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空想より科学へ そして人間そのものへ

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 三 プロレタリア革命。矛盾の解決、すなわち、プロレタリアートは公共的権力を掌握し、この権力によってブルジョアジーの手からはなれ落ちつつある社会的生産手段を公共所有物に転化する。この行動によって、プロレタリアートは、これまで生産手段がもっていた資本という性質から生産手段を解放し、生産手段の社会的特質に自己を貫徹すべき完全な自由を与える。かくして今やあらかじめ立てた計画に従った社会的生産が可能tなる。生産の発展は、種々の社会階級がこれ以上存続することを時代錯誤にする。社会的生産の無政府状態が消滅するにつれて国家の政治権力も衰える。人間はついに人間に特有の社会的組織の主人となったわけであって、これにより、また自然の主人となり、自分自身の主人となる。--要するに自由となる。
 この解放事業をなしとげること、これが近代プロレタリアートの歴史的使命である。この事業の歴史的条件とその性質そのものとを探究し、以てこれを遂行する使命をもつ今日の被抑圧階級に、彼ら自身の行動の条件および性質を意識させること、これがプロレタリア運動の理論的表現である科学的社会主義の任務である。
    --エンゲルス(大内兵衛訳)『空想より科学へ 社会主義の発展』岩波文庫、1966年。

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市井の職場へ出勤すると、ちょうど時間帯が入れかわりの担当者から、

「帰る前に、バレンのプロモを補充しといてね!」

……と引継を受けた次第ですが、

言うまでもありませんが、バレンのプロモとは、馬連のプロモーションではありません。

要するに、2.14のバレンタインデーのプロモーション(sales promotion)のコーナーを最後に補充しておいてくれという意味です。

バレンタインデーのセールス・モチベーションが爆発するのが、基本的には前日です。
ですから、その一角をきちんと補充してから帰ってね!というお願いです。
※ちなみにいえば、最終駆け込みがありますので、前日とほぼ同レベルで推移するのが、当日というわけですが。

まあ、言われたとおりであり、そしてレジに入っていて実感しますが、世のご令嬢・御婦人方の皆様、本日もかなり、購入されているようでした。

マア、専門店ではありませんので、義理とか人情といった類の需要がほとんどですけど、それでも、本命用?の自作キットとでもいえばいいでしょうか……、生チョコの類も飛ぶようにうれるものですから驚く次第です。
※ちなみに宇治家参去は細君から自作されたことはありませんが、彼女が自作した場合、田辺整調剤ないしは太田胃散が不可欠になりますので、トント遠慮申し上げております。
で……。
そうした光景は、ほとんど社会慣習化した年中行事の一コマにすぎませんが、仕事を終える直前になりますと、それでもプロモーションの一角は滑らかな大地になるものですから、最後に補充して帰宅した次第です。

さて……。
宇治家参去の場合、一応、本業が学問というわけですが、それでも喰べていくことが不可能ですので、市井の職場……要するに学問と一切係わりのない一般企業……で働かざるを得ないというお寒い状況です。

現在の職場は、もう4-5年になりますが、結婚したのが博士課程在学時でしたので、人材派遣を含めるとそのころから、マア、丸十年ちかく、アカデミズムとはほど遠いサラリーマンの真似事のようなことをしております。

まあ、それは自分自身の問題ですし、どうのこうのということはないのですが、それでも不思議なもので、そこから学び、いうなればアカデミズムの肥やしになるようなところは日々発見することがあります。

その一つを端的に指摘すると、経済・仕事・ビジネス……という部分に置いて結局その雌雄を決するのは「人間」そのものである、という点です。

経済学(ミクロ・マクロ含む)、経営学……といった専門知識に関しては全く門外漢です。ですから理論や学理に根拠をもつ発想ではありません。ただそれでも哲学の社会思想史における展開との関連から、そういうジャンルの古典ぐらいは目を通しておりますが、ヘッポコ理解にしかしぎません。

それでもなお、拙いサラリーマン生活?のなかで、最終的に行き着いたのは、「人間」そのものなのではないか……その一点です。

職人さんとか匠の世界でいくとそれが〝常識〟です。
しかし、その射程におさまりきらないのがじつは現状なのかも知れません。

まつ持論ですが、理念と現実状態の乖離に関しては、現実を批判的に弁証する理念の視座が必要不可欠である点も承知です、それと同時に理念先行で現実を抽象化する態度は生きている現実を分断してしまうからこそ、そうした学問と現実との相関的(弁証法的ではなくですよ)な対話が必要なわけですが、そうした極端を排しながら、相関的対話を目指取り組みとして、つたない経験とつたない学理を相即させると、どうしてもそのようにしか思わざるをを得ません。

……ということでもどります。

現在の職場は職種としてはGMSです。
要するに販売小売の最前線とでもいえばいいのでしょうか。
かなりな部分が正直なところ機械化されておりますし、先人たちが苦労したような部分は苦労しなくても済むようなシステムへと転換されております。

例えば、商品の発注なんかもその一つです。
これまでは手動発注でしたが、現在の勤務先の場合、POSレジを通った商品に関しては、基本的にはマイナス在庫になったアイテムが自動的に納品される仕組みになっておりますので、微調整だけで済みますし、季節行事に左右される商品に関しては、例年の需要を踏まえた上で、これまた本部供給として自動的に納品されるようになっております。もちろん客注のようなイレギュラーのものは別途対応ですが、それでも、紙の伝票を起こして、どうのこうの~というご時世ではなく、携帯電話のようなハンドヘルドPCでバーコードをスキャンしてそのまま数値を入力すれば発注できるわけですから、かなりな部分で、「人間」そのものに対する負荷は軽減されていることは否定できません。

しかし、雌雄を決するのは「人間」なんです。

極端な例ですが、先に述べた「帰る前に、バレンのプロモを補充しといてね!」は、人間がやりませんと、補充は不可能です。

……と書きますと、それでも、

「人間不要のオートメーション化は進んでいるだろう」

……などと言われそうですが、

それでも、

雌雄を決するのは「人間」なんです。

例えば、これもマア極端な例ですが、自動販売機とかフードサーバーなんかはオートメーション化のひとつの極地です。

しかし、人間がかかわって「なんぼ」というシロモノであることには変わりません。

週に一度ほど、煙草の自動販売機の「補充」をしますが、このタスクを欠いてしまうと大きな問題にもなりかねません。

「○○って奴がほしいんだけど、どうしてぇねぇぇぇんだァ、こりゃァァァ」

……って胸ぐらを掴まれない自身は宇治家参去にはありません。

まさに、人間がかかわってナンボなんです。

「バレンのプロモ」を補充するには「人間」なんです。
たしかにその在庫調整・発注に関しては、(半)自動かもしれません。

それでも、それを最終的に手に取る人間に対して用意する……この場合、売り場に補充陳列するということですが……人間なんですよね。

現在の職場へ移る前は、カスタマーサポート系のコールセンターで長く勤務しておりました。

基本的には、オートメーション化と人間不在の極地のような職場です。
PCを前にヘッドセットを付けて対面する、そして情報管理の観点から私物のみならず私情までも持ち込めない職場です。

ルームに入る前に身体検査をうけてから入り、PC前に着座してから、ログインする。
情報と技術に関しては、先端の環境です(物体的な、イノベーション的なクリエィティヴィティという意味での先端ではありませんがね)。

ですが、そこでも長く仕事をしていると、結局は雌雄を決するのは「人間」そのものなんだよな……などと思った次第です。

クレームなんかもそうなんです。
こうした職場の場合、面と向かってやりとりしているわけではありません。
音声とかせいぜいモニター越しの映像付きぐらいのものでしょう。
でも「人間」そのものなんです。

人間と人間の間に介在するシステム・テクノロジーは一昔前とは天文学的な飛躍を遂げていることは間違い在りません。

しかし、そのターミナルにいるのはやはり「人間」なんです。

大クレームを収めるのも応対した「人間」であれば、ささいな問題を、大クレームに発展させてしまうのも「人間」なんです。

商品を品だし陳列するのも人間な訳ですが、媒介応対による場合も同じなんでしょう。

たしかに、仕事をするなかで、人間不在のようなかたちで、数値やデータ、過去の記録や応対を参照しながら「処理」することはたぶんにあります。

しかし、結局はそれでもなお、「出してなんぼ」(品だし)、「聞いてなんぼ」(カスタマーサポート)という事実は否定できませんから、テクノロジーとかそのあたりがどのように進展しようとも、最終的にはやはり「人間」そのものへ行き着きざるを得ない……そんなことを、ぼんやり考えながら、目玉となる「バレンのプロモ」を構築した次第です。
結局、いかに技術や人間の周辺環境が激変しようとも、そこに生きている「人間」そのものへと視座を転換しない限り、「人間」に即した環境も状況も時代も創れることは不可能かもしれません。

だからでしょうかねぇ。
マルクス(Karl Heinrich Marx, 1818-1883)にしろ、エンゲルス(Friedrich Engels, 1820-1895)にしろ、目指す心根がわからなくはないんです。

ですけど、「人間」そのものをマスとして扱う態度にはどうしても首肯することができず、「人間」不在にその胡散臭さを観じざるを得ないんです。

これは彼らのなんとかしようとする革命的なモチベーションを否定しようと言うことでは全くないんです。しかし、そのスケッチにはなんとなく、

「おれは、遠慮します」

……ってなってしまうんです。

これがサラリーマン生活での経験則というやつでしょうか。

……ということで???

「バレンのプロモ」を準備したり、補充したりしているとお客様からよく聞かれます。

すなわち……、

「これ旨いの???」

……っていうトンデモナイ質問です。

ですから、遅まきながら予習を少々。

この季節のために、SAPPOROがROYCEとジョイント・ベンチャーした……って書くとゼネコンみたいですが……、チョコーレと風味の発泡酒「サッポロ ショコラ ブルワリー Bitter」で一献です。

コピーによると、「“大人な”チョコレートのお酒」ということです。

要するに、チョコレート麦芽を一部使用しカカオを加えた、芳しい香りとほろ苦い味わい加えたビール系飲料です。

さて……。

ゴキュゴキュってやりますと、

雰囲気は、濃厚な黒ビール……って思いきや、後味が「チョコレートっ!」って叫んでしまいました。

ですけど、甘ったるくはありません。

“大人な”チョコレートのお酒です。

二度と飲むことはないかもしれませんが、季節の風物詩を彩る一品ではありますね。

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空想より科学へ―社会主義の発展 (岩波文庫 白 128-7) Book 空想より科学へ―社会主義の発展 (岩波文庫 白 128-7)

著者:フリードリッヒ・エンゲルス
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