進歩。--だまされてはいけない!
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進歩。--だまされてはいけない! 時間は前方へと経過する、--だから私たちは、時間のうちにあるすべてのものが前方へと経過すると、信じたがる、--発展とは前方への発展であると・・・これは、最も思慮深い者もまどわされる見かけだおしである。しかし一九世紀は一六世紀にくらべて進歩ではなく、また、一八八八年のドイツ精神は一七八八年のドイツ精神にくらべて退歩である・・・「人類」は前進せず、それは現存してすらいない。相対的様相は、巨大な実験工房のそれであり、そこでは、或るものは成功するが、それも全時代をつうじて散乱しており、言いようなく多くのものは失敗し、そこには、秩序、論理、結合、拘束力が、まったくみられない。キリスト教の到来は一つのデカダンス運動であるということを、どうして私たちが見誤ってよかろうか? ・・・ドイツの宗教改革はキリスト教的野蛮の再発であるということを? ・・・革命は社会の大衆組織化への本能を破壊してしまったということを? ・・・人間は動物にくらべて進歩ではない。文化に甘やかされた者はアラビア人やコルシカ島人にくらべれば畸形児である。シナ人は、ヨーロッパ人よりも出来のよい典型である。すなわち、長持ちのする典型である。
--ニーチェ(原祐訳)「権力への意志 上」、『ニーチェ全集』13巻、筑摩書房、1993年。
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産業革命以降、人間の歩みを決定づけたのが、(啓蒙思想ではなく)啓蒙〝主義〟に基礎づけられた「進歩」史観ではないかと思います。
科学技術の進展を目の当たりにした人間は、科学が魔術からひとびとを解放し、快適な楽園を演出すると夢想したわけですけれども、実際にはどうでしょうか。
科学無用論を説くわけではありません……いうまでもなく必要不可欠です……が、進歩の思い描く「人間像」に対して「人間」そのものが付いていけなかったのは否定できない事実であることは間違いないでしょう。
ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche,1844-1900)の箴言は、そうした楽天的進歩史観に苦渋する世紀末の呻吟のようなものが感じられます。
さて……。
iPhoneネタで恐縮ですが……先週から使い始めたiPhoneだいぶ慣れてきたところです。
たしかに、クラウドコンピューティングを先取りする、ネットワーク端末して現時点でよくできていることとその使いやすさは体感したわけですけれども、問題も実感です。
バッテリーのもちが悪い!
……そのことです。
通話とメールはひとまず措きますが、なにをするにも、ネットワーク接続が開始されるますので、バッテリーの消費がおどろくほどはやいということです。
満充電で省電力設定をせずに、他になにもやらずにインターネットの接続(閲覧)がだいたい5時間いくかいかないかくらいですので、バッテリーのもちということに関しては、これまで使っていたNokiaのX01Nkのほうがトータルではよかったのではないか……そう思う次第です。
クラウドコンピューティング端末としては確かに、Nokiaの端末よりiPhoneの方がよくできていることは否定できませんし、数々の魅力的なアプリケーションの前ではiPhoneに軍配を挙げざるを得ませんが、バッテリーのもちに関しては、iPhoneVSnokiaだけでなく、ちょいと以前の携帯端末の方がよかったのかもしれません。
もちろん、ちょいと以前の端末では、iPhoneでできるようなことができなかったわけですので、「もちがよい」のは最もなんですが、ファーストインプレッションとしてはそうしたところを抱かざるを得ません。
その意味で、まさに進歩とは、完膚無きまでの「前方への発展」とイコールではなく、「巨大な実験工房のそれ」に〝すぎない〟ところを自覚しておきませんと、〝なんでやねん〟となってしまうのかもしれません。
しかし、とやかくいいながら、新しいガジェットに満足しつつ、面白く楽しんでいるのが、内蔵カメラ+アプリの構成です。
トイカメラ風、70年代のフィルムカメラ風(しかも一眼とかではなくチープなAEカメラ)に撮影できるアプリケーションがいくつかあるのですが、LOMO風に撮影できるアプリケーションでこのところ楽しんでおります。
LOMOとはロシアのAEコンパクト・フィルムカメラのことですが、90年代後半からその画風でブレイクしたトイカメラのことですが、「MORE LOMO」という無料のアプリケーションをつかうと、そうした雰囲気で撮影することが可能です。
LOMOはチープなカメラのため、周辺光量が極端におちてしまう画風になってしまうのですが、それがなんだかノスタルジアを誘うというわけで、今でも愛用者の多いカメラです。
最新のiPhoneで前世紀のフィルムカメラ風に撮影する。
ここにもひとつの「進歩」と「退歩」を痛感させる一コマが潜んでそうですね。
ニーチェ全集〈12〉権力への意志 上 (ちくま学芸文庫) 著者:フリードリッヒ ニーチェ |
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