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求めない一日;「すべて、問うということは、求めることである」

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 すべて、問うということは、求めることである。そしてすべて、求めるということは、求められているものの側からあらかじめうけとった志向性をそなえている。問うということは、存在するものを、それが現にあるという事実とそれがしかじかにあるという状態について認識しようと求めることである。認識的に求めることは、問いがむかっているところのものを開発的に規定する作業という意味での「考究」となることがある。要するに、問うということは「……へむけられた問い」でるから、それによって問われているれているもの(Gefragtes)がそれにぞくしている。--すべて「……へむかって問う」ことは、なんらかの形で、「……に問いかける」ことである。したがって、問うということには、問われているもののほかに、問いかけられているもの(Befragtes)がぞくしている。--考究的な、すなわち特に理論的な問いにおいては、問われているものが規定されて概念として表明されなくてはならない。この場合には、問われているもののなかに、根本において指向されたものとして、問いただされている事柄(Erfragtes)がひそんでいるわけであって、問いはそこにいたって目標に達するのである。--問うことは、ある存在者、すなわち問う人間のはたらきであるから、それ自身、固有の存在性格を帯びている。問うことは、「ただ何気なくきく」という形でおこなわれることもあれば、また明確な問題設定としておこなわれることもある。後者の特色は、問うことがここで述べた問いそのものの構成的諸性格のすべてにわたって、あらかじめ透明な見通しを得ているという点にある。
    --マルティン・ハイデッガー(細谷貞雄訳)『存在と時間 上』ちくま学芸文庫、1994年。

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29日は年末最後!の休みでしたが……、

結局、何も仕事……ここでいう「仕事」は本業としての学問の仕事……をせず、のんべんだらりんと過ごしてしまった宇治家参去です。

たまには……何もしない日があってもよいはずなのですが、なんとなく、何もしないことに居心地の悪さを感じつつも、その悋癖に反吐をはきつつ、……とりあえず、のんべんだらりんと過ごす心地よさに酔いしれた一日です。

するべきことは山のように積み重ねられてい、あっぷあっぷすることのほうがおおいのですが、それでもなお、人間といういきものには、たまには、「のんべんだらりん」と過ごすことも必要だろうと思われて他ならない事実を実感するばかりです。

ということで、人間は「なぜのんべんだらりん」とすることを欲するのでしょうか。
あたらしい探究=問いが生み出されたようです。

新しい探究?にそなえ本日はこのままま「のんべんだらりん」としましょう。

昨夜は市井の職場でバベルの塔を造りましたが、結局は人間の世界は仮諦の世界であるとすれば、仮諦の現象にたゆみなく挑戦するだけでなく、仮諦の仮諦である点をきちんと把握してふりまわされないようにしないと、バベルの塔に翻弄されてしまうのかもしれませんね。

などと感慨にひたる深夜です。

ただ、すべては「すべて、問うということは、求めることである」であるとすれば、本日は問いを発しなかった点では忸怩たる一日ですが、その材料がそろった意味ではよいとしましょうか。。。

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