« 【覚え書】「正しく考へ、善意を持つのみで足りるのだ」、ポウプ(上田勤訳)『人間論』 | トップページ | 自己に反しては、生きることそのものとしての生に刻印されている »

better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied

01aimg_0153

-----

満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい。
    --J・S・ミル(関義彦訳)「功利主義論」、『世界の名著 49 ベンサム、J.S.ミル』中央公論社、1979年。

-----

夕方から息子殿とふたりっきりという時間を過ごさせて頂き、全くもってして仕事の捗らない宇治家参去です。

午前中に来週返却締め切りのレポートをなんとか済ませると、宅急便が到着。
再来週締め切りのレポートが到着という次第で……、かんたんに仕分けてから、3通ほど添削で休止!
新しいの全てに手を入れてしまうと、pentiumII程度の処理能力しかありませんので、それ以上やってしまうと、添削の水準が下がってしまいますので、休止した次第ですが、それから来週の授業用のパワーポイントに手を入れていると夕刻……という悲しい休日です。

ほげぇぇ……ってしておりますと、幼稚園から帰宅してから英語教室に行って来た息子殿が帰宅ということで・・・、そのまま夕食なのですが、サアこれから、本業の研究に手をいれるゾ!と意気込むと、今度は細君が所用で外出のため、息子殿遊んでいなさいというご命令にて……。

これって結構体力を使うのです。

ただ、そこで気が付いた点がひとつ。

子供は、すぐに満足してしまう……そういう億見がありますが、そうではないということです。たしかに、ひとつの遊び・対象に対してはすぐに満足してしまう・飽きてしまうという側面はあるのですが、大人のように、すべてに対して満足してしまう・飽きてしまう……ということはないようで、今取り組んでいる遊び・課題・対象に満足してしまう・飽きてしまうと、そこから創意工夫し、新しい対象をすぐに発見し、そこにチャレンジしていくという姿です。

おそらくうちの息子殿に限られた事象ではないのかもしれません。

もちろん、一慨にはいえませんけども、短期的な観点からすれば、子供は確かに「満足した豚」になってしまいます。しかし「満足した豚」になると同時にすぐに「不満足な人間」にいち早くチェンジすることが、どうやら可能なようです。

大人はそれに対すると、「満足した豚」になった時点で、眠りに入ります。そして「不満足な人間」として創意工夫することがなかなか難しい……。
※もちろん、言うまでもありませんが、ここでいう子供/大人というのは、生理的な成長経過による区分ではありません。

そんなことを汗をかきつつ感得した次第です。

そうした意味合いで、自分自身も「満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテス」でありたい……ということで、ひさしぶりに功利主義を代表する哲学者・ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill,1806-1873)の著作を、最後の力を絞って?繙いた次第ですが、読み直すと発見が多いことにびっくりです。

「最大多数の最大幸福」のモットーとする功利主義と聞けば、なにやら、条件の整備とか、物量の多寡に論点が傾きがちがですが、まったくそうではないということです。

条件の整備、物量の多寡ももちろん、人間が幸福に暮らしていくためには必要不可欠であるという点は論を待ちませんが、それだけが人間生活世界を左右するものではないという、ミルの信念に啓発された次第です。

なにによっていきていくのか。

ミルの言葉を耳にしますと、条件とかそうしたハードパワーを形而上からささえる人間力の整備を切に訴えているように思えて他なりません。

……ということで、いつもなら、酒(日本酒)をしたたかに飲むと「満足した豚」になってしまう宇治家参去ですが、このところ控えております。

その代わりにウィスキー、ワインあたりでお茶を濁しておりますが、それでも「満足した豚」になる一歩手前の分量で抑えることをこのところの矜持としております。

酒とは不思議なもので「満足」するまで飲んでしまうと「満足」した「以上」の「豚」に誘ってくれるシロモノです。

しかし、満足する「手前」でちょいと辛抱すると、結構素敵な起因としてそれが機能し、一種の心地よさまで提示するアリサマで、この2-3日、素敵な攻防戦を展開しております。

……ということで、今日は品種としては好きな部類にカテゴライズされる「シャルドネ」でいっぺえやっております。あまり高いモノではありませんが、適量をやりますと、なんだか、躰にとってプラスのように機能しているところが不思議です。

……というところ、おわらせるとナニですから、上に引用したミルの原文が手元にありましたので、最後にひとつ紹介しておきましょう。

いやはや、しかしながら、幼稚園児との格闘戦はつかれるったらありゃしません。

-----

It better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied.
    --John Stusrt.Mill,Essays on ethics, religion and society,(Collected works John Stuart Mill,v.10),Univ. of Toronto Press,1969.

-----

02johnstuartmill 03_img_0159

Utilitarianism and Other Essays (Penguin Classics) Book Utilitarianism and Other Essays (Penguin Classics)

著者:John Stuart Mill,Jeremy Bentham
販売元:Penguin Classics
Amazon.co.jpで詳細を確認する

The Classical Utilitarians: Bentham and Mill Book The Classical Utilitarians: Bentham and Mill

販売元:Hackett Pub Co Inc
Amazon.co.jpで詳細を確認する

|

« 【覚え書】「正しく考へ、善意を持つのみで足りるのだ」、ポウプ(上田勤訳)『人間論』 | トップページ | 自己に反しては、生きることそのものとしての生に刻印されている »

哲学・倫理学(近代)」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied:

« 【覚え書】「正しく考へ、善意を持つのみで足りるのだ」、ポウプ(上田勤訳)『人間論』 | トップページ | 自己に反しては、生きることそのものとしての生に刻印されている »