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問うということは、求めることである

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 すべて、問うということは、求めることである。そしてすべて、求めるということは、求められているものの側からあらかじめうけとった指向性をそなえている。問うということは、存在するものを、それが現にあるという事実とそれがしかじかにあるという状態について認識しようと求めることである。認識的に求めることは、問いがむかっているところのものを開発的に規定する作業という意味での「考究」となることがある。要するに、問うということは「……へむけられた問い」であるから、それによって問われているもの(Gefragtes)がそれにぞくしている。--すべて「……へむかって問う」ことは、なんらかの形で、「……に問いかける」ことである。したがって、問うということには、問われているもののほかに、問いかけられているもの(Befragtes)がぞくしている。--考究的な、すなわち特に理論的な問いにおいては、問われているものが規定されて概念として表明されなくてはならない。この場合には、問われているもののなかに、根本において指向されたものとして、問いただされている事柄(Erfragtes)がひそんでいるわけであって、問いはそこにいたって目標に達するのである。--問うことは、ある存在者、すなわち問う人間のはたらきであるから、それ自身、固有の存在性格を帯びている。問うことは、「ただ何気なくきく」という形でおこなわれることもあれば、また明確な問題設定としておこなわれることもある。後者の特色は、問うことがここで述べた問いそのものの構成的諸性格のすべてにわたって、あらかじめ透明な見通しを得ているという点にある。
    --マルティン・ハイデッガー(細谷貞雄訳)『存在と時間 上』ちくま学芸文庫、1994年。

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年が明けるで一番驚くのが、配達されてくるレポートの数です。

年末年始で大学がお休みでしたので、その間にごっそり届けられたレポートが、つまり通常の2-3倍の量がまとめて配達されてきますので、驚きます。

しかし返却締め切りは、同じスパンですので、そこがいたいところですが、皆様の「問うということ」「求めること」に真剣に向かいあいつつ、協同作業として、見ていかなくてはなりません。

ただ驚くばかりでなく、うれしかったところもひとつありました。

先月、名古屋で『倫理学』を講じてきた次第ですが、その履修者からのレポートが結構含まれていた点です。

講義の中でも口酸っぱく「授業が済んだら、すぐにレポートを出すように!」に何度も繰り返したのがよかったのでしょうか……。

冬休みに挑戦され投函されたのだと思いますが、口角泡を飛ばした甲斐があったというものです。

人間が学ぶ=探究するということは、狭い学問に限定された働きではありません。

「問うことは、ある存在者、すなわち問う人間のはたらき」ですから、「『ただ何気なくきく』という形でおこなわれることもあれば、また明確な問題設定としておこなわれることもある」わけですが、その働きを少しづつでも挑戦していくと、気が付いたときには大きな財産になっているのかなと思う次第ですが、実はそれは宇治家参去自身にとっても同じであります。

提出されたレポートと向き合いながら、そして教室で学生さんと向き合うなかで、自分自身の「問う」という探究が深化していているということを実感するわけでもありますので、実にありがたいひとときです。

さあ、これから市井の仕事を済ませてから、ちょいと内容を見ながら朱を入れていこうと思います。

ただ……やっぱり・・・、

……量が多い!

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存在と時間〈上〉 (ちくま学芸文庫) Book 存在と時間〈上〉 (ちくま学芸文庫)

著者:マルティン ハイデッガー
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