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やがて遠い回想の対象と化し、歴史となった・・・?

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 調布の日活撮影所は、ほぼなかばを売却して現在は八千坪ほどの規模となったが、貸スタジオとして盛況である。テレビ映画やCFの撮影のみならず、旧日活の録音技術を信頼する陳凱歌など中国人監督たちが仕上げを行ったりもしている。
 第一ステージから第四ステージ、それからかつて「東京という幻想」の発信源となった銀座のオープンセットがあった場所には、巨大なマンションが建っている。しかし第五から第十三までのステージ、赤城圭一郎がゴーカートで衝突したその扉、スターたちが食事をし、石原裕次郎が撮影所では彼だけに許されたビールを飲んだ食堂は当時のままである。遠い昔、広い食堂の一角だけは日活ホテルの経営ということになっていて、そこだけはテーブルクロスのある立派なレストランだったのである。
 この撮影所が、日本の青年たちの高度成長時代前期の希望と、事実上の鎖国下にあることへの不満と焦慮とを反映し体現した「明るい不良青年たちの大学」のようであったときからすでに四十年がすぎた。当時の時代精神の結晶体ともいうべき石原裕次郎は一九八七年、五二歳で死に、吉永小百合は「物語」とともに残された。それは多少のおかしみに彩られた、可憐で健気な物語である。古いアルバムの中の記憶である。
 「戦後」は彼方へと去った。その上にはすでに幾つかの時代が層をなして降り積もった。そうして、「冷戦下の平和」をたのしんだ「戦後」も、「責任感なき前進」に専念して心に翳りのなかった「高度成長」も、その気分を「吉永小百合という物語」に一時仮託した「サユリスト」も、やがて遠い回想の対象と化し、歴史となった。
    --関川夏央『昭和が明るかった頃』文春文庫、2004年。

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午前中に赤羽で健康診断を受けてから、そのまま埼京線に乗車。
途中で乗り換えずに新宿で下車。

新宿の街を歩くのもひさしぶりで、空気が心地よいというのはこのことなのでしょうか。

飲み慣れた街であり、遊び慣れた街であり、生活需要を満たしてくれた街が新宿かもしれません。

学生時代に隣の中野区にずっと住んでいたこともあり、なにかを「手っ取り早く」「求める」ためには、彷徨したわけですが、都下に転居してからは飲みに行くだけの街となってしまったのがちょいと寂しいところは否定できません。

ただ……『特捜最前線』で描かれた「匿名」と「緊迫」と「瞬間」の隙間にかいま見せてくれるその表情は穏やかで、ひとりニンマリとしてしまった宇治家参去です。

用事があったわけでもないのですが、とりあえず、趣味であつめているクラシック・カメラのアクセサリーを2、3購入してから、西口から都庁方面まであてどもなくゆっくりと歩き、それからまたゆっくりと駅まで向かいましたが、そびえ立つ副都心のビル群はますます発展するばかりですけども、なにか猥雑さと新鮮さの両面を漂わせる「新宿情緒」はなにひとつかわっていないことにおどろくばかりです。

本来相反するはずの、猥雑さと新鮮さの同居をどのように理解すればよいのでしょうか。
高度経済成長が無限に伸展していくとすればそこには「鉄腕アトム」に描かれた清潔な近未来都市がデザインされてしかるべきです。

そしてその成長の抱える矛盾・ひずみが肥大化していくと、そこには「ブレード・ランナー」で描かれた猥雑な腐敗都市がデザインされてしかるべきです。

その両者が幸福な邂逅を繰り広げている街が新宿なのかも知れません。

印象批判になってしまうかもしれませんが、そこには「矛盾」の当体としての「昭和」の匂いが濃厚に漂っている……そう思われて他ならない宇治家参去です。

さて……前フリが長くなりましたが、テキトーに歩いただけですが、朝から何も入れておらず、小腹が減るというものですから、むか~し、よく通い詰めた「立ち食い」スタイル蕎麦やさん(といってもすべてカウンター席ですが)の老舗チョイ昼過ぎに、顔を出してきた次第です。

昭和・新宿を濃厚にとどめる「思い出横町」のちょうど真ん中にある「そば かめや」です。上野池之端かめやを母体する蕎麦屋さんですが、場所柄、スタンド8席のみというスタンド式一軒飲み屋風のお店です。

ですけど、ここでだしてくれるおそばすべて「生そば」です。

立ち食いの駅蕎麦=駅側(エキソバ)の殆どが「生そば」でないことを考えると、その筋では恐ろしく念入りに蕎麦を提供しているわけで、学生時代から、そして派遣社員で西新宿に勤務した4年の間にお世話になりっぱなしになった「隠れ家」のひとつです。
もちろん、注文ごとにそばをひとつひとつ茹でているわけではありませんが、それでも冷凍ものやあっためてもどして提供するだけの店とは味わいが段違いです。

師走とはいえ、すこし日溜まりがここちよい晴天でしたので、注文したのは、一番のお薦めである「天玉せいろ」。

要するにせいろ蕎麦に、掻き揚を添え、つゆに温泉卵をおとした逸品ですが、半年ぶりに箸を入れてひっくり返った次第です。

ちょい列んだのですが、そのあいだに、、、茹でられた蕎麦で、掻き揚げも狭い店舗ですが、きちんと定期的に揚げ続けますのでその揚げたてをゲットというわけで、コンディションは「天気晴朗ナレドモ波高シ」などとアナウンスしてしまいそうになるぐらいグッドで、脳内Z旗を掲揚する始末です。

関東風の濃いめの味付けのつゆに、蕎麦をひとし、まず、鮮烈さに満足。
あつあつの……タイミングによってはちょい冷えていますが、冷えていても絶妙に旨い!……かき揚げを、つゆに絡めて噛みしめますと、パラダイス。

途中で、温泉卵をイッキ啜りしましたが、濃いめの汁にぽんわかたまごがハーモニーを奏でるとはこのことなのでしょう。

三分一本勝負。

完敗した次第です。

これだけたのしませて頂いた「天玉せいろ」ですが、驚くことに数年価格が据え置きの370円!

いわゆる暖かいかけそばに掻き揚げと温泉卵をのっけたやつも同じ価格ですから、もう少し冷え込んでくるとつぎは、「天玉そば」がベストでしょうか。

嗚呼、ワレ幸福者ナリ……と満足しつつ、ちょいと、腹ごなしにと、こんどは東口界隈へまわり、往時を偲んだ次第です。

ノスタル爺(じじい)と揶揄されそうですが、たま~には、「ノスタル」に浸りますと、若い頃を思い出し(といってもまだ「若い」ですが)、サア、頑張ろうと思えるところが人間として生きることの醍醐味なんだよな……と思いつつ自宅へと帰路をとった次第です。

……というところで???

9月に応募した公募の専任、「御縁がございません」でしたような通知が到着の由。

マア、まだ、戦いますよ!

http://www.youtube.com/watch?v=NmDR5g8NOt8&feature=related

愛と憎悪と死が渦巻くメカニカルタウンなわけですけども、、、その隙間に見え隠れする人間模様はとは、なにげにうつくしいものですわい。

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