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恥の上塗りでは済まないはずなのですが……

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国会:小沢氏、キリスト教発言の申し入れに説明
 キリスト教を「排他的」などと批評した民主党の小沢一郎幹事長の発言を巡り、教会などでつくる「キリスト教協議会」(輿石勇議長)の飯島信総幹事が7日、党本部を訪ね、小沢氏の真意を問う申し入れ書を手渡した。

 申し入れ後、小沢氏は記者会見で「キリスト教は唯一の神で、一神教。仏教はいっぱい神様があり、各自の家に仏様があるという違いがある」などと説明した。

毎日新聞 2009年12月8日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20091208ddm005010159000c.html

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恥の上塗りとでも言えばいいのでしょうか……。
無知の涙とでも言えばいいのでしょうか…… 。

「キリスト教は唯一の神で、一神教。仏教はいっぱい神様があり、各自の家に仏様があるという違いがある」

確かに分かりやすい説明なのですが、決して正しい説明なわけでもなく……。

現代神学および宗教学の世界では、キリスト教の神を「一神教」とカテゴライズするにはもはや抵抗がある状況なのですが、そのへんの細かいところはスルーするとして、つぎのくだりでしょうか……。

「仏教はいっぱい神様があり、各自の家に仏様があるという違いがある」

……というくだりは、さすがに絶句する宇治家参去です。

これはどの仏教を指して表現しているのかまずもって理解できないのですが、はばひろく小沢大先生お住まいたる日本という国土世間の公認教として限定するならば日本仏教という名の中国経由の大乗仏教ということになるのでしょう。

で、、、その仏教においてはたしかに「いっぱい」「神様」が登場します。
しかしその「神様」と「響き」をなす対象は、日本的精神風土における「神様」なる言葉が象徴する対象とは、完全にかさならないのも事実ですから、ここでは、どちらかといえば、「仏教ではいっぱい仏があり」と表現した方が精確なのでは……と思いつつ、、、ついでに言えば、仏教における神の扱いは、人間と同じ「有情」という存在のバリエーションのひとつという位置付けにすぎず、厳密には神々は帰依の対象とはなりませんですから、なんだかナと唸ってしまった次第です。

一応、近代国家成立以後、進捗した神仏分離という文化事情を消息するならば、もっとそのへんの言葉は正確に使うべきなのでしょうが……。

ついでに後半部部ですが、つまり、「各自の家に仏様がある」。
「各自の家に仏様がある」というのはたしかにそうなのですけども、この語感はどちらかといえば、先祖崇拝の位牌文化としての「ホトケ」のことを物語っているのでしょう。死者を「カミ」として遠ざけ、対象化する文化との融合の過程で死者を「ホトケ」と称するわけですが、その事情を察するならばカタカナで使うべきでしょう・・・と思いつつ、このへんは記者の文責なのでしょうが……。

ともあれ、問題山積の・・・知的レベルを疑いたくなるような発言が続きますので、

恥の上塗りとでも言えばいいのでしょうか……。
無知の涙とでも言えばいいのでしょうか…… 。

これが、無知をもって任ずることのできる匿名ピープルであれば問題はないのでしょうが、大任をもった公人の発言であるゆえに、なおさら、涙すら出てこない、溜息しか出てこない、底の低さをみてしまい茫然自失する宇治家参去です。

ついでにもうひとつ。

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「ローマ法王の言う通り」プロテスタント団体の抗議に小沢氏
2009.12.7 19:56
 プロテスタント系団体の日本キリスト教協議会(輿石勇議長)は7日、民主党本部に小沢一郎幹事長を訪ね、小沢氏が11月にキリスト教を「排他的で独善的な宗教だ」と述べたことに対し「発言は見過ごせない。キリスト教は愛の宗教だと知ってほしい」とする申し入れ書を提出した。

 小沢氏はその後の記者会見で、自身の発言に関連し「(カトリックの)ローマ法王は『本来のキリスト教の教えを正確に理解せずに単純な合理主義と機械文明、物質文明に走ったところに西洋文明の行き詰まりがある』と言っているそうだ。私もその通りだと思う」と述べた。

産経新聞 2009年12月7日
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091207/stt0912071956004-n1.htm

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「(カトリックの)ローマ法王は『本来のキリスト教の教えを正確に理解せずに単純な合理主義と機械文明、物質文明に走ったところに西洋文明の行き詰まりがある』と言っているそうだ。私もその通りだと思う」

……とのことだそうですが、宗教性に深い根を持たない機械文明への指摘はローマ法王にだけ専売されるものではありませんが、その指摘自体は正鵠を得ていることには口蓋を満にして頷く次第です。

しかしながら、宗教を票田としか見ない、ないしは、国家が管理・利用すべきと発想する大先生の口からでた発言であることを勘案するならば、アレレとも思うところです。

宗教を即して理解するのではなく、利用する・管理するという大先生がいうわけですから、その提示する文化文明観そのものにも「行き詰まりがある」という陥穽があるはずなのですが……。

本朝の不幸な出来事が、不幸な未来をデザインするとすれば、なおおそろしい事態ではないだろうか……そのようにふつふつと思われて、もやもやする宇治家参去でした。

恥の上塗りとでも言えばいいのでしょうか……。
無知の涙とでも言えばいいのでしょうか…… 。

頭を抱える次第です。

どこにも所属しない日本教であると公言するのであればスルーする次第ですが、自称プロ仏教とアンチ・キリスト教を標榜する御仁の発言ですから、できるだけ精確を期してもらいたいところです。

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コメント

NCCの申し入れに小沢氏と同席した今野東議員は
民主党副幹事長の1人で小沢氏側近、かつ熱心な
クリスチャンである。

で、民主党に最も縁が深い宗教はキリスト教で
あることは流れを紐解けば明白である。
小沢グループだけでも今野東議員以外に何人もの
クリスチャンがおり、民主党国会議員の全体では
1割弱がクリスチャンである。

しかし、そのクリスチャン議員たちは普段その事
を声高に言わないので、後から党に入った小沢氏
は無知と見識の低さを晒したことになる。

小沢氏はこのまま屁理屈でのごまかしを続けて恥
の上塗りしないで失言を率直に詫びるべきだろう。

また、今野東議員の板挟みの立場を心配せずには
おられない。

投稿: tokumei | 2009年12月 9日 (水) 09時16分

tokumeiさんゑ

書き込み有り難う御座います。

おそらく、、、何もアクションをしない=時間が解決する?という日本的情緒的行動様式にしたがって、スルーしてしまうのではないかなあ、と想像してしまいます。

率直にわびるだけでも、事態はまったく変わってはくることは理解できるのですがね……ねぇ。

投稿: 宇治家参去 | 2009年12月 9日 (水) 13時42分

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