「『すべての人』が真に『すべての人』ではないこと」を実感しつつ……名古屋到着!
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今日の特徴は、凡俗な人間が、おのれが凡俗であることを知りながら、凡俗であることの権利を敢然と主張し、いたるところでそれを貫徹しようとするところにあるのである。つまり北米合衆国でいわれているように、他人と違うということ即ふしだらなことであるという風潮である。大衆はいまや、いっさいの非凡なるもの、傑出せるもの、個性的なるもの、特殊な才能をもった選ばれたものを席巻しつつある。すべての人と同じでない者、すべての人と同じ考え方をしない者は締め出される危険にさらされているのである。ところが、この「すべての人」が真に「すべての人」ではないことは明らかである。かつてや「すべての人」といった場合、大衆とその大衆から分離した少数者からなる複合的統一体を指すのが普通であった。しかし今日では、すべての人とは、ただ大衆を意味するにすぎないのである。
以上が、現代の恐るべき事実であり、そのいつわりない残酷な実相なのである。
--オルテガ・イ・ガゼット(神吉敬三訳)『大衆の反逆』ちくま学芸文庫、1995年。
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17時前の新幹線にて出発し、無事に名古屋に到着です。
新幹線にのるとどうも、居酒屋新幹線と化してしまうといいますか、ビールを飲んでしまうのが不思議なところです。
節約!節約!ということで、キヨスクでビールは買わずに、事前に準備して置いたヱビスをゆっくりとやりつつ、名古屋へ向かったわけですが、N700系の新幹線は全席禁煙です。ですから喫煙ルームの車輌を予約したわけですが、同じ車輌に「や」のつく自由業の方とご同道しましたので、ちょいとひやりとしつつ……お恥ずかしい話ですが、小金持ちのように見える所為でしょうか、よく絡まれるんです……、喫煙ルームで同席したりと、した次第です。
ただ、驚いたのは、携帯電話での通話をするときは、「や」のつく自由業の方も、きちんとデッキで通話されてい、人間とは対象化された立場がすべてを物語っているわけではない……という点を再確認すると同時に、サラリーマンのお兄ちゃんは座席で平気で携帯電話でのお話をされている……という情況でして……ちょゐとなんだかなと思いつつ、ホセ・オルテガ・イ・ガセト(José Ortega y Gasset,1883-1955)の文明批評をひもときつつ、名古屋に到着した次第です。
東京-新大阪間で利用するのは京都ぐらいでしたが、やっぱり名古屋は近いですね。
……というわけで、これからちょいと正座してから、美食巡りへと旅立ってきます。
大衆の反逆 (ちくま学芸文庫)
著者:オルテガ・イ ガセット |
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