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めでたい日……ですけど「これは平凡なことです」が「驚愕」しましょう。

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ポワリエ あなたは他者の顔との関係は、はじめから倫理的なものであるとおっしゃっておられますが、なにゆえそうなのでしょうか?

レヴィナス 倫理、それはあなたにとって異邦人であり、あなたに関係ない他者が、あなたの利害にかかわる秩序にもあなたの感情にかかわる秩序にも属さない他者が、それにもかかわらずなお、あなたに関係する場合の身の処し方をいうのです。他者の他者性があなたにかかわるのです。それは対象が知によって聖人されるような認識の秩序(それは諸存在者との関係の唯一の様態とみなされていますが)とは別の秩序に属する関係です。純粋な認識の一対象に還元されることなしに、私たちは一個の自我にとって存在しうるでしょうか? 倫理的関係のうちに置かれたとき、他の人間は他のものにとどまります。そこにおいては、他者とあなたを倫理的に結びつけるのは、まさしく他人の違和感であり、こう言ってよければその「異邦人性」(étrangereté)なのです。これは平凡なことです。けれどもこの平凡さに驚愕しなくてはなりません。超越という観念が立ち上がってくるのは、おそらくここにおいてであるからです。
    --エマニュエル.レヴィナス・フランソワ.ポワリエ(内田樹訳)『暴力と聖性 --レヴィナスは語る--』国文社、1991年。

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昨年の日記にも書きましたが、本日1月12日は私淑するといいますか、敬愛するといいますか、勝手に学問の「恩師」としてしまっているフランスのユダヤ系の倫理学者・エマニュエル・レヴィナス先生(Emmanuel Lévinas,1906-1995)の誕生日です。
※〔補足〕本朝の知的風土として「師匠」を持つということに対して藪睨みする気配が濃厚ですが、宇治家参去としては「何をか況や」です。学識を装いながらも忘恩を繰り返す本朝の知的風土にあきれかえるわけですから一言付言しておきます。
その道の先師をを「師匠」として仰ぎ見ることは人間として自然な敬意の所作であり、まさに「何をか況や」です。その道で「師匠」がいない人生ほどサミシイことはないと思う次第ですし、まさにレヴィナス先生の場合、上述したとおり勝手に自分が「師匠」として決めた思想家であるように、「師匠」を決めるのは「師」につく「その人」自身の発露に根ざすものですから、カテゴリーとして工場でつくられるレディメイドな関係ではなく、自覚の問題なのですが……って脱線しました。

日付が変わってから、勝手にお祝いを始めた宇治家参去です。
※〔補足〕ちなみに二人の知人の誕生日……まぢ、ウラヤマシイです……でもありますので、それを含めて勝手にお祝いを始めております。

言うまでもありませんが、老師・レヴィナス大先生には会ったことはありません。
書物にちりばめられた言葉と対話するなかで、激励され、薫陶され、叱咤されただけにすぎません。

ただしかし……そこで開陳される言葉の重みに、ただただ納得してうなだれるばかりなのですけれども、それでもギリギリまで現実を開拓していこうとするその真摯な姿勢と、シニシズムに対する手厳しい批判に、救われると同時に学ばせて頂いたこの十数年です。

象牙の塔を気取るとまではいいませんが、「“純粋”知」の探求は、生活とか現実とか不可避的に乖離してしまう傾向を帯びてしまいます。しかし、「知」とはそもそも人間が世界を理解し、認識する「生きる力」として発したのがその消息でしょう。

であるとするならば、先鋭化してもかまいませんけれども、知とはどこまでも人間から離れていってしまってはいけないのかもしれません。

その意味では、まさに“どうしようもない”「平凡さに驚愕」しなければならないのでしょう。

すべての日常生活の関係性は、「顧みるに足らない」「考察不要」の所与の関係として処理されるのが常であります。

しかし、その所与の関係性こそ「顧みるに足らない」わけでもなく「考察不要」のものでもないのでしょう。

所与の関係性に対する違和感、よくいえば差異の尊重こそ肝要なのかもしれません。

……ということで、本日の祝い酒は「浜千鳥 純米酒」((株)浜千鳥・岩手県)。

一昨日、市井の職場のバイトくんがお土産として買ってきてくれた逸品です。

穏やかな飲み口にもかかわらず、しっかりとした旨さをたたえた純米酒の呑み口に脱帽するばかりです。

しかし、この関係性もいわばスルーしてよい関係性ではなく、日常の一コマにもかかわらず、もとはといえば全く関係のない「我」と「汝」が交錯する一瞬の結果であるわけですから、のうのうと享受すべき問題ではなく、まさに「他人の違和感であり、こう言ってよければその「異邦人性」(étrangereté)」を喜び、讃えながら、その関係性を大切にしていかなければならないわけだよな~と理解すべきなのでしょう。

ともあれ……
こうした新しい視座……超越即内在した形で人間を理解しようと知る……を教授してくれた老師・レヴィナス大先生は、やっぱり自分の学問の恩師の一人であり、その弟子あであることが「誇り」でもあります。

マア、くどくどとした議論はひとまずおきます。

要するに……めでたい日なんです。

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