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「ばかなことを言ってしまいました、でも……」

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 「だいじょうぶ。ぼくも苦しみたいんです」アリョーシャはそうつぶやいた。
 「じゃあ、もうひとつ、最後にもうひとつだけネタを紹介してやろう。たんに好奇心でしゃべるだけだが、これがじつにうってつけのネタなのさ。『古文書』だったか、いや、『古代史』かな、そこんところは調べなくちゃならないし、どこで読んだかも忘れてしまったが、要するに古い文書をあつめた本でつい最近読んだんだよ。まだ今世紀初めの、陰惨きわまる農奴制時代の話だ。こうなるともう、農奴を解放したアレクサンドル二世、バンザーイだな!
 で、当時、つまり今世紀のはじめ、一人の将軍がいた。いくつも有力な縁故をもち、たいそう金持ちの地主だったが、職をしりぞき引退生活に入っても、それまでの功績から領民たちの生死の権利はすべて自分があずかったと信じこんでしまう地主の一人(たしかに、すでに当時は非常に少なかったようだがね)だった。そういう地主がその当時もいるにはいたんだ。
 ところでその将軍というのが、領地に二千人の農奴をかかえて暮らし、近隣の地主どもを居候かお抱えの道化ぐらいに見くだし、いばりくさっていた。犬舎には数百匹の犬がいて、百人近い犬番がついているんだが、連中はみな、軍服姿で馬にまたがっているのさ。ところがそこの下男の息子で、まだ八歳にしかならない幼い男の子が、あるとき石投げの遊びをしているときに、将軍お気に入りの猟犬の足にケガをさせてしまった。『どうしてわしの愛犬が足をひきずっている?』じつは、ここにいるこの子が犬に石をなげ、足にケガを負わせたとのことですという報告がなされる。『ほほう、きみがやったのか』将軍は子どもをじろりとにらみ、『こいつをひっ捕らえろ!』と命じる。
 こうして男の子は捕らえられた。母親の手から奪われて、ひと晩じゅう仕置き部屋に押し込められた。まだ夜が明けそめる前から、将軍は狩猟用の晴れやかな衣装をまとっておでましになり、馬にまたがった。そのまわりには、居候や、犬や、犬番や、勢子が勢ぞろいし、やはり馬に乗って待機している。その周囲には、召使いどもが見せしめのためにあつめられ、彼らのいちばん前に罪をおかした少年の母親がいる。
 仕置き小屋から子どもが連れ出されてくる。陰鬱で、寒い霧がかかった秋の一日で、狩猟にはもってこいだ。で、将軍は子どもの服をぬがせるように命じる。子どもは服を脱がされ、すっぱだかになる。子どもは震え、恐ろしさのせいで正気を失い、うんともすんとも言えないありさまだ……『追え!』将軍が命令する。『走れ、走れ!』犬番が叫び、子どもは走りだす……『かかれっ!』将軍が絶叫し、ボルゾイ犬の群を、子どもにむかって残らず解き放った。母親の見ている前で子どもをけしかけ、犬どもは、子どもをずたずたに食いちぎってしまう!……で、この将軍、その後はどうやら禁治産者扱いになったとはいうんだが、さあどうだ……こいつをどうすればいい? 銃殺にすべきか? 道義心を満足させるために銃殺にすべきか? 言ってみろ、アリョーシャ!」
 「銃殺にすべきです!」青白い、ゆがんだ笑みを浮かべて、兄を見上げながら、アリョーシャが低い声でつぶやいた。
 「やったぜ!」イワンは有頂天になって叫んだ。「おまえがそう言ったってことは、つまり……やれやれ、たいした苦行僧だよ! ってことは、おまえの心のなかにも悪魔のヒヨコがひそんでいるってわけだ、アリョーシャ・カラマーゾフ君!」
 「ばかなことを言ってしまいました、でも……」
 「それそれ、その、でも、が問題なんだ」とイワンが叫んだ。「いいか、見習い僧、この世には、そのばかなことがあまりに必要なのさ。世界はこのばかなことのうえに立っているし、もしもこのばかなことがなかったら、世界にはきっと何も起こらないかもしれないんだ。おれたちが知っていることなんて、たかが知れているんだよ!」
 「じゃ、何を知っているんです!」
 「おれは何も知らない」イワンは、まるで熱に浮かされたように、話し続けた。
 「おれはいま、何もわかりたくないんだ。おれはただ事実ってものに寄り添っていたいんだ。だいぶまえに、おれは、理解しないって決めたんだよ。もしなにかを理解しようと思ったら、とたんに事実を裏切ることになるからな、事実に寄り添っていることに決めたのさ……」
 「兄さんはどうしてぼくを試したりするんです?」アリョーシャは興奮した面持ちで悲しげに叫んだ。「ちゃんと答えてくれますよね?」
    --ドストエフスキー(亀山郁夫訳)『カラマーゾフの兄弟2』光文社、2006年。

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月曜に短大で授業を終えましたが、半期15回の講座のうち、とうとう12回目まで終了してしまいました。のこるところあと3回。果たして、何を講義することができるのか、いつも悩むところです。

フレームとしての内容はできあがっておりますし、シラバス通り進行しますので、問題がないといえば、ないのですが、1回1回の授業を終えるたびに、「果たして自分は何を知っているのか」そして「果たして自分は何を話すことができたのか」と酷い頭痛に悩まされます。

手応えなんかもしっかりあるんです。

悪い授業はやっていないということ。

しかしながら、それと同時に「おれは何も知らない」ということも否定しがたく、その相剋に引き裂かれそうになってしまうのが実情です。

哲学、倫理学になりますから、イワンがアリョーシャにそうしたように、思考実験として試すこともしばしばです。

しかし、ほんとうに試されているのは、自分自身なのかもしれません。

往路・復路の電車のなかで『カラマーゾフの兄弟』を再読していたのが悪かったかもしれません。

なにやら、そのような焦燥と自己嫌悪のスパイラルに陥ってしまう……今日このごろです。

考えないで仕事としてやっていくことはもちろん可能ですし、そういう人の方が多いでしょう。しかし、それがなかなかできません。だからこそ、家業という意味での仕事して成立していないのかもしれません。

……などとぼんやりと考えていても始まりませんので、ちょいとたまったレポート添削をこれから少し挑戦してみようかと思います。

しかし……十二月になりますと、やはり激しく寒さが増してくるものですが、日中は比較的陽光のおかげでまだまだ過ごしやすいものです。

出講時、昼食に冬季限定メニューの「けんちんうどん」を頂戴しましたが、底冷えのする澄み切ったテラスでこいつを頂くと、躰の真のそこから暖まるという具合です。

この暖まる実感と同時に怯懦の念も出てくるのが人間なのですが、マア、実に摩訶不思議な存在であることだけはどうも否定することができません。

摩訶不思議なるものを摩訶不思議なるものとして受け入れることができるようになりたいものです。

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