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人生に逆境はない。如何なる境遇に在りても、天に事へ人に仕へる機会は潤澤に恵まれている:吉野作造の生まれた日

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 一八七八年(明治十一)に生まれた吉野作造は、明治青年のナショナリズムを深く共有していることは疑いない。明治期のナショナリズムは、国権意識と民権意識の混同をそのひとつの大きな特色とするが、吉野作造もその陥穽を免れることはできなかった。当時としては進歩的な発言と見ることも可能だが、ナショナリズムの範囲内での発言がほとんどである。しかし時代状況との対応のなかで、吉野はナショナリズムを相対化し、国権意識と民権意識を整理し、民福増進を図るようになる。その意味では、吉野の歩みはナショナリズムとの対峙、脱構築とみることも不可能ではないだろう。

 最後にキリスト者としてのナショナリズムとの対応に関してひとつみておきたい。
 教会史家の山路愛山は、近代最初期の日本のキリスト教入信者たちの特質を次のように見た。

 かくて時代を謳歌し、時代とともに進まんとする現世主義の青年が多く戦勝者及び其同趣味の間に出で、時代を批評し、時代と戦はんとする新信仰を懐抱する青年が多く敗戦者の内より出でたるは與に自然の数なりきと云はざるべからず。総ての精神的革命は多くは時代の陰影より出ず。

 周知の通り、最初期のキリスト者は佐幕系諸藩の武士階級の人々がほとんどである。明治維新をただの政治維新とみて、それ以上に精神的維新の必要を見てとり、キリスト教信仰によって愛国とナショナリズムが完成されるとの気負いが著しく強い。吉野の信仰の師・海老名弾正もその例外ではないし、福音主義の頭領と目される植村正久も、無教会主義の内村鑑三もその例外ではない。敗残というルサンチマンと著しい気負いが最初期のキリスト者に共通して見て取れるメンタリティーである。
 吉野作造は武士階級の出身ではない。
「私は東北の片田舎の一商賈のせがれである」。
 しかしながら、生家は宮城県志田郡大柿村(後の古川町、現在の大崎市)であるから、旧仙台藩に属した地域である。旧仙台藩は戊辰戦争では幕府側につき敗者となったため、明治新政府となった薩長藩閥に対する抜きがたい反感が人々の心に深く根を下ろしていたようである。
 吉野に深く影響を与えた海老名弾正はナショナリズムと信仰を一体化させるなかで自己の使命を確認したが、吉野作造はその両者を分離することが自身の使命となった。
 二人には牧師、信徒、そして世代や出身階級の違いは歴然として存在する。
 一方は時代状況にのみこまれたとすれば、一方は時代状況と対応するなかで、ナショナリズムと信仰を区別していくようになるが、そのあたりの消息を、海老名との対比だけでなく、木下尚江との対比のなかで、キリスト教の受容過程として丁寧に明らかにする必要があると思われるが、それは後日の課題としたい。
    --拙論「吉野作造(前期)のナショナリズム--日露戦争から第一次世界大戦までの対応」、『東洋哲学研究所紀要』第25号、東洋哲学研究所、2009年。

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のっけから拙論で恐縮する宇治家参去ですが、年末に上程した吉野作造(1878-1933)論からの引用です。

キリスト教神学研究者がなんで、吉野作造かという問題がありますけど、キリスト教神学研究者だからこそ吉野作造っていう部分があるんです。

中学校の歴史の教科書でも、大正デモクラシーの論壇をリードした政治学者として吉野作造が紹介されているとおり、名前としては、巷間に知れ渡っております。

政治学史、憲政史の文脈では、山のような研究論文業績が散見されます。

民本主義を主張し、体制の枠内での漸進主義的改革という限界をもった主張というのが一般的な評価です。

政治学史、憲政史の文脈では、……語弊を招くような表現ですが……、ある意味では決着のついた、評価が済んだ思想家の一人です。

しかし、決着もついておりませんし、それによって評価が済んだわけでもありません。

お恥ずかしながら、自分も改めて研究対象として俎上に載せるまでは、「評価が済んだ」歴史上の人物と認知しておりました。

大学院で、指導教官の鈴木先生から「きみは、吉野作造をやったようがいいよ、やったほうがいいよというか、吉野作造を学ぶことで、今の君自身を学ぶことができるはずだ。やったほうがいいよといより、やったほうがいいよ」と言われたことがきっかけで、取り組んだわけですが、正直なところ発見の連続です。

日記で何度も紹介しているとおり、吉野作造はクリスチャンです。
お恥ずかしながら……というのは、法学の側面の評価を周知でしたが、信仰者の側面をまったく払拭して浅はかさです。

吉野の議論は、すべてその信仰という大地に内在しております。

しかし聖職者ではありません。極端な言い方ですが、ただの平信徒です。

神学をやるというと、マア、特定の思想家をやるのが通例なのですが、鈴木先生は敢えてだと思うのですが、自分に与えたテーマはすべて「平信徒」ばかりでした。

神学議論として、哲学的議論としては稚拙なところがあるのは否定できません。ですがあえてそういう対象ばかり「やったほうがいいよ」って示唆されつづけました。

「それがきみのためになるんだから」

正直なところ、なかなかその言葉が最初は飲み込むことができませんでした、なにしろお馬鹿ですから。

ですけど、年を追うごとに、そのことの大切さを理解するようになった次第です。

いうなれば、教義学のテキストに載るような部分から、余剰していく部分というものを、学ばせて頂いたというところでしょうか。

吉野作造のデモクラットとしての業績は、まだまだ沃野はあるといえ、ある程度の公定評価はできあがっております。しかし、それを支える信仰観、人間観、世界観の探求はまだまだです。

そこを切り開く使命を与えてくださったのが、宇治家参去のすべての状況を承知の上で与えてくださった学問の恩師・鈴木先生の学恩かもしれません。

さて、そうした吉野作造が誕生したのが本日1月29日です。

今から、132年前の今日です。

吉野作造の民本主義の思想は、主権の所在を問わない点で、確かに「理論としての限界」は存在します。デモクラシーの旗手として活躍した当時からも、その点を、右から批判(天皇親政の立場からの批判〔上杉慎吉〕)されていますし、左からは、理論の陥穽を批判(山川均)されております。

しかし、吉野作造が見出し大切にしたのは、理論そのものではないという点です。

理論よりも優先されるべきは何でしょうか。
生きている人間です。

システムそのものではなく、人間そのものだったことを忘れてはいけないのでしょう。

戦後、確かに体制・理論としての民主主義は確固として樹立されます。
しかし、民意に耳を傾ける、そしてその幸福の増進を図る……という目的がデモクラシーの議論のなかですっぽりと抜け落ちてしまうと、概念に人間が規定されてしまうというお寒い状況を招来してしまうといのがその実情です。

あげく、関心はうすれ、関心はうすれることによって、がめつい顔のオッサンたちは、庶民感覚を超脱した金銭を扱いながら、「知らなかった」とシラをきり、シラ切るすがたをみなれてひとびとは、さらにひいていく……そういう構造になってしまいます。

しかし吉野作造は、あきらめません。

死ぬ直前まで、信仰に裏打ちされた信念によって、努力を積み重ねます。

きっかけはともあれ、吉野作造を研究することになったのは、幸福だと思います。

神学者・牧師に多いのは……語弊はありませが……「信仰のため」が最優先されます。
しかし吉野作造は神学者・牧師ではありません。

だからこそ、本人も公言してはばかりませんが「信仰のため」とは一言もいいません。
ですけど、「信仰」によって「薫発」されたところを大事にします。

信仰という大地に内在しつつ、それぞれの展開を限界までぎりぎり探求していく。

信仰の可能性のひとつのよいお手本を学ばさせて頂いているような記がします。

盟友・内ヶ崎作三郎は吉野の死後、「(吉野作造は)無限の親切の人」だったと語っておりますが、その人格を支え、薫育した宗教の問題を解明するのは、この無宗教性がもてはやされる現代においてこそ必要な作業なのだと思います。

ともあれ、生誕132年目を迎えた吉野作造の思想の持つ意味はいやまして大きいものだと思います。

……ということで、今日は、要するにめでたい日なんです。

だから、吉野作造大先生には安ワインで恐縮ですが、乾杯です。

……ということで、最後に、これも何度も紹介している言葉でありながら、自分自身の座右の銘となっている吉野作造の言葉を紹介します。

吉野作造自身が最大の逆境に陥っているときに日記からです。

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 人生に逆境はない。如何なる境遇に在りても、天に事へ人に仕へる機会は潤澤に恵まれている。
  大正十三年六月十五日    吉野作造
    --吉野作造「日記 二」、『吉野作造選集 14巻』岩波書店、1996年。

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「天」だけでなく「人」にもというところがしびれます。
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