【覚え書】「社説 『個所付け』資料」、『毎日新聞』2010年2月17日(水)付。
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社説 「個所付け」資料
これこそ利益誘導では
これでは政治の刷新とほど遠い。政府は10年度予算案の公共事業の実施場所である「個所付け」を示す資料を国会に提出した。道路事業593路線のなかで民主党見連や知事の要望があったのは321路線で、そのうち190路線は概算要求時よりも事業費が増加していた。
こうした資料は政府からすでに民主党の地方組織を経由し自治体に通知され、情報も独占されていた。個所付けは自民党政権時代も族議員を通じた地元への利益誘導の有力な道具だったが、今回の手法は党ぐるみで地元の陳情を口利きし、与党の権勢を示したと取られかねない。政府は個所付けの手続きを是正し、透明化を確約すべきである。
道路や河川工事など公共事業について実施場所や予算配分を決める個所付けは、自治体や業界団体からの関心が高い。例年は予算成立後に公表されるが、自民党政権当時も族議員らは内々に決定や情報収集に政治力を発揮してきた。
ところが今回、国土交通省から資料を得た民主党は1月末、その情報を党の各見連に通知し、これが一部の自治体に伝えられた。政府はこの資料を「仮配分」であり個所付けとは異なる、として同一資料の公開を拒み続けた。だが、野党側から批判を浴び、やっと提出した。
まず問題なのは、情報管理の不透明さだ。政府は予算成立前に党の地方組織にまで情報が流出したのは想定外とする。だが、公共事業のパイがしぼむ中、結果的に個所付けと目される資料を身内の民主党が独占し、それを地方に伝えることで与党の権勢を認識させた格好である。自民党が敏感に反応したのも、こうした効果を熟知しているからだろう。そもそも予算編成時点で個所付けを全面的に情報公開し、その内容を国会で堂々と議論すべきなのだ。
事業評価をベースに個所付けを進めたとし、利益誘導を否定する政府側の説明もにわかに信じがたい。概算要求を上回る事業費が計上されたケースを見る限り、民主党見連や地元の要望に影響されたことは否定できまい。しかも、さきの衆院選で民主党が優勢だった地域に手厚い傾向があり、次期参院選の重点選挙区を意識したような印象も与えている。
鳩山内閣も当初は予算編成段階で個所付けの内容やその評価基準を示す透明化を打ち出す予定だったという。それが民主党側による地元陳情の集約に伴い手続きが閉ざされ、党をあげての利益誘導と言われかねない状況に変質してしまったことは異常である。古色蒼然とした政治に陥りつつある疑念をぬぐえない。これでは「コンクリートから人へ」という、政権のスローガンが泣く。
--「社説 『個所付け』資料」、『毎日新聞』2010年2月17日(水)付。
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結局おなじかよっ一人ボケ・ツッコミをして一人バックドロップをする宇治家参去です。
諄いようですが〝為にする〟批判をしようとは思いません。
ですけども、マア、ねぇ……当事者の心根が同じであるとすれば、なんだかなと思わざるを得ません。
利益の追求は必要ですし、公金というかたちの税金の運用に関するならば、なおさら一層、無駄を省くべきですし、公共のためになって欲しいというのが人情です。
しかしなんといえばいいのでしょうかねぇ、。
「利益」という言葉における〝利〟をはき違えているとでも言えばいいのでしょうか……。
日本の、そして東洋世界における思想史のなかでは、この「利益の追求」という発想は、公定イデオロギーと化してしまった朱子学的発想を背景にして、その正当な思想的価値というものはマア、あまり積極的には認められておりません。
どちらかといえば、個人の……特に我利我利亡者のような……利益の追求というものは〝うさんくさい〟ものとして受けとられるカルチャーがあることは否定できません。
ですからでしょうか。
その対極にある、これまた問題のあるカルチャーとしての「滅私奉公」へとも傾きやすいんです。要するにはじゃア、自分の利益を捨てることこそ立派なんだよってやつですよね。
はあ、うんざりです。
さて、価値観における極端の一方から一方への転換ってすごく起こり易いんですよね。
通俗的な事例になりますが、民主主義の飽和状態が全体主義を招くというやつです。
公と私というものは本来、両極に分断された固定的な価値ではないなのでしょう。お互いに緊張的な相即的な関係にあるのがその実情ではないかと思います(それは個と社会の関係に関しても然りです)。
その利に関わる部分がうまく整理できていないし、なんとなく固定化された価値として、しかいも、あんまり「考えるに値しない」価値とされているところにそもそも問題があるのでしょう。
さて……公と個ですが、公共性に関しても私的な利益の確立をその原点におかないと抽象化した立場にすり替えられてしまいます。個人の存在と切り離された危険なかたちで、「国家」や「全体」の利益という形で、個人の利益が全体を代表してしまいますし、その逆お然りです。
公共の利益とは本来、そこに属するひとりひとりの個人の利益の一つのあり方なんです。その意味では、個人的な利益の特定の状況が公共の利益といってもいいのでしょうが、その場合の公共性とは、功利主義的加害原理を勘案するならば、他人の私的な利益や権利を侵さない限りにおいて、個人の利益や権利は自由に主張できるというスタートになるのでしょう。
これが公共性のミニマムなところだと思います。
近代のデモクラシーは「個人の利益」と「公共の利益」の尊重・調和・基礎があるはずなんです。
しかし、個と公共、そして利益の問題を真剣に考えないまま、ずるずるべったりきたのがここ百数十年の近代日本の歩みかもしれません。
戦前はいわば、問答無用の抽象化された立場としての「公共」の優先です。
そして戦後は、弱に教職として抽象化された立場としての「個人」の優先、つまるところの〝物取り合戦〟という奴です。
そして両者に共通しているのは、生きた個人も、生きた社会も存在しない抽象化された立場であり、そして「利益」はうさんくさい、だから抽象化してしまいしょう……というスルーな態度ではないかと思います。
利益はうさんくさくない筈なんです。
価値論的にもういっぺん、議論を整理して、真面目に考えるべきなんです。
議論を整理しておりませんが、もひとついえば、戦前・戦後に共通する正義論が、公共性とも個人の生活世界とも乖離した、作業仮説の〝普遍的〟正義論にしばられつづけているということです。正義と結びつかないと公共性にはならないわけですが、何処かに存在する普遍的正義そのものが〝公共性〟を規定するわけでもありませんし、個人の存在を根拠づけるわけでもありません。ですから、普遍的志向とされる「正義」論の立場から滅私奉公が強要されると同時に、戦後は、公共性の強要は見えるかたちでは否定され、個人の利潤追求が解放され、ケ・セラ、セラの到来となりましたけれども、結局は正義を勘案していないため、利益は「うさんくさい」だけで済まされてきた……そんなところなんでしょう。
個人の利益とその総和としての公共性、そして個と公共の関係にきちんと道筋をつけるべきなんです。
ゆえあって、吉野作造(1878-1933)を研究しておりますが、吉野自身もそれを深く悩むなかで独自のデモクラシー論を練り上げました。
吉野の発想は、足元の一人一人の利益をつなぎ合わせたら公共性になる、そして、それを横に拡大していくと正義論にもつながる……そういった発想です。その具体的構築が彼自身の知的格闘であったように思われます。
ですから、当時は左右両者から、「普遍性」がないと弾嘩されると同時に、利的な方便論とも揶揄されたものなんです。
しかし抽象化された発想をさけつつ、何が大切なのか、それを追求した生涯のように思えて他ならないのですけど……。
ぐだぐだ書き連ねてすいません、【覚え書】なんですけどね。
ただ吉野の発想が照射するならば、
「政治家になにかをしてもらう」から利益誘導主義になることだけは否定できません。
民主主義のプロセスをその原点にかえって発想するならば、「政治家を使いこなす」ことが必要なのでしょう。
そしてその足下から、一人一人の利益をつなぎ合わせる形での公共性を立ち上げていく……それが本来の仕切作業なんでしょ!……、そして公共を「話し合い」のなかで立ち上げていく、そこに公共と個の利益を考えていく、その辺が大事なはずなんです……が。
整理せずに書き殴りすいません、ぐだぐだです。
ともあれ、いっぺえやって寝ます。
しかぁ~し!
幼稚園児の息子を抱えるワーキングプアのお父さんは怒っているんです。
※、例の仕切作業ってやつで、か細い人文科学系への財政投融資は皆無のようになってしまったことに対するルサンチマンがないといえば否定できませんヨ。こんにゃろー。
まあ、冷静になって霊性?の立場から、要点だけ整理するばらば……
①利益について「うさんくさい」って退けるのではなく、もういっぺん、価値論的に議論を整理して正当に捉え直すことの必要性。
※これがないから全部うさんくさくなり、人間からかけ離れた利益とか、利益誘導てきな利益しか出てこない
②公共と個人の相即的関係をみなおすべき
※お互いに離れて存在しない。正義論の再構築。
③、①、②がよく分かっていないから、本来、公共と個人を本来はつなぎとめ、お互いを代表=レプリゼントすべき政治家さんが、結局は同じ事を繰り返す
※結局は、原理探究における知的格闘も皆無で数合わせの論理、十年二十年先を見通して動くこともできず、所詮次の選挙までの時間しか発想できないところにどうしようもないところがあるわけですが。
④おまえら、いいかげんにしろよ。
⑤というわけで放置も出来ません。
吉野作造が常々語りましたが、「政治家に頼るな」。「政治家を使いこなせ」。
ここに、ひとつのヒントがあるかもしれません。
……ということでしょうか???
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