世界を楽しむ、人生を楽しむにはある程度の技術が必要なのでしょう。

暗中模索で対象と関わり楽しむことは不可能です。その場合、そもそも楽しむことがなにかすら理解できていない出発点に立ち止まっているわけですから。

だからこそ、ルクレティウスは楽しむための手順・準備を念入りに確認・点検することを自然理解からスタートして、人生論として説いたのも知れません。

いずれにしても手順・準備というのは学問だけでなく、楽しむことにおいても必要かもしれません。

昨夜はひさしぶりに「ほうとう」を頂戴したのですが、手順・準備を間違えたのでしょうか・・・。

親子3人で頂くには、かなり少な目に作ってしまったようで・・・。

ですけど、他に食べるものもなく・・・。

「何か買ってきてくれ」

……とのことで、自転車で5分のすき家へとミニサイズの丼を買いに行くハメとなってしまいました。

「ほうとう」も「ねぎ玉牛丼」もウマイのはウマイのですが、食事を途中で中断され、買い出しに出発し、そして食事を再開するというのは、微妙な感覚……否むしろ心地よくない感覚です。

手順・準備というのをひとつ誤ってしまうと「楽しい」ハズの「何か」は「微妙な」何かになってしまう……そのようなことを考えさせられたひとときです。

「物の原子が夫々如何なる順序に配置されているか、又如何なる原子と結合して運動を与え、且つ受けるのか、が重要な点である」ことをきちんと理解することは大切かもしれません。

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