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心にかなう道を、目に映るところに従って行け。

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 倫理(éthique)とはもともとギリシャ語です。けれども私はそれ以上のことを考えます。その言葉で私が考えるのは、聖性です。他者の顔の聖性です。あるいはかかるものとしての私の責務の聖性です。そうです! 顔のうちにはある種の聖性が存在するのです。というか、顔としての顔に接近してゆくときの身振りのうちには、ある聖性、あるいは自己自身に対するある倫理性が存在するのです。というのも、他者に対する責務がそこではすべてに優先するからです。つまり、こういうことです。他者を尊重するとは、他者に一歩を譲るということです。お先にどうぞ、と道を譲ることなのです。つまり、紳士の礼節(coutoisie)なのです! ああ、この表現はとてもぴたりとしています。自分よりも先に人を行かせること。このちょっとした紳士的礼節のきらめきが顔への接近の一つの仕方なのです。けれどもどうして譲るのは私であって、あなたではないのでしょうか? これは難しい問題です。というのも、あなたもまた私の顔に向かって近づいてきているはずだからです。けれども、紳士の礼節あるいは倫理の本義とは、そのような相互性については考えないというところに存するのです。
    --エマニュエル.レヴィナス・フランソワ.ポワリエ(内田樹訳)『暴力と聖性 --レヴィナスは語る--』国文社、1991年。

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朝の5時頃まで、自宅でですけども鯨飲しておりましたので、今日はチトきつかった宇治家参去です。

細君も息子殿も午前中は不在……前者は無冠の集金、後者は幼稚園……でしたが、大学からの宅急便の配達で起こされ、げふげふしながらも、休憩を挟みつつ、学問の仕事をしておりましたが、昼過ぎに細君が帰宅して……、

「休みの日ぐらい、きちんと学問の仕事をしなさい」

……などとどやされつつ、机で開いていたのが旧約聖書だったのがよくなかったのかもしれませんが、

「また、意味不明なものを読んで、時間を潰している」

……などと言われる始末です。

意味不明ということは決してないのですが、アングロサクソン的正邪論の衒いで反論して議論の筋道を正すという〝正義の競争〟をしても不毛であることは、承知ですので、肩で受け流しながら、レヴィナス(Emmanuel Lévinas,1906-1995)先生の言うとおり、「お先にどうぞ」との精神、すなわち、「紳士の礼節(coutoisie)」にて甘受する晩冬です。

きりのいいところで書物を閉じ、来週返却締め切りのレポートに目を通しておりますと、息子殿が帰宅されましたが、本日は三日に一度の耳鼻科検診と英語教室のため、そそくさと細君と外出。お陰様で、レポートのすべてを添削することができました。ただ、今朝ひとやま配達されておりますので、また苛酷な孤独な戦いは終わらない……というところでしょうか。

まあ代わり映えも彩りもなにもない日常生活ですが、まあ、元気に生きているということはありがたいものです。

気が付きますと、38歳になっておりました。

自分自身としましてはまだまだ若いという自覚ですが……ただし飲む酒の量は十年前より確実にダウンしていることも承知……、家人から至極「オッサン、オッサン」と言われると、

果たして……、「自分はオッサンか?」

などと自問せざるを得ませんが、自分自身としては、

「生涯、一ナイスミドル」との自覚ですので、精確には「オッサン」ではなく、「ナイスミドル」と呼んで頂きたいものです。

一年を振り返ってみますと、(誕生日からという意味ですが)昨年は、法戦とか学問の挑戦において自分自身でもかつてない戦い?に挑戦できた一年であったことは、これはまずもって否定することはできません。

ただ、しかし、結果としてみるならば、現状としては、「負けた」〝足跡〟であったことも否定することができない事実です。

業績の少ない若い衆が次々と階段を上っていくのに対して、専門の問題もありますが、専任公募につぎつぎと敗退し最終面接でもぽしゃったり、息子殿が……これは自分の所為になのですが……受験に失敗するとか、、、あげくには「廃業しろ」っていう横やりも入ってくるという状況で、、、まあ、泣きませんけど、泣きっ面に蜂というのが、とくにその後半部分であったかと思います。

ただここで、「譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき」(立正大学宗学研究所編『昭和定本 日蓮聖人遺文』総本山身延久遠寺、1954年)との言葉もありますので、4月から始まる新年度では、〝最後の聖戦〟?を繰り広げていきたいものだと思うところです。

……などとナイーヴに考えていると、帰宅した細君が、

「27日は誕生日だから、どこかへいく?」

……などと誰何するものですから、チト近所のステーキハウスまで出かけてしまいました。

誘ってくれるなどとは思っておりませんでしたので……27日はお互いに所用のため……、ちょいと嬉しかった宇治家参去です。

しかし今になって考えてみれば、先に旧約聖書を読んでいるときどやされたあげく、「お先にどうぞ」との精神で譲ったわけですが、細君のこのサプライズも、ある意味でこちらの予期しない「お先にどうぞ」の精神のようでした。

ありがたいものです。

なお蛇足ながら、またついでのおまけのように言及するならば、誕生日基準の昨年度のすべての「今回はご縁がありませんでした」系の問題も、私淑するレヴィナス先生のお言葉に耳を深く傾けるならば、「紳士の礼節」として、まあ、まあ「お先にどうぞ」と捉えようかと思うのですが(カント(Immanuel Kant,1724-1804)大先生もなかなか専任になれなかったのですが)、そのことを細君にいうと火に油を注ぐことになりますので、ネットにおける活字での独白だけにとどめておきましょう。

ま、いずれにしましても……。

かかわってくださった皆様方、ありがとうございます。

……ということで???

がっつりとお肉を頂戴し、五日ぶりのお米まで食べてしまいました。

ただしかし!
この細君の心遣い……ありがたいのはありがたいのですが、これから十日ぐらい寝ると、次は細君のご生誕の砌という奴です。

何かこちらもサプライズを計画しないと・・・

……これはマズイですなァ・・・。

気が早いので、すでにプレゼントは購入済みですが、宴席もつくらないと……ですねぇ。。。

しょうがないので、時計かカメラでもまたオークションにかけざるを得ません。

ただ、それによって、お互いにいい気持ちを感じることができるのであるとすれば、〝相対〟を〝排した〟〝絶対律〟という意味での「紳士の礼節あるいは倫理の本義とは、そのような相互性については考えないというところに存する」ものの一分にでも与ることができれば、それでよし!……とも思えるので、甘受……否、喜んで、「お先にどうぞ」の精神で向き合っていきたいと思う次第です。

いずれにしましても、これから20年が経過するとすでに、親父はなくなった時代(享年56)になってしまいます。

(語弊を生むような表現で恐縮ですが)生き〝続ける〟ことに執着はあんまりないのです。
しかしながら、責任と使命の自覚を考えると、まだまだ元気で頑張る〝不可避的な〟問題も山積しておりますので、まずはひとつ健康で、ふんぞり返る態度を排しつつ、生涯一兵卒の気概でがんばっていこうかとは思う次第です。

またまた誤解を生むような表現で恐縮ですが、偉大な人生の師匠をいただき、偉大な超一流の学問の師匠の膝下で学ばさせて頂き、ほんとうにありがたいと思う毎日です。

現状では〝カタチ〟には全くなっておりませんが、どんな連中と渡り合っても、不思議なことに〝負ける〟という感覚・気概がまったくないんですよね、そんで、これはふんぞり返りの態度とは違う感覚なんですよね。

おまえら、どこからでもかかってこいって……ってでもいえばいいのでしょうか。

まあ、まだまだ、一学兵として戦いますヨ!

……ってことで四合瓶が1本そこをつきつつあるので、このへんで沈没しようかと思います。

例の如く支離滅裂な書き殴りでスイマセン。

……ということで、大好きな旧約聖書の一節を最後に紹介しておきます。
※こんなことをするから誤解されるのですが、マア、それもシャイでナイーヴなチキン野郎のウンコ垂れの宇治家参去の人柄と思ってくださいマシ。

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若者よ、お前の若さを喜ぶがよい。
青年時代を楽しく過ごせ。
心にかなう道を、目に映るところに従って行け。
知っておくがよい。
神はそれらすべてについて
お前を裁きの座に連れて行かれると。
心から悩みを去り、肉体から苦しみを除け。
若さも青春も空しい。
--「コレヘトへの言葉」(11:9)、共同訳聖書実行委員会『聖書 新共同訳』日本聖書協会,1987年。

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