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旨いもの・酒巡礼記:愛知県・名古屋市編「第八飯場丸」

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‥‥私の、幸福があらゆる行動律の基本原理であり人生の目的であるという信念は微動もしなかったけれども、幸福を直接の目的にしないばあいに却ってその目的が達成されるのだと、今や私は考えるようになった。自分自身の幸福ではない何かほかの目的に精神を集中する者のみが幸福なのだ、と私は考えた。たとえば他人の幸福、人類の向上、あるいは何かの芸術でも研究でも、それを手段としてでなくそれ自体を理想の目的としてとり上げるのだ。このように何か他のものを目標としているうちに、副産物的に幸福が得られるのだ。人生のいろいろな楽しみは、それを主要な目的とするのではなく通りすがりにそれを味わうときにはじめて、人生を楽しいものにしてくれる、というのが私の新しい理論だった。
    --ミル(朱牟田夏雄訳)『ミル自伝』岩波文庫、1960年。

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先月、通信教育部のスクーリングで名古屋へ出張したおり、到着日は、ひとりで地場の味覚を味わってこようと、マア、夜の盛り場を放浪したわけですが、折角写真もとったわけですし、そのときの記憶と味覚が消え去らないうちに思いまして、ひとつ紹介しておきます。

地方へ赴き、当地の酒を味わう際、たいていの場合は調べていなくても、だいたい間違いのないお店へあたることが多いのですが、これも酒呑介の勘働きというやつでしょうか。

テキトーに忍び込むわけなのですが、それでも一応、事前にグルなびなんかで、飲みたい酒を置いている店を2、3ピックアップして訪問するのが常であります。

つまみではなく、飲みたい酒を置いている酒を調べていくのは宇治家参去の宇治家参去らしいところです。

当日は、ホテルへ到着すると汗を流したり次の日の準備をすませてから出かけた次第ですけれども、金曜ですので、マア混んでいるだろうなア~とはおもいつつ、滅茶苦茶込んでいたことにびつくりです。

ちょうどホテルが名古屋最大の盛り場……なんと言えばいいのでしょうか、東京で言えば歌舞伎町と六本木が合体したような街……でしたので、フロントから一歩外へ出ると飲み屋に不自由をすることはない環境です。

しかぁ~し!

見当をつけていたお店はどこも満席・・・!!

ひと・ひと・ひとの波に驚きましたが、あとから聞いた話によると、当日がどうやら名古屋での忘年会の最大ピーク日(12/18)とのことで、どこもかしこもひと、ひと、ひとでの黒山です。

そうなりますと、まさに酒呑介の勘働きに頼らざるを得ず……。
というわけで、キャバクラ(伽場蔵?)の呼び込みの兄ちゃんの黄色い声を背中にうけつつ、たどりついたのが、「第八飯場丸」という一軒の居酒屋です。

ちょうどホテルと区画をひとつはさんだ近距離に位置する店舗でしたが、カウンターに宇治家参去がすわったところでまた満席……という状況です。

飛騨高山にあるような小民家風の造作に誘われたわけですが、給仕のおにいさん、おねえさんのてきぱきとうごく様子はすがすがしく、カウンター越しの厨房で腕を振るう板さんたちの雰囲気も清潔で、まずはにんまりです。

地場のグループ飲食店(かぶらやグループ)のひとつのようですが、出されるものもさることながら、料理にしろ酒にしろ結局は「人」が大きく影響する……この事実を確認しつつ、まずは、

「金しゃちビール」(ゴールド)で乾杯です。

すでに新幹線の車中でビールをやっていたのですが、最初のひとくちはビールに限ります。

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さて最初に注文していてなかなかこなかった「山芋明太焼き」がいよいよ運ばれてきましたが、あっさりとした小ぶりな商品をイメージしておりましたが、そうした通念は破壊されてしまいました。

瑞々しい山芋のすりおろしと新鮮な明太子を合わせて焼いた一品ですが、お好み焼を髣髴とさせるボリュームたっぷりの様に圧倒されるとはこのことです。

さくっとスプーンですくいつついただきましたが、驚くことには、お好み焼状の山芋明太焼きのうえには、うなぎの白焼きが合わせて調理されているではありませんか!

一度で二度おいしいとはこのことです。
「ひつまぶし」というわけではありませんが、最後にお茶漬けにこれをのっけてもいける!

山芋そのもの淡泊な味わいのなかで、新鮮な明太子がはじけ、おまけにうなぎの白焼きがその舞台の上で暴れるわけですから……ぱくぱくと箸が進むというものです。

ぶっちゃけ、この「山芋明太焼き」で腹いっぱいになってしまうという状況です。

さて……。

飯場丸さんの出してくれる「霜付ビール」を都合2杯ほどごきゅごきゅと喉をならしたわけですけども、どうしても躰が日本酒を要求するものですから……、三品ほど頂戴したとおりです。

『初亀』(吟醸亀印、静岡県)
『東洋美人』(純米吟醸、山口県)
『黒龍三十八号』(純米吟醸、福井県)

基本的に外に出ると「純米酒」か「吟醸酒」以上しか注文しないようにしておりますが……メニューになければシカタナシですが……、どれも間違いのない酒ばかりで、冷え冷えとした名古屋の夜が、味わいとともに暖まるばかりです。

そう……暖まるばかりです。

なぜなら、カウンター越しが、なんと、炭火焼きの板場になっておりまして……。
ガラスで煙を仕切り、土台には煉瓦を敷き詰めているわけですけれども……、

暖まる一方です。

しょうがないので、躰を冷やすために、これまた「霜付ビール」を注文する……という「善」のスパイラルが発生した次第です。

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さて……。
山芋明太焼きにて腹が一杯になりつつ、ぼちぼち帰るべかァ~と思案していたところ、真打ちが登場してしまいました。

ハイ。

「かま焼き」です。

「鯛のかま焼き」です。

そう……。

さきほど、暖かくしてくれる……というよりも実際は熱い……炭火の上でオネンネしておりました、真鯛さんが来てくださいましたっ!

焼いているところも見ていたんです。

そしてたぶん……。

もうひとりのお客さんも同じ商品を注文しているんだよな~、かま焼きを注文するなんて“通”だよなァ~、しぶいなぁ~って思っていたんです。

甘かったです。

注文していたのは宇治家参去宇治家参去一人でした。

東京でだいたい、かま焼きを注文すると、多くて頭の半分、よくある場合で、かまの部分だけというのが定石です。

そう思って注文していたんです。

ですけど、甘チャンでした。

しかも大甘チャンでした!

結構、いろんなところで酒を呑んでいるし、たいていのものは食べているという自負もありますし、誇り?もあります。

しかし、そうしたチンケな誇りや自負が木っ端微塵になるというのはこのことなのでしょう。

手元に来たのは大皿によそられた、頭全部でした!

うぇっぷし!!

最後の聖戦?に30分ほど費やしましたが、費やしてこれがまた正解!

「魚はかまに限る」と先達・先哲は申したと言いますが、塩だけなのですが、これが旨い!

ぷりっぷりっなのですけど、甘く、とろけるようで……。

腹も大変なことでしたが……うれしい悲鳴というのはこのことなのでしょう。

まさに、19世紀イギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill,1806-1873)が「人生のいろいろな楽しみは、それを主要な目的とするのではなく通りすがりにそれを味わうときにはじめて、人生を楽しいものにしてくれる」と喝破したのはウソでは無い……その言葉を噛みしめつつ、「第八飯場丸」を下船した次第です。

ともあれ……量と質で量がするのが名古屋の名物だと一人合点しながら、御三家筆頭格の尾張徳川家の御城下に敬意をはらいつつ……、ありがとうございましたっ!

……ってところでしょうか。

ともあれ……こうした記録を書きつつ、哲学的な著述とか思想史の探究よりも、こうした聞き書きのほうがスラスラと筆が走ってしまう自分自身にも驚愕する宇治家参去でしたっ!

■第八飯場丸
〒460-0003 愛知県名古屋市中区錦3-12-10
052-955-5088
営業時間 月~土 18:00~05:00(L.O.04:00)
定休日:日曜日、祝日
http://r.gnavi.co.jp/n241016/

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