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生きていれば、よいこともある

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 正月に、政権が交代した。長い間筆頭家老をつとめた内藤佐治右衛門が、病弱を理由に勤めを退き、内藤派の重職が何人か閑職に移った。かわって横山甚六郎が家老にのぼり、横山派と言われた何人かの重臣が、藩の要職を占めることになったのである。
 そしてまだ寒い二月に、もとの中老鳥飼郡兵衛の収賄にかかわる疑獄が摘発され、鳥飼と、内藤派の大目付、町奉行などがそれぞれ咎めを受けて失脚した。中でも鳥飼の家は閉門五十日のあと、家禄を五分の一に減らされて普請組に役替えとなったが、疑獄のつねとして収賄側で大きな利益をうけたはずの内藤家老は無傷だった。疑獄の摘発が行われたのは、もとの町奉行尾形弥太夫が、和泉屋の一件書類が紛失したという山岸のひそかな報告を不審として、その解明を横山中老に直訴したのが発端である。孫左衛門も寺井権吉もかかわりがない。
 かかわりがないどころか、新任の横山派の司直が鳥飼の収賄事件に手をつけたとわかったとき、孫左衛門も寺井も再度の処罰を覚悟して家の者に因果をふくめたほどだった。だが事件の処理が終わったあとで、思いがけなく減らされた家禄がもどってきたのである。
 孫左衛門は十石、寺井権吉は五石。双手を挙げて喜ぶというほどではなくとも、この家計がくるしいときに禄が返ってきたのは大きい、と孫左衛門と寺井は言い合った。二人は場末の小さな飲み屋でつつましく祝杯を挙げ、横山家老は世の道理を見る目があると、新しい執政をたたえた。
 さくらのつぼみがふくらみはじめたころ、間瀬家には初孫が生まれた。これがじつにかわいらしい女児で、散歩の途中、孫左衛門は足がとかく間瀬家の方に向きがちになるのを押さえるのに苦労する。
 --生きていれば、よいこともある。
 孫左衛門はごく平凡なことを思った。軽い風が吹き通り、青葉の欅はわずかに梢をゆすった。孫左衛門の事件の前とはうってかわった感想を笑ったようでもある。
    --藤沢周平「静かな木」、『静かな木』新潮文庫、平成十二年。

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東京は穏やかな暖かい一日で、夕暮れどきからも冷え込むことなく、その陽気にまどろむ?……ことのできない宇治家参去です。

年内は本日の勤務をもってして元旦がお休みで、2日からまたまた怒濤の連勤なのですが、市井の職場で本日もガッツリとレジを打ちながら、年末だからなのでしょうか……、お客様のすさまじい「買いっぷり」に驚くと同時に、三が日ぐらいは外出をせず、ゆっくりと家族と楽しみたい……万券に秘められたそうした実感をくみ取りつつ、マア、笑顔での接客はできたのではないかと思います。

また、締め切りは年があけてからなのですが、①返却期限のあるレポートの添削、②冬休み後の最終講義の準備、③提出期限のある原稿、のすべてはなんとか年内にすますことができたのは、我ながら拍手してやりたいところです。。

さて……。
30日の朝に、いち早く帰省した息子殿のあとを追うように細君も帰省しましたので、5日まで一人暮らしの身と相なりました。

息子殿と一緒に正月を迎えたのは一度きり。細君と一緒に正月を迎えたのは息子殿が今世にお生まれ遊ばされてから二度きり。

そんな話を前夜しておりますと、

「とっとと常勤きめたら、そんなぼやきはおこらない筈」などと苦言を呈されてしまう始末ですが、ひとりでいるというのも、マアそれはそれで「気楽」なものでして、現状は打開したいことは否定しませんけども、これから数日、ちょいと「気楽」に過ごしていこうと思います。

とわいえ、

「気楽に過ごしてもらっても結構ですが、ピーコとピーチャンの世話を頼んだわ」

……とのおキツイ言葉もいっしょに頂戴した次第です。

宅ではジュウシマツの方々に住まわって頂いておりますが、金魚や熱帯魚のような鷹揚な世話では不十分で、毎日世話をする必要があります。

ピーコとピーチャンへ、

ご迷惑を……、たぶん・・・、お掛けするかと思いますがよろしくおねがいします。

……ということで、振り返りますと、、、

詳細はひとまず措きますが、2009年は、自分自身を通して、人間という生き物の闇の部分、生きているということ自体の負荷をまざまざと見せて頂いた一年ではないかと思います。

ただ、しかし、それだけがすべてでもないということを鈍重ながらも感じさせていただくことができたと思います。

池波正太郎先生(1923-1990)曰く

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 人間という生きものは、苦悩・悲嘆・絶望の最中(さなか)にあっても、そこへ、熱い味噌汁が出て来て一口すすりこみ、
 (あ、うまい)
 と、感じるとき、われ知らず微笑が浮かび、生き甲斐をおぼえるようにできている。
 大事なのは、人間の躰にそなわった、その感覚を存続させて行くことだと私は思う。
    --池波正太郎「私の正月」、『日曜日の万年筆』新潮文庫、昭和59年。

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このあたりが実感でしょうか。

正直なところこの一年は、総てがとまではいいませんが、前進はできなかったことは否定できません。

しかし、苦悩・悲嘆・絶望の最中で人間という生き物の感覚だけは学ぶことはできたのではないだろうかと思います。

藤沢周平(1927-1997)の流れるような文章でいえば、引用文中の末尾「生きていれば、よいこともある」ということでもあるかと思います。

そうした感覚・体感・想念といったものを学問へ還元……還元主義というわけではなく、往還関係のなかでのいわば対話--していく、そして家族へ還元していく、……このあたりが薄朧気ながら新年のテーマではないかと思います。

さて、本年は皆様に大変お世話になりました。
ナイーブな独白はまだまだ続き、この人間生活世界をひっかきまわしつづけ、ひとりバックドロップすることは必死ですが、今後ともどうぞよろしくおねがいします。

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