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人間の超越性を否定して、人間を、その唯一の内在性に還元しようと主張してはいけない

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 くそまじめな人は、計画が目的を決定している以上、計画から目的を切り離し、目的にはそれ自体の価値を認めようと主張します。つまり、価値というものは、人間以前に、人間なしで、世界に存在していると信じているわけで、人間は、それを摘みとりさえすればいいというのでしょう。しかしスピノザが、そして、ヘーゲルがより決定的に、この偽の客観性の幻影を追い払ったはずです。ここにまた偽の主観性があります。これは前者とは正反対に、目的から計画を切り離しことを主張し、計画を単なる遊び、気晴らしと見ようとします。この主観性は、世界にいかなる価値が存在していることをも否定するのです。とりもなおさず、この主観性は、人間の超越性を否定して、人間を、その唯一の内在性に還元しようと主張しているからです。欲望する人間、明晰に計画する人間は、その欲望において真摯です。すなわち、彼は一つの目的を欲しています。ほかのどんな目的も排して、その目的を欲しています。しかし、彼はその目的に立ちどまるために欲するのではなくて、それを楽しむために欲するのです。つまり、その目的が追い越されるために、彼はその目的を欲するのです。どんな目的も同時に出発点である以上、目的の観念は曖昧です。だからと言って、このことは、それが目的として目標されうることの妨げにはなりません。つまり、人間の自由性が在るのは、実にこの権限内なのです。
    --ボーヴォワール(青柳瑞穂訳)『人間について』新潮文庫、昭和五十五年。

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子供をみていると、目的と計画を切り離したり、目的から計画を切り離したりしながら、価値と実存を切り離して思索し、行為することはあまりないな~と実感することがよくあります。

それにくらべると、「賢い」「オトナ」と自称するひとびとは、結構、目的と計画を切り離して思案したり、目的から計画を切り離したりしながら行動し、価値と実存を切り離して思索し、行為するものだよな・・・などと強く実感する宇治家参去です。

学問の仕事で食べることができないので、オサムイ状況ですが、一般の仕事で糊口をしのいでおりますが、その指定休が、火曜と金曜です。

ただし、学問の仕事との調整や、市井の職場における調整なんかもありますので、結構流動的で、その休みに休むことができず、別の日に休みをとってしまいます。

今週もそうした流動的一週間です。

土曜日に勤務校の推薦入試の試験監督があるため、市井の職場をお休みするために、前日の金曜日と振り替えたのですが、急に?、お歳暮ギフトコーナーの担当者の休日調整で、休みであった火曜日を出勤して、金曜を振り返ることになってしまいました。

……そうしますと、あたまにくるのが息子殿。

火曜日=休みとの認識で、生活を組み立てておりますので……それでも、休日変更はなるべく早めに本人に伝えておりますが……、休みで一緒に遊べると画策していたようですが、やはりこうした突発事で前日にその話をしなければならないこともマアあるわけで、それを話したところ・・・

あたまにきたのでしょうか・・・。

泣きながら腹を噛まれた次第です。

このときほどメタボでよかったとおもった一瞬はありません。
ただ歯形はのこっておりますが・・・。

さて……
「賢い」「オトナ」を自称するひとびとからすると、おそらく彼の行為は、「大人げない」「幼稚」な「反抗」にすぎないと評することはたやすいことです。

しかし実際のところ、よくよく観察するならば、そうした言葉で片づけることの不可能な出来事かもしれません。

休みの変更は、まさに「賢い」「オトナ」の都合です。
しかし、一本気で、「計画」と「目的」を、そして「目的」と「計画」を分断しない思考で生き抜くその歩みには、、、噛み付くという抵抗として形としてはあらわれたわけですが、そうした「賢い」「オトナ」の「小利口」さに還元しきれない、なにか、「人間」の「強さ」というものを実感されてほかなりません。

うえには、実存主義の女流哲学者・シモーヌ・リュシ=エルネスティーヌ=マリ=ベルトラン・ド・ボーヴォワール(Simone Lucie-Ernestine-Marie-Bertrand de Beauvoir,1908-1986)の人間論の一節を引用しましたが、「計画」と「目的」が一致した、裸の人間の力強さをウマイ言葉で表現しているというものです。

「欲望する人間、明晰に計画する人間は、その欲望において真摯」なのでしょうから、精一杯の抵抗を噛み付くと表現したのかも知れません。

しかし、それをあざ笑うことはできません。「どんな目的も同時に出発点である以上、目的の観念は曖昧」なことは承知ですし、そのことは「それが目的として目標されうることの妨げにはなりません」から。

そこに人間の自由性が在るのだとすれば、そのあたりをきちんと把握しないかぎり、人間の行為というものの意味合いを一歩深く考えることはできないのかもしれません。

……ということで?

お酒のディスカウントストアで、捨て値で売られていた純米酒「奥入瀬の魔力」(桃川(株)・青森)をゲットしたのですが、思った以上に、旨口です。

濃厚!な味わいなのですが、さっぱりとしてい、何杯でもいけるというやつです。

一升瓶で1500円ですから、下手なパック酒には手が出せないというものです。

……ということで連日飲んで撃沈している宇治家参去でした。

息子殿に噛まれた傷口も、これで体内からのアルコール消毒というやつです。

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