容赦ねがいたい、わが友よ、あえて私が自分の幸福を壁にえがいたことを
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苦悩を求める欲望。--みながみな退屈に耐えられず自分自身に我慢できなくなっている行く百万という若いヨーロッパ人を、たえずくすぐったり刺戟したりするところの、何かをしたいというあの欲望のことに考えおよぶとき、--自分たちの苦悩から行動や行為のためのもっともらしい理由を取って来ようとして、何かに悩もうとする欲望が、彼らの内にあるに相違ないと、私は思う。困窮が必要なのだ! だから政治家たちはわめき立てるし、だからまた多数の偽った架空の誇張された、ありとあらゆる階級の「困窮状態」といったものと、それを喜んで信じようとする盲目的な気構えとが、つくりだされるのだ。こうした若者たちは、外から--幸福なんかではなく--むしろ不幸が訪れるか出現するようにと、熱望する。そして、彼らの空想力は、そこから一個の怪物をつくりだす--後ほど怪物と闘うことができるためにとて--ことに、前まえから精を出している。こうした困窮渇望者たちが、自分の心の中に、内奥から自分自身を悦ばし、自分自身に何かを与えてくれる力を感ずるならば、そのときには彼らはまた、内奥から独特の、自己独自の困窮を創造するすべをも会得するであろう。そのときには、彼らの創作物は一そう精妙なものとなりうるだろうし、彼らの満足は素晴らしい音楽のようなひびきを立てることもできるだろう。それなのに、彼らは現に世界を彼らの困窮の叫びで一杯にし、したがってあまりにもしばしばただもう困窮感情で一杯にしてしまう! 彼らは自分が何をしているのか皆目わからない--そこで彼らは他人の不幸を壁にえがく。彼らはいつも他人を必要とする! そしてくりかえしまたぞろ別の他人をだ! --容赦ねがいたい、わが友よ、あえて私が自分の幸福を壁にえがいたことを。
--ニーチェ(信太正三訳)『悦ばしき知識 ニーチェ全集8』筑摩書房、1993年。
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ある日の細君との会話。
「○○さんのご主人はクリスチャンなのだそうよ」
「ふ~ん」
「でも、真剣にやっているというよりは、とりあえず所属がそれで、教会にきちんと通っているとか、そういうタイプではない見たい」
「ふ~ん」
「よくある二世代目、三世代目の、意識はそんなにないという感じみたい」
「……ということは、私のキリスト教理解がそのご主人よりも卓越しているということになるな」
「……」
「その~、聖書理解・解釈、教会史・神学思想への熟知という意味ですが・・・」
「……の割には金にならないとすれば、そのご主人の方が生活者としては成立している」
「……」
……といことで、早々に居間を退散して、仕事をしましょう。
たしかにクリスチャン(欧米人)の仏教学者はゴマンといるのですが、仏教徒の神学者というのはほとんど聞いたことがありません。ただこうしたポストモダンな思想状況ですので、そうしたあり方もアリかな……とは思うわけですが、仕事の前に、チト、ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche,1844-1900)を読書です。
ニーチェの言うとおり、作業仮説として構築された困窮、自分の外にある架空の苦悩からは真の幸福は導き出せないのかも知れません。
……ということで、「多数の偽った架空の誇張された」困窮状態を夢想することなく、自分の仕事にきちんと着手していこうと思います。
……ということで、、、学問の仕事中。。。。
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ニーチェ全集〈8〉悦ばしき知識 (ちくま学芸文庫) 著者:フリードリッヒ ニーチェ |
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