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冬はつとめて

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春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
 夏は夜。月のころはさらなり、やみもなほ。蛍の多く飛びちがひたる、また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも をかし。雨など降るも をかし。
 秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、からすの寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて、雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。
 冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりてわろし。
    --清少納言(池田亀鑑校訂)『枕草子』岩波文庫、1962年。

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清少納言(966?-1025?)の細やかな感性と溌剌とした発想を体験しようと思ったわけではありませんが、昨日は夜半に目覚めてしまったお陰で、久し振りに厳冬の日の出前後の街並みを散策した宇治家参去です。

通常ですと、やや遅い午前に起床するのが常ですが、昨日は起きている「ついで」ぢゃ!と思い、ぷらぷらと日の出前後に散策した次第ですが、蒼海のような、漆が一点も落ちていない掃き清められた蒼天が徐々に赤みを帯びてくる日の出と遭遇しつつ、

まさに「冬はつとめて」を実感する次第です。

「春はあけぼの」だそうですが、「あけぼの」とは「明け方」
「冬はつとめて」だそうですが、「つとめて」とは「早朝」

「明け方」から「早朝」にかけてくり出しましたが、「冬はつとめて」のほうがよいのでしょうねえ。

春だと「あけぼの」のほうがその自然美の転変に脅威するわけでしょうが、冬はやはり「つとめて」のタイミングが絶妙です。

「早朝」の転移する色鮮やかな自然美には、東京に在住しながらも驚く次第です。

これから仕事へいくひと。
新聞やミルクを配達するスーパーカブのエンジン音。
犬の散歩をなされるひとびと。

そうした息吹が、一種のオーケストラのようであり、自然のスクリーンに映し出される情景はまさに天然色のようで、心が洗われるというのはこのことなのでしょう。

ただし……。

宇治家参去は寝間着に単衣の浴衣を愛用しておりますが、これに袖無しの羽織りでぷらぷら出かけたものでしたから、寒いのったらありゃしません。

……ということで、いっぺえやったので、すこぶる快調に二度寝ができたのは幸せかもしれません。

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