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言語のなかで、また社会のなかで確固たる意志をもった明確な声としてたちあらわれる個々人の使命

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 知識人のありようを変質させた元凶として、とりわけ合衆国を槍玉にあげることについても腑に落ちないところがある。今日、どこをみても、たとえフランスでも、知識人はもはやボヘミアンでもなければ、カフェで語る哲学者でもない。彼らの人物像は、従来のものとはまったく異なり、彼らが代弁=表象(レプリゼント)するもののおおくは、これまでとまったく異なる領域であり、彼らの代弁=表象法もまた、これまでとは劇的といえるほど異なるものである。今回の連続講演で示唆してきたことだが、知識人が表象するのは、静止した聖画(イコン)のごときものではなく、言語のなかで、また社会のなかで確固たる意志をもった明確な声としてたちあらわれる個々人の使命であり、エネルギーであり、堅固な力である。そのような使命感、そのようなエネルギー、そのような力がたくさんの問題と、それも、最終的には啓蒙と解放と自由とがわかちがたくむすびついた問題とかかわりあう。したがって、今日、西欧であれ非西欧であれ、知識人のありようをとくに脅かすのは、アカデミーでもなければ郊外住宅でもなければジャーナリズムやなりふりかまわぬ商業主義でもなく、むしろ、わたしが専門主義(プロフェッショナリズム)と呼ぶようなものなのだ。専門主義ということでわたしが念頭においているのは、たとえば朝の9時から夕方の5時まで、時計を横目でにらみながら、生活のために仕事をこなす知識人の姿であり、こんなとき知識人は、適切な専門家としてのふるまいにたえず配慮していることだろう--自分が波風をたてていないか、あらかじめ決められた規範なり限界なりを超えたところにさまよいでてはいないか、また、自分の売り込みに成功しているか、自分がとりわけ人から好感をもたれ、論争的でない人間、政治的に無色の人間、おまけに「客観的な」人間とみられているかどうか、と。
    --エドワード・W・サイード(大橋洋一訳)『知識人とは何か』平凡社、1995年。

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今日はひがな一日ゆっくりとしてしまった宇治家参去です。
外は真冬を思わせる寒さでしたので、珈琲を飲むついでに、何か甘いものが欲しくなるという寸法で、雨音を楽しみながら、仕事と全く関係のない読書にふけるという一日です。

おたふく風邪の息子殿も食事がなかなかうまくできませんが、熱はひいたので、ひさしぶりにYoutube三昧というわけで、、、休日を楽しんでいるようです。

さて・・・
明日は勤務校の公募推薦入試です。
嵐?が予想される空模様ですが、せめて受験生が大学へ向かう間と帰る時間には収まって欲しいものです。

素晴らしい、未来の学生さんたちが集まることをいのりつつ、ぐだぐだの現状に甘んじてはならぬと鉢巻きを締め直し、サイード(Edward Wadie Said,1935-2003)を再読しております。講演録をまとめた知識人論ですが、プロフェッショナリズム(大学教授をプロフェッサーというのも同じ語義)ですが、サラリーマン教師に留まることなく、たえず、ひとと語らい、分かち合い、専門を深めつつも、その領域を横断していく振る舞いをこころがけなければならぬ・・・などと諭された次第です。

もっとも「カフェで語る哲学者」……カルチェ=ラタンで論じるサルトル(Jean-Paul Charles Aymard Sartre,1905-1980)が意識されているのですが、宇治家参去の場合、「カフェで語る哲学者」でもなければ、「朝の9時から夕方の5時まで、時計を横目でにらみながら、生活のために仕事をこなす」仕事人でもありません。

どちらかといえば「ボヘミアン」が正しく、正確には「居酒屋で語る哲学者」がその正体?かもしれません。

ただ、いずれにしましても「知識人が表象するのは、静止した聖画(イコン)のごときものではなく、言語のなかで、また社会のなかで確固たる意志をもった明確な声としてたちあらわれる個々人の使命であり、エネルギーであり、堅固な力である」ことだけはどのような形態であったとしても、忘れてはならない・・・そのことをサイードに励まされたようにも思えます。

……ということで、明日も朝から早いので、そして多分遅くなりそうなので、このあたりでおやすみなさい。

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