学問に対する信頼と自分自身に対する信頼とをもつこと
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時世の騒がしさの中に人となった我々年輩の者は、青年時代を煩わされずに真理と学問とに献げうるこの日に青年時代をもつ諸君の幸運をよろこぶものである。私は自分の生涯を学問に献げて来た。そうして私がヨリ高い水準と、ヨリ広い範囲において、ヨリ高い学問的関心の普及と鼓吹とに協力することができ、しかもまず第一に諸君をこの関心に導き入れることに与りうる地位にいま自分を見出すことは、私の満足に思うところである。首尾よく諸君の信頼を得、またそれに添いうれば幸である。しかし、それにはまず第一に、諸君が何よりも学問に対する信頼と自分自身に対する信頼とをもつことを切望してやまない。真理の勇気、精神の力に対する信念が哲学の第一条件である。人間は精神であるから、最高者にふさわしく自分自身を尊敬してよいし、また尊敬すべきである。人間の精神の偉大さと力とについては、いくら大きく考えても、すぎるということはないのである。またこの信念をもってすれば、人間に自分を開かないほどに冷淡なもの、頑固なものはないだろう。最初は隠され、閉されている宇宙の本質も、認識の勇気に抗しうる何らの力ももたない。この勇気の前には、その宇宙の本質は必ず自らを開き、その富と深底とを、その人の眼前に現わして、享受に委ねるにちがいない。
--ヘーゲル(武市健人訳)『哲学史序論 哲学と哲学史』岩波文庫、1967年。
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なんども読んでいるヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel,1770-1831)の「哲学史」の講義録ですが、その冒頭の就任演説の末尾に釘付けになってしまいました。
ハイデルベルク大学で1816年10月28日に、若き学徒を前にヘーゲルが語った言葉なのですが、この言葉は老若男女に関わりなく、何かを学ぶといううえでは、必要不可欠の構えなのかもしれません。
たしかに、先達から何かを学ぶということに関しては、畢竟、総てを受け入れるという意味での謙虚さは大切なのですが、それがすべてではないのかもしれませんし、卑屈と謙虚さは似て非なるものであります。
ヘーゲルが語る通り、「それにはまず第一に、諸君が何よりも学問に対する信頼と自分自身に対する信頼とをもつこと」が必要なのでしょう。
要するに学生としての自覚と誇りといってもよいかもしれません。
その自覚と誇りなくしては、学ぶ人間としての学生として成立しないのかもしれません。
その立脚点があってこそ、人間は「自分自身を尊敬してよいし」、対面する人々はその人間を「尊敬すべき」なのだと思います。
しかし、学ぶ者も教える者も、真理に対してはおなくじく謙虚でありつつ、それに向かってアプローチする勇気は同じく必要で上下の差はありません。
このあたりが、なんだか固定化した関係として捉えられがちなところに居心地の悪さを感じてしまうひとは多いでしょう。
なにしろ、そのことにより、学ぶということが何かできあがった関係として置かれるようになってしまい、結局、真理そのものへ至ることが誰も出来なくなってしまっている……そんな状況ではないでしょうか。
教鞭を執りつつ、探求者として学びつつ、生活者として生活しつつ、同じような感慨を抱いてしまう宇治家参去です。
だからこそ、ま、もういちど、ヘーゲルの言葉に耳を傾け、もういちど学ぶという原点を確認する必要があるのかもしれません。
たしかに「人間の精神の偉大さと力とについては、いくら大きく考えても、すぎるということはない」からこそ、教師が一方的に開示するわけではなく、謙虚に対峙し、真理に接近ができるはずなんです。
その勇気ある選択を行使したとき、ヘーゲルの末尾の言葉がリアルなものになってくるのかも知れません。
「人間に自分を開かないほどに冷淡なもの、頑固なものはないだろう。最初は隠され、閉されている宇宙の本質も、認識の勇気に抗しうる何らの力ももたない。この勇気の前には、その宇宙の本質は必ず自らを開き、その富と深底とを、その人の眼前に現わして、享受に委ねるにちがいない。」
さ、勉強しよ、勉強!
勉強とは、単なる刻苦勉励ではなく、自分自身を尊敬することのできる謙虚な知の勇者の創造的な取り組みの筈なんです。
その取り組みの前に、宇宙の本質は必ず自らを開くものであり、その富と深底とを、その人の眼前に現わしてみせるものなんです。
だからこそ、作業ではないんです。
そこに学ぶ醍醐味があるはず……。
などと久し振りに遠望できた富士山の勇姿に、そうおもうある日の宇治家参去です。
……ということで???
勉強の合間には、息抜きも必要です。ということで、、、昨夜は久し振りに、黒ビールをやりましたが、これもなかなかさっぱりとしていいですね。残念ながら量はいけませんが。
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