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幸福(Glück)ということばは、それは、私がいつも愛してきた、好んで聞いてきたことばの一つである

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 私たちにとって、ことばは、画家にとってパレットの上の絵の具が意味するところのものと同じである。ことばは無数にある。そして絶えず新しいことばが発生する。しかし、良いことばはそれほど多くはない。私は七十年間に、新しいことばが発生したのを体験しなかった。絵の具も、その濃淡と混合は数えきれないとしても、任意にたくさんあるわけではない。語の中には、話す人のすべてにとって、好きな語、なじまない語、ひいきにする語、避ける語がある。千べん使っても使い損ずるおそれのない日常語もあれば、どんなに愛していようとも、慎重に大切にして、荘重なものに似つかわしく、まれに特にえりぬいて初めて口にしたり書いたりする、別な荘重な語もある。
 私にとっては幸福(Glück)ということばは、そういうものの一つである。
 それは、私がいつも愛してきた、好んで聞いてきたことばの一つである。その意味についてはいくらでも議論をし、理屈をこねることができただろうが、いずれにしてもこの語は、美しいもの、良いもの、願わしいものを意味していた。この語のひびきもそれに相応している、と私は思った。
 この語は、短いにもかかわらず、驚くほど重い充実したもの、黄金を思わせるようなものを持っている、と私は思った。充実し、重みがたっぷりあるばかりでなく、この語にはまさしく光彩もそなわっていた。雲の中の電光のように、短いつづりの中に光彩が宿っていた。
    --ヘッセ(高橋健二訳)「幸福論」、『幸福論』新潮文庫、平成十六年。

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幸福とは何かを考えると、これまた収拾のつかない話題になって恐縮なのですが、通俗的には、最大限での意味における……美とか自然に対する驚嘆から、肉体的な快にいたるまで……快・不快も、幸福の一つであることは疑いようのない事実です。

ただしかし、東西の哲学者たちは、こうした対象に依存する形の幸福を超克するような……いわば、ゆるぎない幸福とは何だろうか……そう追求していたのが思想史における「幸福観」の議論なのだろうと思います。

そのことは重々承知しております。
対象に依存しないかたちでの幸福(感)よりも、揺るぎない形での幸福(観)としての幸福論を自分自身の中にも構築すべきなのですが、前者を全く否定することもできないのが生きている人間世界での実情ではないだろうかと思います。

土台として、ゆるぎない、いわば生き方としての、対象に依存しない形での幸福観を構築した上でもなおかつ、欲望の際限のない肥大化をさけつつ、生活に潤いを満たす程度の対象との関係も十分に、そして丁寧に必要ではないだろうか……、そう思う昨今です。

とわいえ、潤沢な金子がある生活ではなく、必要に応じて、オタカラを切り売りする生活をしておりますので忸怩たる部分を否定することはできませんが、マア、こちらの消息は幸福論とは別の生き方の問題であり、解決すべき自分自身の課題であるわけですが、それにもかかわらず、幸福感の問題と幸福観構築の問題を狭い部屋のなかで歩きながら考えておりますと、

「貴方宛に荷物が届いている」

……と細君がいうので、フト、珍しいなと思う厳冬のある日です。

オタカラを切り売りするだけでなく、趣味的なものから実用的なものまで、比較的ネットオークションや通販の類をかなり利用しますので、週に何度か配達物があります。

ですので、細君も基本的には到着した荷物をだまって……ただし「金ないのに何買ったんだ、テメエ」ってにらみを利かせつつ……部屋まで運んでおいてくれるのが常なのですが、、、

「貴方宛に荷物が届いている。食品だって」

などと念を押してきます。

たしかに「食品」の類を売買することは稀です。
酒関係は購買するわけですけども、その場合はだいたい「酒」と品名が書かれていたり、発送先が「○○酒店」なんて書いているので内容物がわかるわけですが、「食品」を直近で注文した記憶がなく……。

伝票を見てみますと、記憶の点と点、線と線が松本清張(1909-1992)張りにリンクされてき……、細君に、

「学生さんが、あの~、その~、贈ってきて下さったようです」

「はぁ???」

……だから言いたくなかったんです。

「はぁ???」

……と切り替えされる始末です。

開封する前から細君から

「非常勤とはいえ、教師たるものが、学生さんから物を“贈られて”“喜んでいてどうする”」

「教師という存在こそ、学生さんに何かを“贈るべきだろう”!!」

……などとしっぽりとお説教を頂く始末です。

そのことはわかってはいるのですが、正直には嬉しく、いやはや、ありがとうございます。

昨年の秋スクで受講してくださった学生さんから、年末に英国へ帰省した折り、「MURPHY'S」というアイリッシュスタウトを贈りますよ~っていわれていたのですが、それが配達されてきた次第です。

日記を借りて恐縮ですが、

本当にありがとうございました!

Thank you !
Merci Beaucoup !
Danke schöen !
tibi gratias !

生きていてよかったのはこのことなのでしょう。

早速開封させて頂き、ご仏前に懇ろにお供え申し上げた次第ですが、一緒に贈って下さったクッキーや紅茶も有難く、拝見させて頂きつつ……、感謝の念に耐えない長谷川平蔵でした。

クッキーとキャンディーは息子殿へ、紅茶は細君へ拝領させていただき、ぐだぐだいうその口を封じることができました。

さて……。

にやにやしながら、ビールの缶を眺めておりますと、

「幸福なんでしょう?」

……と細君がいやらしい質問をしてきます。

「ハイ、幸福です、ベリーハッピーです」

……そう答えざるを得ません。

生き方としての幸福観を樹立する、言い方を変えれば、なにものに揺さぶられることのない生き方としての幸福観を樹立することは必要不可欠です。

しかし、程度は限定的かもしれませんが……何しろ人間の欲望には際限がありませんから、そこをコントロールする視座は必要不可欠です……、日常生活に彩りを添える程度の潤いはやっぱり必要です。

そのことを実感した……夕方になってしまいました。

さて……。

なんだかんだといいながらも、やっぱり、絶対的なるものに対して相対的といわれる所以というものはあるわけです。

頂いたビールを冷やすのを失念しておりました。

ちょいとお預けのようです。

これがやはり、快・不快に起因する相対的との所以でしょうか。
ただしかし、頂いたという記憶は相対性を乗り越える何かであることだけは否定しがたく……、とりあえず、安物ですがASDAのスコッチにて労を……って何の?……ねぎらってやろうかと思います。

ともあれ、くどいですが、、、

Thank you !
Merci Beaucoup !
Danke schöen !
tibi gratias !

でございます。

まあ、しかし、あれです。

状態とか思想の高低浅深はここではツッコンで議論しませんが、まさにヘッセ(Hermann Hesse,1877-1962)が指摘するとおり、「幸福」とはいい言葉です。「それは、私がいつも愛してきた、好んで聞いてきたことばの一つである。その意味についてはいくらでも議論をし、理屈をこねることができただろうが、いずれにしてもこの語は、美しいもの、良いもの、願わしいものを意味していた。この語のひびきもそれに相応している」と長谷川平蔵も思った!!

久し振りに夕焼けに遠望できた富士の容姿も美しい休日に乾杯です!

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