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「自己を仕上げてこそ物を仕上げることができる」

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一二 「自己を仕上げてこそ物を仕上げることができる。物を仕上げるのは、自己を仕上げることの中に入っている。このように考えてこそ、道理に合致することができるのだ。聖賢の千言万語は、人にさしあたって身近なところから実行に移させる。たとえば、大きな建物を掃除するのは、小さな部屋を掃除する仕方と同じである。小さなところをきれいに掃除するのも、大きなところ(を掃除するの)も同じことである。もし大きなところで行きづまることがあるなら、それは小さなところで注意を怠ったからである。学ぶ者は、広遠なところをねらって、身近なところから実行しようとしない。それでどうして大きな問題が処理できよう。いままた内側から実行しないで、表面でうまく実行するものがある。これは才能がすぐれていて、才智で片づけているだけである。『中庸』で微細なことを説くところでは、独を謹み(第一章)、言を謹み、行いを慎む(第一三章)だけである。(同じく第一九章の)高大なことを説くところでは、武王や周公の高大な孝心による天下統治の内容の、そのすべてを載せている。小さなことは、大きなことの象徴である。ゆえに必ず行いを謹み言を謹まねばならない。微細なところから着手してこそ、かくも大きく充実できるのである」
 (先生またいう)「今日、学問をおさめるのが大変むつかしいのは、小学*を習う人が、ないからである。今日では、(足もとからでなくて)かえって頭から始める。古人は小学や小事の中に、大学や大事の道理をすっかり包んでいた。大学は、小学で身につけたことを推しひろげて行くだけであって、幼少の時以来、修得した道理が、その中に包まれている。素焼きの土器(を仕上げるの)とそっくりである」
*<小学>掃除対応から、親を愛し長上を敬うことに至るまで、幼少の頃に身につけるべき節度や教養をいう。こうした基礎的訓練を修得してから、更に深遠な道理をきわめ、政治的技術や理念を学ぶ。これを大学という。
    --朱子(荒木見悟訳)「朱子類語 巻八」、『類語抄』、荒木見悟責任編集『世界の名著19 朱子 王陽明』中央公論社、1978年。

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このところ宋代の儒家・朱子(朱熹,1130-1200)の著作をぱらぱらとひもといております。忙しいので、そんなものを読む暇はないのですが、読み始めると、これがとまらないというわけです。

この実感は朱子に限らず、たいていの儒家の著作を読むと……ただ読み始めるまでにヨイショが必要ですが……とまりません。おそらく国教としての制度・儒教としてできあがったシステムの背後に息吹く、儒家の肉声に接することができるからなのかもしれません。
儒学や孔子(B.C.551-B.C.479)と聞けば、なにやら古臭い道徳のイメージとか人間を抑圧する封建制度を想起しがちになりますが、肉声に接するとそうでもないことが理解され、そこに引き込まれてしまうというやつです。

孔子は『論語』で「怪力乱神を語らず」と語ったそうですが、この言葉にみられるように合理主義者の側面をもっております。また同時に「己を修めて以て人を安んず」というように、命令の道徳を説いたわけでもなく、どちらかといえば、カント的な倫理を模索したフシが濃厚です。

その言葉には、合理的な現実の人間理解とともに人間に対する優しさが溢れており、そこに感動を覚える訳ですけれども、その意味では、イメージの背景に見え隠れする儒家の大家たちの言葉には、おおらかな、そして強靱な人間主義の響きを感じ取ってしまうという次第です。

さて……。
朱子の「自己を仕上げてこそ物を仕上げることができる」というのは、まさに道理です。

小さな部屋の掃除ができない人間が大きな部屋の掃除ができる道理はありません。

マスクを被りほおかむりをして、逃げまくるオジサンが政界を騒がしておりますが、道理を踏まえていないのでしょうか……。

朱子の言葉に耳を傾けると、頭を抱えてしまう次第です。

小学を収めてはじめて大学へ着手することができるというものです。
自分自身を統治できるようになってはじめて、自分自身を含めた共同体を統治することができるようになるものです。

本末転倒……。

頭から始めたり、才智で片づけるだけでは本質的な変革なんかは不可能な筈なのですが……。

なにやら本末転倒のようで……。

頭を抱えてしまう次第です。

で……。
本末転倒といえばお恥ずかしながら自分自身もひとつ本末転倒をしてしまいました。
正月にお供え用に金箔酒を用意していたのですが、すっかり飲むのをわすれてい、昨晩頂戴した次第ですが、、、これは鯨のように大量に飲んでも旨いものではありませんネ。

ちょいと一杯、気分を味わう程度がベストです。

マア、これぐらいの失敗でしたら許容される問題……でしょうかねぇ。。。

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