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他の人間に対する私の有責性、見知らぬものの自由のための、逆説的で、背理的な有責性。

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 他の人間に対する私の有責性、見知らぬものの自由のための、逆説的で、背理的な有責性。タルムードのなかの言葉を借りて言えば(『ソター篇』三十七B)、他の人間の有責性についてさえ有責であるような有責性。それはなんらかの原理や、なんらかの道徳的明証性の普遍性に捧げられた経緯に由来するのではない。その有責性は、「他なるもの」が「同一なるもの」に統合されてしまうことなしに、「同一なるもの」が「他なるもの」と関わりうるような、例外的な関係のことである。この関係性においては、厳密な意味で、人間の精神に賦与する霊感が認められる。とまれ、私たちのどんな熱狂の修辞ともきわだった対照をなすがゆえに、いかなる雄弁をもってしても、いかなるポエジーをもってしても曇らせることのできないひとつの意味が、他者に対する有責性というかたちで到来するということだけは確かである。
    --エマニュエル・レヴィナス(内田樹訳)「イデオロギーと観念論」、『観念に到来する神について』国文社、1997年。

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こんばんわ。

前日、かなり飲んでおりましたので・・・

今日はきついゼ・・・と思った通りの市井の職場でございました。

宇治家参去の勤務する店舗は、屈指の「雨に弱い」店といわれているのですが、土曜が風雨の一日で、日曜がど晴天でしたので・・・予想通りの展開といいますか、いわゆる「レ地獄」(レジ・地獄)という一日です。

前日、かなり飲んでおりましたので・・・
レジ・接客というのは、正直なところ、キツイわけですが、、、

それでもその自分自身を省察してみると面白いものです。

体調がふつうとかややいいときよりも、体調が悪い・ゲフゲフなときほど、丁寧な接客、すばやいレジ業務ができる!というのが不思議なモノです。

本日もキツイのはキツイわけですけれども、一人一人のお客様に対して、自分でありえねえ!と思いそうな、いい業務ができてしまう・・・そのことに驚きです。

人間は、体がよわっているときのほうが、感覚が鋭敏なのかもしれません。
そうしたとき、普段、考える・意識することのない人間に対する有責性というものが自覚できるのかもしれません。

今日は昼から短大で授業です。
夕方には、通信教育部のレポート添削に関して石神先生と打ち合わせで、終わるとそのまま市井のしごとへ直行です。

酒を呑んでいようが呑んでいまいが、きついといえばきつい毎日ですが、きついからこそ、感覚を鋭敏にとぎすますことができるのかもしれません。

……などと思いながらピークタイムをおえ、倉庫在庫の数値確認をしておりますと、はや「ボジョレヌーヴォー」が店舗に納品されておりました。今週には販売開始ですので、ちょいと楽しみです。

・・・ということで、あれだけ呑んだにも拘わらず、そして仕事をしていてきつかったにもかかわらず、とりあえずいっぺえ呑んでから沈没です。

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