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思考は、そのままではいわば不明瞭でぼやけている。哲学はそれを明晰にし、限界をはっきりさせねばならない

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四・一三
 哲学の目的は思考の論理的明晰化である。
 哲学は学説ではなく、活動である。
 哲学の仕事の本質は解明することにある。
 哲学の成果は「哲学的命題」ではない。諸命題の明確化である。
 思考は、そのままではいわば不明瞭でぼやけている。哲学はそれを明晰にし、限界をはっきりさせねばならない。
    --ウィトゲンシュタイン(野矢茂樹訳)『論理哲学論考』岩波文庫、2003年。

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オーストリア出身の言語哲学者・ウィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein,1889-1951)は哲学を定義してうえのような命題にまとめたわけですが、哲学……ここでは広義にうけとめるならば、倫理学、宗教思想に関連した学問も含む……を教授するなかで、、、

「たしかに」

……と思うことがしばしばです。

俗に哲学者と称されるひとびとの言説はたしかに難解で難渋で読んでいてチンプンカンプンな側面を否定することはできません。しかし、丹念によんでいくと、そのいわんとすることが理解できます。

しかし、それを教える段になって、そのいわんとすることのおいしいところだけをピックアップして「チャート式」のように「まとめて」しまうと、その「いわんとしている」ものが煙のように吹き飛んでいきます。

「哲学の目的は思考の論理的明晰化」なのですが、これは、おいしいところだけを「まとめて」語ることではないのでしょう。

その意味では、論理的明晰化とは「単純化」という行為ではなく、なんどもその言説と向かいあうなかで、あたまに打ち付けられる言葉を、その言葉として受容していくことなのかもしれません。

それが解明という行為に直結しているのだと思います。

だからこそその成果は、諸命題の明確化であるからこそ、「哲学は学説ではなく、活動」なのかもしれません。

前者に重きを置いてしまいますと、哲学・解説者となってしまう消息はいうまでもありません。

人間という生き物は、手順やポイント、要点をかいつまんで明確化することが大好きなようですが、それでは本質を見失ってしまうことの方が多いのかもしれません。

現実の「思考は、そのままではいわば不明瞭でぼやけている」ことは否定できません。

しかし、不明瞭な部分をスルーして、明確なところだけかいつまんだとしてもそれは対象を明晰にすることはでいず、かえって「限界」を曖昧なままにしてしまうのでしょう。

カント(Immanuel Kant,1724-1804)は、主著である三大批判書を公刊するなかで、「人間の限界」を示そうとしたわけですが、限界がはっきりしない限り、人間は無限へと跳躍できないのかもしれません。

思考を明確にし、限界をハッキリと知ることにより、人間はきちんと歩くことができるのでしょう。

……ということで??

月曜の短大のでの講義は無事終了!
いつもながら熱心に聞いてくださる短大生に感謝です。

ヘンな話ですが、専門でやっている学生が熱心に聞くのはアタリマエなのですが、一般教養として受講している学生さんたちが熱心に聞いてくださるというのはアリエナイことでして、そのアリガタさに、もうちょいと頑張ろう!……そう思う宇治家参去です。

ただ不養生がつのり痛風がいたく、そいつがちょいと結構きついというやつです。
痛みを庇いながらあるくわけですので、他の部位もちょいと悲鳴をあげてきておりますので、どこまで「呑んでよいのか」という「限界」をきちんと把握した方がよいかもしれません。

……とわいえ??

午後からの授業ですので、講義を行う前に、何かを入れておかないと……酒ではありませんよ……、腹が減るというやつですので、例の如く、学生食堂にて華麗なるランチタイムとなってしまいました……っていつもの好例事です。

日曜が二日酔いでほとんど食べておらず、何か

「ガッツリ」

いきたいと所望しておりましたので、ハンバーグ系のランチでも!

……と思った次第ですが、生憎本日ハンバーグは「キムチソース」という逸品でしたのでスルーしてしまいました。なにしろ「しゃべる」ことが「商売」ですので、遠慮した次第です。

で……
この学食では、丼物にチャンレジしたことがなかったので、本日の丼を物色したところ、「秋刀魚の竜田揚げ丼」と「麻婆豆腐丼」がありましたので、後者をセレクトした次第です。

麻婆豆腐といえば、いまでは手軽なご家庭メニューとして定着した感がありますが、宇治家参去が幼稚園・小学校低学年時代には、まだまだご家庭メニューではなく、中華料理屋で食べるメニューだったような気がします。

そののちCookdoなんかで、手軽なセット調理材が出始め、家庭メニューとして定着した感がありますが、丼として利用するには、あまりにべたべたしてもまずく、ぱさぱさしていてもまずく、その頃合いがなんとも難しい一品だよな・・・と思いつつ、オーダーして、テラスへと移動です。

ぼちぼち肌寒くなってきておりますので、屋外テーブルでのランチは、12月だと難しいかもしれません。

さて、味わいですが、どちらかといえば、さっぱりとつくられていたのですが、おもった以上にさっぱりでした!

質より量、味付けは濃い目……というのがエネルギッシュな学生さんたちを相手にする学食の本道です。

ですけど、どちからといえば、味付けは薄目で、自分自身としてはちょうどよく、晩秋の小春日和にその味わいを堪能させて頂いた次第です。

さて……

授業終了後、大学で一緒に倫理学を担当させて頂いている大家の先生のもとを訪問させて頂き、レポート添削に関する打ち合わせを少々行い、現在崖っぷちという近況報告をさせて頂き、研究室を辞すると、すでにまっくら・・・。

昨年よりもやや暖かい晩秋ですが、確実に冬の気配を感じさせるひとときでした。

帰りにぎわには、先日出張で韓国の大学で講演をしてきたとのことで、伝統工芸品のキーホルダーとカードケースのお土産を頂き、息子殿にまで、お菓子を頂戴してしまいました。

ちょいと、この半年が宇治家参去自身にとっても人生の正念場になりそうです。

ひょうひょうと軽薄に生きてはおりますが、ちょいとその足下で真剣に水掻きをフル回転させねばと思った一日です。

「思考は、そのままではいわば不明瞭でぼやけている。哲学はそれを明晰にし、限界をはっきりさせねばならない」

人生も同じかもしれません。
だいたいにおいて不明瞭でぼやけているのでしょうが、それを単純化することなく、明晰にし、限界をはっきりと見定めた上で、何ができるか、何ができないのかふまえて、つみかさねていくしかありません。

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