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Nativitas Domini

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しかし、わが名を畏れ敬うあなたちには
義の太陽が昇る。
その翼にはいやす力がある。
あなたたちは牛舎の子牛のように
躍り出て跳び回る。
    --「マラキ書」(3:20)、共同訳聖書実行委員会『聖書 新共同訳』日本聖書協会,1987年。

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世の中は、クリスマス一色です。
ファミリーでお祝いされた方々では、24、25日よりも、23日の祝日にパーティーをされた方の方が多いのではないでしょうか。
昨日は市井の職場でがっつりと息つく暇もなく、仕事をしておりましたが、クリスマス需要の商材が飛ぶように売れ、なかなか休憩に入ることもできなかった一日ですので、ふとそう思った次第です。

チキンはいうまでもなく、パーティー用の盛り合わせ、刺身、寿司……。ツリーを買い求められる方も多く、玩具売り場はパンク状態という始末です。

軽薄な日本の知的伝統・精神文化のなかで、出来事に対してどこまで理解してなにをやっているのかこちらは把握することはできませんが……マア、そんなもん、理解なんて必要ないんだよね、結局商業主義に踊らされているから踊っているだけ、とか、イベントだから楽しめばいいんでねえの?、とかってツッコミはご容赦を……、それでも、ひとつその由来だけ紹介しておきましょう。

※ちなみに、いろいろな経緯はあったとしても、その日を楽しく過ごすということは大切です!

英語のクリスマス(Christmas)とは、まんまですが、「Christ(キリスト)のMass(ミサ)」のことで、救い主イエス・キリストの降誕を祝う=重要な典礼としての正餐式を行う祝日のことで、ラテン語では「主の降誕」を意味する Nativitas Domini で表現されます。

聖書にはイエス・キリストの生誕月日は明確には記されておらず、精確な降誕日は不明なのですが、古代教会では、だいたい4世紀頃から、降誕を祝う祭日が発生したようです。
当時はローマ帝国の時代ですが、帝都ローマでは、当時興隆をきわめたミトラス教(太陽神崇拝、Cultum Mithrae)がユリウス歴で冬至とされた12月25日を、その太陽神の誕生日として祝っていたようです。

ただキリスト教会では、ミトラス教で主神とするミスラ(ミスラ(Miθra)ではなく、キリストこそ真の正義の神であるとの立場から、この日を主の降誕の日として祝うようになったようです。

真の正義の神と太陽との象徴関係は、どこにあるのでしょうか。
冒頭に引用した『旧約聖書』の「マラキ書」(Prophetia Malachiae)から、太陽に象徴される「義の神」との経緯があるようです。

ただ、エジプトをはじめとする東方教会は当初1月6日の公現の日を降誕を祝う日として受容していたようですが、それでも4世紀の末子路には、ほぼ全教会で、12月25日を降誕祭として祝うようになったようです。

ローマにおいては、当初12月25日の日中にミサを行っていましたが、5世紀になると、前日の24日の夜に祝うミサが登場し、くだって6世紀になると、25日の早朝のミサが加わったようです。

ちなみに樅の木のツリーが飾られるようになるとは17世紀からの伝統で、ツリーや、リース、柊の葉っぱで装飾するというのは、キリスト教化される以前のヨーロッパの冬至祭での伝統に由来するようです。

以上が簡単な経緯というわけですが、さてその降誕の日ですが、聖書には次の記述があります。

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イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。
    --『マタイによる福音書』2:1-2、前掲書。

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イエスがご降誕されたおり、その誕生の徴を占星術によって予め知っていたのが「東方の三博士」(Sancti Magi)たちなのですが、誕生時に東方より生まれたばかりのイエスのもとを訪問し、彼らはマリアとイエスを見て拝み、乳香、没薬、黄金を贈り物としてささげたと、聖書に記されています。

……ということで、24日の本日。
何故だか市井の職場がお休みです。
今日はなにで祝いましょうかねぇ?

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